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今日の終わり




 一息ついてから風呂に入った。水分補給してリビングに戻ると、シキはぼんやりとソファに座っていた。声をかけて良いものかと、その姿をただ見つめる。

 気付いたシキが、手をさしのべる。近寄ってハンドクリームを渡した。そうして、隣に腰かける。

 どうして触れてくれないんだろうだなんて、こうやって毎晩触れてもらってるのに。それで満足できなくなってるなんて。何て欲深いんだろう。

 傍において貰えて、毎日触れてさえくれている。気持ちを伝えても引かれることなく、どころか好意的なままでいてくれてる。それだけで、充分に過ぎた幸せだ。これ以上、望むこと何てないはずなのに。

 望んだりしたら、罰が当たる。

 ゆっくりと丁寧にクリームを塗る、優しくて温かい手。皮が固くて大きくて、いつも鉛筆や筆を握っている。触れられるのではなく、触れてみたいと言ったら、どんな顔をするだろうか。きっと、好きにして良いと言ってくれる。

 シキには、与えられてばかりだ。

 何か返したい。ちゃんと喜ばせたいし、うれいがあるなら全部とりのぞいてしまいたい。

 でも、オレの出る幕なんてない。本当なら、それは良いことであるはずなんだけれど。

 右手が終わり、左手を渡す。

 家事はしている。人物画の練習台は、してるというようなことはしていない。でも、気づいたらシキは描いているから、一応しているということになるのだろう。ただ、これらはここにおいてもらうためにしているわけで。

 そもそも、シキは何か描いていられればそれで満足みたいなところがある。無欲というか何というか。そこまで一つのことに打ち込めるのはすごいと思う。

 好きなだけ絵を描いていられるように環境を整えておけば、少しは役に立てるだろうか。考えてみたけれど、今とあまり変わらない。

 ……………………。

 いっそ、お金を稼いで、金銭面で援助すればいいのだろうか。悪くはないけど、何かが違う気がする。

 気がかりは今日出会した先生だけれど、偶然だったし、今のところ気にする必要はなさそうだ。

 シキの手を感じながら、つらつらと考える。

 本当は、一つだけある。

 オレが動いたところでどうにもならないかもしれないけど、どうにかなったらシキが喜ぶこと。考えたくなくて、なるべく頭から追い出すようにしていたこと。

 シキが諦めようとしていて、でも、諦めきれずにいる人。

「……椿?」
「ん?」

 ゆっくりと、手からシキに視線を動かす。

 シキは何かを言おうと口を開き、けれど何も言葉は出てこなかった。ふいと視線を逸らし、そうして諦めるかのようなため息をこぼす。

「シキ?」
「いや……悪かったな」
「何が?」

 手元に視線を落とし、シキが言う。

「今日。最後、変なことになって」
「シキが、謝るような事じゃ」
「楽しいまま、終わりにさせたかった」

 ふっと、自嘲気味に笑う。それに対して慌てて言い募る。

「楽しかったよ。確かに、最後のは少し気になったけど。でも何日かして、今日のことを思い出す時、それはシキと出かけた良い思い出としてだよ」

 ちらりとこちらを見る。安心したように、微笑んだ。

「……シキ、こそ」
「ん?」
「あの人に会って、参ってるみたいだ。嫌な想いをしたのは、シキの方じゃ」
「あー……」
「どういう人なのか、訊いても?」

 言いにくそうに、視線が動く。考えるかのような間の後、静かに口を開いた。

「……あいつ、は中学ん時の先生で。何かと、目を付けられてた。……幸い、担任じゃなかったが」

 前に、担任の先生が苦手だったと話した。その時、シキはなら仕方ないと言ってくれて。それは、自分も苦手な先生がいたからだったのか。

「何かしてくるってわけじゃねぇが、敵意はあからさまだったな。言葉通じねぇし。それで、あまり関わらないようにはしてた。……まぁ、具体的に何か害があるわけじゃない。だから、大丈夫だ」

 それでも、嫌な想いをしたことに変わりはない。いくら、害はないからって。

「今日は、」
「ん?」
「一日、シキの好きにして良い日だ」

 掴まれてる手を、じっと見つめる。

「シキは、オレが楽しかったなら良いみたいな事、言ってくれるけど。でも、本当なら、シキこそ良い気分のまま今日を終えるべきなのに」

 こんなことを言っても、困らせるだけだ。

 わがままにしか過ぎない。言わない方がいい。それでも、言葉は止まらなかった。

「シキには、貰ってばかりだ。ちゃんと返したい。喜ばせたい。……力に、なりたい」

 できる事なんて、何もないのかもしれないけれど。

 不意に、シキの右手が離れた。どこに行ってしまうのかと目で追うと、強く肩を掴まれた。

「……だっ」

 シキに、視線を移す。

 まっすぐに向けられた眼差し。掴んだ手はすぐに拳に変わり、肩の上に置かれる。

「たら」

 だったら?

 シキは、一度きゅっと唇をかみしめた。堪えるかのような表情を浮かべ、それから口を開く。

「肩を、借りても良いか?」
「肩?」

 訊ねるのとほぼ同時に、シキの額が右肩に押しつけられた。

 一瞬、息が止まった。

 左手は、シキに強く握られて。何か声を出そうとして、シキの名を呼ぼうとして、けれど開いた唇からは何も出てこない。

 ゆるゆると、現在の体勢を理解して身体全体が熱くなった。後少し。シキの手の位置が違ったら、抱きしめられている。

 身動きができない。

 ゆっくりと、どうにか呼吸を整える。

 肩に置かれた手が、背中に回されたら。オレが、握られてない方の手を、シキの背に回したら。そうしてしまえたら。

 人肌が恋しくなったなら、そうしてしまって良い。けど、動くことができない。動くことはできない、けど。

 せめてもと、頬をシキの頭にすり寄せる。髪の毛の感触がした。瞼を閉じる。

 手が、肩が、頬が、ひどく熱い。






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