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足りない




 いつも、椿が夕飯の支度や洗い物している。よくその姿を描いているわけだが、今日はそうはいかない。せっかく帰ってきたのにすぐに描けないとは、失敗だったかとも思った。が、食事中少し眠たそうにしていたので、そうでもなかったようだ。どうやら、大分疲れているらしい。

 ならばいっそ、一人先に飯を食って、食事中の姿でも描いていれば良かったのだろうかと考えてみた。一人で食うのは味気ないので、どのみち考えるだけで終わっただろうが。

 風呂から出たら、少し目は覚めたようだった。それでも、疲れが完全にとれたわけではないだろうしと、早く寝るよう告げた。土産話をとは頼んでいたが、無理させるようなことではない。ゆっくりと話せる時でいい。

 早く寝るよう自ら告げたくせに、数日ぶりに触れた手を、なかなか離すことができなかった。

 椿が寝室に移動し、閉じられたドアをしばしじっと眺める。しばらくしてからゆっくり息を吐き、ソファの背もたれに体重を預けた。

 手を、ぎゅっと握りしめる。ままならない。

 風呂から出て寝室に向かうと、椿はすでに熟睡していた。明かりは消したまま、ベッドの縁に腰かけその姿を眺める。

 穏やかな呼吸。無防備な寝姿。そっと、手をのばしたくなるのを誤魔化すように、スケッチブックを開く。どうせ明日は少しぐらい遅くなってもかまわない。徹夜してしまっても、問題ない。

 小さな明かりだけを頼りに、鉛筆を動かしていく。この数日、描きたくても描けなかった。その気を晴らすように手を動かす。

 ある程度満足した頃、眠気におそわれた。確認すれば時刻は明け方。少しぐらいは寝ておくかと、ベッドに潜り込む。手を動かせば触れられる位置に椿の後頭部。

 きっと椿が先に起きる。そのまま学校に行ってしまうだろうか。それとも、起こそうとしてくれるだろうか。そんなことを考えながら、瞼を閉じた。

 結局、飛び起きた気配で目を覚ました。あぁ、もう起きたんだなと思う内に、勢いよく飛び出していってしまった。珍しい。

 ゆっくりと、瞼を開く。ぬくもりも、気配も残っているのに姿はない。しばらく誰もいない空間をぼんやり眺めてから、起き上がった。

 本当に、珍しい。朝は弱いらしく、いつも顔を洗うまで鈍くなっているのに。けれど、時間を確認して合点がいった。部屋を出る。

「あ、シキ。おはよう」
「おはよう。時間、平気か?」
「ううん。シキのご飯だけ用意して……」
「いや。なら、いい」
「……ごめん」

 どことなく悔しそうな様子に、思わずくつりと笑う。

「自転車、飛ばしすぎるなよ」
「うん。いってきます」

 手早く身支度を整えた椿を、玄関まで見送る。朝をゆっくり過ごせなかったのは残念だが、珍しい姿を見れた。寝坊して、慌てて飛び出していくなど。

 話ができるのは今晩になるか。それとも、数日ぶりの学校で今日も疲れて帰ってくるのだろうか。

 ……とりあえず、飯食って出よう。

 大学の図書館で本を開く。しばらくすると、目の前に人の座る気配がした。何となしに視線を向ける。そいつはすでに机につっぷして眠っていた。ここに寝に来たのかよ。

 まぁ、寝ている分には邪魔にはならないし、気にするだけ無駄なので本に視線を戻す。

 本に視線を向けるものの、意識はどうしたって別の所に向かう。

 明け方まで描いてはいたものの、まだ起きている姿を描いていない。料理をしている姿。読書している姿。勉強している姿。ゆったりと、くつろいでいる姿。

 足りない。

 真剣な表情。嬉しそうな表情。穏やかな表情。微笑んで、驚いて、少し困ったような。もっといろんな姿、いろんな表情を。

 手がうずいて仕方ない。やがて、ため息を一つ。

「……描きてぇ」
「描けばいいじゃん」

 思わずこぼれた言葉に、返答があった。見れば、寝てるとばかり思っていた奴が、つっぷした体勢のままじっとこちらを見ていた。

「いつも所かまわず、無節操に描き散らかしてるじゃん」
「んなこたねぇよ」

 やれやれ、これだから自覚のない奴は。といった表情をされた。軽く腹が立った。

「オレの知ってる四季崎は、歩いてるか食事してるか何か描いてるかの三つだけだよ」
「今は本読んでるじゃねぇか」

 言えば、考える素振りを見せる。

「……まぁ、それはおいといて」
「おい」
「描きたいなら描けばいーのに。オレは眠たい時に寝てるよー」

 そりゃ、お前はそうだろう。

 大体、描くのを我慢しているわけでもなければ、描いていないわけでもないのだ。明け方まで描いていた。それでもまだなのだ。

 それに、椿には椿の生活があるから、いつでもいつまでも描いていられるわけじゃない。できることなら一日中だって描いていたい。どこにも、行かないでほしいつーか、行くならその場にいたいつーか。

 こんなこと、言えるわけがない。聞き流すことにして本を閉じた。寝ているだけならいいが、声をかけてくるとなると話は別だ。煩わしいし、どうせ本に集中できていなかったのだからと席を立った。

「あ、待って」

 面倒くせぇと思いつつも耳を傾ければ、用件があるとのこと。だったら来て早々寝たりせずにとっとと伝えろ。

 話を聞いてから、その場を去った。

 一つ、息を吐く。

 目の前には自宅のドア。椿はもう、帰ってきているはず。必要もないのに、意を決してドアを開く。

 クツはあった。明かりもついている。リビングに姿はなかったが、ならばと荷物を置いて台所に向かう。椿はそこにいた。気配で気づいたのか、振り向いた。

「あ、おかえりなさい」
「……ただいま」

 ほんの少しだけ驚きを見せ、微笑む。すぐに、申し訳なさそうな表情になった。

「今朝はごめん」
「いや。つか、珍しいよな」
「旅行中、あまり寝れなくて。思ってたよりは寝れたんだけど」

 悔しそうな様子に、つい笑みをこぼす。

「そうか。今日の飯は?」

 訊ねながら、近寄り手元をのぞく。すぐ傍にあるぬくもり、変わる表情に心満たされる。けれど、それでもまだ、

 描きたい。

 …………抱きしめたい。





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