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帰宅




 ■■■■■

 椿から帰りの時刻を知らせるメールがあった。わかった、とだけ返した。

 そうして、現在の時刻を確認する。

「…………」

 ため息を、一つ。

「……どうした?」

 悟からの問いかけに何でもないと首を振り、携帯をしまった。

 昨日はずっと悟の所にいて、そのまままた泊まった。どこかに描きに行くつもりだったのだが、風が強すぎて断念したのだ。室内の様子や、窓からの風景をひたすら描いた。風が弱まれば、屋上からのでもと考えたが、結局弱まることはなかった。

 今日は、どうするか。

 風は穏やかで、日射しもある。描きに行くには良い天気だ。だが、時間が気になって集中できそうもない。どうせ、冷蔵庫の中身を確認しなきゃ夕飯の支度のしようがねぇし、いったん帰るか。軽く、掃除もしときてぇし。

 花でも飾っといたら、まるで帰りを心待ちにしていたみたいになってしまうだろうか。まぁ、悩むのは気に入った花があった場合でいいだろう。

「シキもコーヒー飲むか?」
「いや……つか、もう帰る」
「えっ?」

 何故か悟が驚きの声を上げる。気にせず、腰を上げた。荷物を手早くまとめる。といっても、スケッチブックと筆記用具ぐらいだが。

「帰るのか?」
「あ?ああ」
「何故っ?」
「は?」

 何を言っているのかと眉をひそめる。一瞬視線をさまよわせてから、悟は言葉を続けた。

「そんな、急いで帰る必要ないだろ。もう少しゆっくりしていったらどうだ」
「軽く掃除や買い物してぇから」
「……」

 なおも、何か言いたそうにしている。いったい何だってんだ。面倒そうなので、放置することにして玄関へと向かった。

 何故か悟もついてきた。

「……あ?」
「……シャーウッドヘ行く」

 気晴らしだと、ふてくされたように言う。

 連休中、サエはここに来なかった。どころか連絡を取っている様子もなかったので、いじけているのだろうか。本当に面倒くせぇ。

 鍵を締めるのを待たず、先に行く。すぐに悟が並んだ。無言で歩く。

 別れ際、何か言いたそうにしていた。口を開くのを待つ必要性を感じなかったので、とっとと足を進めた。

 道に落ちた葉や枝から、昨日の風の強さが知れる。今日は穏やかだ。日差しも暖かい。帰ったらまず、空気を入れ換えるか。掃除をして、夕飯の買い出しをして。その前に、軽く腹ごしらえしとくか。

 疲れて帰ってくるだろうから、風呂もためておこう。土産話をとは言ったが、ゆっくり話せるのは明日の夜になるだろうか。

 早く、帰ってこねぇかな。

 もう、今日帰ってくる。時刻もわかっている。それでも、もどかしくて仕方がない。手を、ぎゅうと握りしめる。

 当たり前だが、帰宅しても人気はなく、おかえりと迎える声もない。一瞬だけ、入るのを躊躇った。





 一通りの準備を終え、ソファに腰を下ろす。時計を確認すれば、予定の時間までまだ大分あった。時間が進むのが遅い。

 スケッチブックに手をのばす。ページを開いて鉛筆を動かす。誰もいない部屋を、描いていく。

 今頃は、電車の中か。連休最終日だし混んでいそうだ。ヤエと、どんなことを話しているのだろうか。気を抜くと、同じことばかり考えてしまいそうになる。スケッチに集中するよう、努めた。

 チッチッチッ

 ゆっくりと、けれど確実に進む時計の針。紙の上を滑る鉛筆の音。慣れた静けさのはずなのに、どうしても気配が一つ足りない。画面に主体が欠けている。

 後少しで帰ってくるからと、何かを誤魔化すように手を動かし続ける。

 どれくらいたった頃か。耳が玄関の開く音を拾う。手が、止まる。

 じっと、廊下に続くドアを見つめる。トタトタと、近づいてくる足音。動くドアノブ。開かれるドア。そして現れる椿の姿。

 予想通り、疲れが見て取れた。移動に時間がかかったからか。睡眠は、きちんととれていたのだろうか。結局、ハンドクリームはどうしたのだろう。缶をどこにしまっているのか知らない。だから、持って行ったのかどうかさえ、わからなかった。

 こちらに気づいた椿は、驚いたように目を見開いた。さらりと、髪も揺れる。待ちかまえるように見つめていたのだから、当然かも知れない。唇を湿らせてから、おかえりと告げる。途端、椿は照れくさそうに笑みを浮かべた。その表情に、ホッとする。

「ただいま」

 ようやく、帰ってきた。





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あきゅろす。
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