夜
□□□□□
少しズルをした。
嘘はついていない。
シキは早く寝ると言った。でも、先に風呂に入ってしまっては、いつもと同じように寝るのも先になってしまう。それが嫌で、少しだけズルをした。
旅行の準備なんてたいしてかからずに済む。でも、シキに先に風呂に入ってほしかったからわざと時間をかけた。そうしたら、一緒に寝れるんじゃないかと思って。
特定の物なんて探してなかった。何か他に持ってく物はあるか。忘れている物はないか。そうやって、ありもしない物を探した。結果、久しぶりに一緒に寝ることができた。
どうせ、旅行中はまともに眠れない。だからその前に上質な睡眠をとっておきたかった。万全な状態で、旅行に挑みたかった。
……半分ぐらいは、建前だけれど。
本音を言えば、ただ一緒に寝たかったと、それだけに尽きる。ここの所ずっと、一人で寝ていたから。同じベッドで寝てはいたはずだけど、知らない内のことなのでなかったも同然だ。
一緒に、というのにもちろん緊張はある。けれどそれは決して不快なものではなく、むしろ心地の良い緊張感で。だからなのか、ぐっすりと眠れて、寝起きもとてもよい。
久しぶりの共寝に上機嫌のまま待ち合わせ場所に向かった。平素ならば、何か良いことでもあったのかと訊ねられたかもしれない。けれど、待ち合わせ場所に現れたヤエは、それどころじゃなかった。すごくそわそわしていた。
極度の緊張によりテンションが高くなっているのか、テンションの高さで緊張を誤魔化しているのか。どちらにしろ、長くは持たないだろうなと思っていたら案の定。宿につき、一風呂浴びてのぼせて戻って来た時には力尽きていた。のぼせたせいでぐったりしていたというのもあるのだろうけど。
そんなわけで、ヤエが寝付いたのは早かった。本当は遅くまでお喋りしたり、カードゲームしたりしたかったらしい。もう一泊あるし、楽しみは明日にと自分を納得させて布団に入っていた。
確かにもう一泊ある。けれど、明日は明日で緊張疲れしそうな気がするのだけどどうなのだろう。まぁ、神経高ぶって眠れなくなる可能性もあるか。一緒に夜更かしする分には、オレも問題ないし。
元より横になるつもりのないオレは、腰掛けて窓の外を眺めている。片手には携帯。悩んだまま、ずいぶんと時間がたってしまった。特に、連絡する必要があるわけではない。それでも。
もう、夕飯は食べ終わっているはず。今日は晴れていたし、どこかに描きに行ったのだろう。今、何をしているのか。絵を描いているなら、メールしたところで気づかれない可能性の方が高い。気づいてもらえたとしても、邪魔になるだけだし。暇を持て余していて、気が向いたら返事をくれるかもしれないけど。
そんなことを思う内に、時間ばかりが過ぎていく。
だから、急に携帯が振動した時にはすごく驚いた。しかも相手はシキで。文面を確認して、返事をと思った時には電話をかけていた。
何も考えずにかけてしまったので、繋がってから言葉を探す。突然の電話に、シキも僅かながら驚いているようだった。
話す内容はたわいのないもので。それでも、耳に優しいその声に胸が暖かくなる。瞼を閉じて耳を澄ませた。シキの声に集中したくて。
呆れたような、でも楽しそうな声。どんな表情をしているのか目に浮かぶ。向こうは特に変わりなかったようだ。でも、やっぱり出かけたって。何をしにまでは言っていなかったけれど、絵を描きに行ったのだろう。
どこまで行ったのだろう。いつもの神社や公園だろうか。それとも、少し足をのばしたりしたのだろうか。帰ったら見せてもらう約束だから、その時にじっくり聞かせてもらえばいい。いいんだけど、そうすると今話すことがなくなってしまう。
聞きたいこと、伝えたいことがたくさんある。でも、そもそも声が聞けて嬉しくて。胸がいっぱいでうまく言葉が出てこない。
声を聞けてよかったと言ってくれた。それはこっちのセリフなのに。こんなことなら、悩んだりしないでもっと早く連絡を入れていればよかった。
早く寝ろとばかりに、切り上げられてしまったけれど。
寝るつもりはないと、素直に伝えてたら呆れられはしてももう少し話せてただろうか。帰ってから土産話をすることになっているから、あまり今の内に話してしまわない方がいいのだろうけど。
どうせ横になっても、目が冴えてしまって寝付けやしないと容易く予想できる。だから、最初から無理をするつもりはなかった。
何となく手首をさすり、首筋に触れる。気づいて、苦笑が零れる。確認する必要なんて、全くないのに。大丈夫。
室内に視線を向ければ、ヤエが布団でぐっすり眠っている。熟睡しているようだ。少し羨ましい。
視線を、窓の外へと移す。
寝るのは諦めていた。うとうとできればいい方だと。でも、と携帯を握りしめる。
―――……じゃあ、おやすみ
耳に残っている優しい声。握りしめた携帯も、窓の外の夜空も、繋がっている。そう思うと、少しは眠れそうだった。
<>
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!