声 「……珍しいな。こんな時間に」 驚いた様子の悟に、軽く肩をすくめて返事の代わりにする。 確かに、遅い時間に訪れることはあまりない。昼間来て、そのまま気づいたら遅くなっていたということは度々あったが、それもここ数ヶ月はなくなっていた。 悟は不審そうにこちらを見ていたが、少しすると何か思い当たったようで、物言いたげな眼差しになった。ヤエから旅行の話は聞いているのだろう。この様子なら、椿が共に行っていることも。 ならば、説明は不要だ。元よりするつもりもなかったが。 「飯、もう食ったか?」 「ああ……いや、うん、あー」 「あ?」 はっきりしない返答に、軽く顔をひそめる。 「……栄養補給は、した、が……何か作るのか?」 「出来合いも買ってきたが、まぁ軽くな。つまみだ。つまみ」 「……つまみ」 「酒も買ってきた。呑むか?」 迷うように悟の視線が動く。 「そう、だな。今、ちょうど急ぎのはないし……頼む。冷蔵庫にビールが入ってるはずだ」 「わかった」 「ちょっと、シャワー浴びてくる」 適当に返事をし、買ってきた物を持って台所に移動する。荷物をおいて、一旦携帯を取り出す。悩んでも仕方ないと、ほぼ勢いで椿にメールを送った。 返事は来るだろうか。 もう寝てしまっていたら、返事があるのは明日。起きてたとしても、何時気づくかはわからない。だから、こうしてじっと眺めて待ったところで意味はない。わかってはいる。 それでも、期待を込めて目に付く場所に置いておこうとしたところで着信があった。椿からだ。驚き、つい凝視してしまう。次いで、慌てて通話ボタンを押した。 ―――……シキ? 「……ああ」 突然のことでまだ頭がうまく動いていない。ただ、耳元で聞こえる迷うような声に、こみ上げてくるものがあった。 ―――えっと、メール、見たよ 「そうか」 ―――わかったって、それだけなんだけど 「……そうか」 置いた袋を見るともなしに眺めながら、耳を澄ませる。 ―――えっと……ごめん。ちょっとびっくりして、つい電話しちゃった 「いや。つか、びっくり?」 確かに、珍しくはあるだろうが。けれどそれは、わざわざ連絡する必要がなかったからだ。 ―――ちょうど、どうしようかなって携帯眺めてたから 「どう?」 ―――えーっと、その……。少し遅くなったけど、無事着いたよとか、ちゃんと夕飯食べた?とか、そんな事をメールしようかなって そのメールを送る相手は、考えるまでもなくオレだろう。流しの縁についた手を、知らず握りしめる。 「……そうか」 ―――……うん 沈黙が訪れる。満ち足りた沈黙だが、だからと言ってじゃあ話は終わりと切られてしまったら堪らない。 「……そっちは」 ―――ん? 「どうだ?今、一人なのか?」 ―――あぁ、うん。ヤエはもう寝てる。何か、昨日なかなか寝れなかったらしくて 「小学生かよ」 ―――楽しみで……ってよりは、緊張してたみたいだよ 「大差ねぇよ」 呆れてこぼせば、くすくすと笑う声が聞こえた。 「お前は?」 ―――ん? 「移動。疲れたんじゃねぇか?」 ―――あぁ、うん。でも、宿ついてからしっかり休めたし 「そうか?」 ―――うん。ヤエが大浴場いってる間も、部屋でひたすら休んでたから 「……そうか」 そうか、と何となく繰り返す。特に、意味があるわけではないが。そうか。ヤエが風呂いっている間、椿はずっと部屋にいたのか。 ―――そっちは? 「……ん?」 ―――何かあった? 「いや。特に、変わりない」 ―――そう 「今日は、まぁ、一日中外にいたな」 ―――そっか 「ああ」 やっぱりとでも続きそうな楽しげな声につられて、頬がゆるみそうになった。 「……椿」 ―――ん? 「……………」 ―――シキ? 「……いや、何でもない」 ―――そう? 「ああ」 もっと話を、と言うか声を聞いていたい。この空気に浸っていたい。けれど、 「……明日は、早いのか?」 ―――早いってほど早くもないけど 遅いというわけでもないのだろう。 「なら、そろそろ寝るか?」 ―――…………… 「……椿?」 ―――ううん。何でもない。そうだね。ちゃんと寝ないと その言い方に、椿も同じように感じているのではと思いたくなる。 ―――じゃあ、そろそろ 「ああ。……声、聞けてよかった」 ―――……オレも 「……じゃあ、おやすみ」 ―――ん。おやすみなさい 耳を澄ませて待つが、通話の切れる気配はない。向こうも、こちらが切るのを待っていたら、いつまでたってもこのままだ。名残惜しいけれど、こちらから通話を切る。 腹の底から息を吐き出し、携帯を眺める。 声を聞けてよかったなど、余計なことだっただろうか。けれど本当に、短いけれど話ができてよかった。メールしてみて正解だった。 少しの間、余韻に浸るように携帯を眺めてから脇に置く。とりあえず、つまみの用意しねぇと。 <> [戻る] |