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真夜中の契約




 そのままセンパイと呑みに行き、帰途に着いたのは夜も大分更けてからだった。住宅地の中は眠りについている。

 のんびり、だらだらと歩く。あまり家に帰る気にはなれなかった。

 椿は帰ったのだろう。何となくそう思う。連絡先も知らないし、向こうが会う気にならなけりゃ二度と顔を見ることはない。

 唐突に現れ居すわり、去る時も唐突。本当になんだったのだろうか。あれは。自分の生活空間に他人が居たと言うのに、不思議と不快ではなかった。

 だからどうと言うわけではない。元の生活に戻るだけ。いない方が通常なのだから。二三日もすれば、このイレギュラーな数日の事など忘れ去っているだろう。

「…………」

 夏の夜空にはわずかに星が煌めいている。重い足取りでマンションに辿り着き、郵便受けを開ける。鍵は入っていなかった。

 鍵を閉めずに出ていったのかと眉をしかめ、家に入ると玄関に椿の靴があった。最初に運び込んで以来、一度も使われていない靴。

 リビングに入ると椿が居た。ソファの上で薄いタオルケットにくるまり、すやすやと眠っている。

 何で、いるんだ。

 腹をたて、そのまま出ていったものとばかり思っていたのに。

 頭を落ち着けるため、水を飲もうと台所に入りさらに言葉を失う。夕食の準備がされていた。サラダにはラップがかけられ、しょうが焼きは皿によそうだけという状態。

 理解ができない。

 腹をたてていたのではなかったのか。それでどうしてまだいる。夕飯なんか、作っている。帰りを待っていたとでもいうのか。フライパンの中のしょうが焼きを一切れつまんでみると、口の中に柔らかい味が広がった。

 リビングに戻れば椿はまだ寝ている。明かりの消えた部屋の中で一人丸くなって。そっと近づき、テーブルの上に腰をかけ、その寝顔を眺める。

 軽く、頭が混乱していた。

 人の気も知らず、椿はすやすやと気持ち良さそうに眠っている。帰れば、もう居なくなっているのだと思っていたのに。会うことはないと、そう。

「…………」

 何をしようとしたのかは自分でもわからない。ただ、無意識に体が動いていた。身を乗り出そうとして、テーブルの上についた手が何かに触れる。とさりと物の落ちる音がして、我にかえった。

 軽く頭を振り、下に落ちた本を拾う。

 確認したいことがあるからと、持ってきた本。その中の一冊。この本を読みたいと言い出した時には驚いた。こんなものに興味を持つ奴がいるのかと。

 押し付けられ、捨てることもできずに放置していた。これの一体何が気になるというのか。渡された時の誇らしげな顔が脳裏に浮かび、今まで開く気にすらなれなかったけれど、椿が何を気にしていたのか興味を持ち開いてみた。

 明かりもつけずに目を通したので、文字は見えにくかった。それでも、なんとか追うことのできた内容は親に虐待されていた少年がおっさん相手にウリやって、いつの間にか事件に巻き込まれているというもの。

 なんつーか、何を元にして書いたのかわかりやす過ぎて呆れる。

 本を閉じて脇に置く。何を気にしていたのかはわからなかったが、何で話が飛躍したのかはわかった。この話が頭に残っていたのだろう。あまり、感情移入をするタイプには見えなかったが、本人も華奢な分主人公を重ねてしまったのか。

 頬杖をつき、寝顔を眺める。来たばかりの時もこうした覚えがある。あれから、もう二週間近くがたつ。

 あの時から印象は変わっていない。ひどく希薄な存在。起きていても寝ていても、全く邪魔にはならない。一人でひっそりとただ静かにいるだけ。

 そのくせ、時おり妙に印象的になる。パズルに熱中している時、料理をしている時、本を読んでいる時、そして寝ている時。ふとした瞬間にそこに一枚の絵がある錯覚に陥る。

 空気が異なる。

 最初に見た幽霊画ほどの強烈さはない。それでも、惹き付けられてしかたがない。見いってしまう。その瞬間にしか見れない、一枚の絵に。

 絵が脳裏に焼き付いている。もったいない。もっと、見ていたい。そう、思った。

 放り出したままだったカバンに、手を伸ばした。










 □□□□□

 自己嫌悪で吐き気がしそうだ。

 わかっている。男云々ではなく、女に興味がなさそうと言われただけなのは。それでも、一瞬、頭が真っ白になって何も考えられなくなった。言葉が、勝手に出ていた。

 絶対に変に思われた。

 わけのわからない八つ当たりなんかして、うざいって思われた。きっと、出ていけって言われる。もっとここに居たかったのに。

 はっきりと言われたら出ていくしかない。それでも、それまでは少しでも長くここに居たい。図々しいってわかっているけど、自分から出ていく気はない。

 夕食は、いつもより早く作った。顔は合わせづらいから、すぐに食べられるよう用意だけしてソファに横たわる。

 いつ帰ってくるか、出ていけと言われるか、少しの緊張と共に待っていた。けれど、シキは帰ってこなかった。待ってる間に、眠っていた。

 ふと、目が覚めた時辺りは暗くなっていた。まだ朝じゃないとぼんやりと考え、それからすぐ近くに人の温もりを感じた。

 見ると、シキがテーブルの上に座っている。手元のノートを、真剣な表情で見つめて。何を、しているのだろうか。こんな所で。

 夢うつつのまま眺めていると、シキが顔をあげた。目が合う。ノートを見つめていたのと同じ眼差しで。

 どれくらい、そうして見つめあっていたのか、やがてシキが口を開いた。

「…………椿」

 その名で呼んでくれるから、ここが好き。居心地よさを感じる理由の一つには、この名前もある。

「モデルになれよ」
「……モデ…ル?」

 頭がまだちゃんと動いていないせいか、突然の言葉の意味がよくわからなかった。首をかしげると、なぜかシキは少し楽しそうな表情になった。

「人物画の練習、させろ」
「……人物画?」

 わけがわからなくて、更に首をかしげると、シキにノートを渡された。開かれたままのページに目を落とす。それはスケッチブックで、鉛筆で絵が描かれていた。

「……これ、オレ?……練習って、オレでってこと?」

 シキは笑みを深めて肯定した。

「……何…で?」
「お前の空気を描いてみたい」
「……くうき?」

 きっぱりと言い切られたけど、やっぱり意味がわからない。わからないけど、シキの表情を見てたら嫌だなんて言えなかった。

「……いいよ」

 クッションの上に頭を落とす。視線は交えたまま。出ていけって言われなかった。よくわからないけど機嫌も良さそうで、何だか安心したら激しい睡魔に襲われた。

「…モデル……やる」

 返事は半分夢の中だった。

 瞼を閉じる前、わずかに見えたシキの顔がすごく楽しそうで、何だかオレまで嬉しくなってしまった。





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