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早起きの理由




 朝方、寝返りをうつと、椿の後頭部が見えた。今日はこっちを向いていないのか。たまにこちらを向いて寝ている事があり、それを密かな楽しみとしていた。

 後ろ髪を一筋、摘まんでみようかみまいか毎回悩む。軽く引っ張ったところで、目を覚ますことはないように思えるのだが。それでも、悩む。

 前に触れた時の感触が、指の間によみがえる。薄闇の中、ぼんやりと椿の後頭部を眺め、やがて一つ息を吐く。もう一眠りしてしまおうかとしたところで、椿がもぞもぞと動いた。

 そうして、ゆっくりと起き上がる。

「……椿?」

 思わず、腕を掴みひき止めそうになった。

「……ん?」
「どこに行く?」

 寝ぼけ眼の椿が、首をかしげる。さらりと髪が揺れる。

「……せん、めん、じょ」

 そうではなくて。

 どう言えばいいのか、頭がうまく回らず言葉を紡げない。ただ、ひき止めなくてはとやけに焦りを感じる。

「もう、起きるのか?」
「ん」

 こっくりと頷き、椿がベッドから抜け出す。待てという言葉は、喉に張りつき出すことができなかった。パタンとドアが閉まり、寝室に一人取り残される。

 おいていかれたと、なぜかそう感じた。のばすことのできなかった手を、強く握りしめる。違う。ただ珍しく早く起きただけ。それだけのことだというのに。

 起き上がり、ベッドの縁に腰かける。ゆっくりと息を吐き出した。

 一体何をやっているんだ。もうすぐいなくなってしまうと、焦りを感じているのか。最初からわかっていたことだというのに。

 もう一度息を吐き、気を落ち着かせる。そうしてから、寝室を後にした。

「……珍しいな」
「ん?」

 洗顔を終えた椿に声をかける。目はしっかりと覚めたようで、けれど唐突な問いに不思議そうに首を傾ける。

「先に起きるの」
「あー…うん。でも、もう起きないと遅れるから」
「遅れる?」
「うん」

 どこか出かける用があるのだろうか。そんなことは聞いていないと、思わず眉をひそめる。第一、だとしても朝からなど珍しい。

 どうしようか少しだけ迷い、先ほどと同じ問いをする。

「……どっか、行くのか?」
「うん。学校」
「……学校?」

 視線をさ迷わせ、椿が答える。何を言われたのか、一瞬わからなかった。

「……何か、忘れられてるかもしれないけど、オレ、高校生。今年はちゃんと通うから」

 ちゃんと通うと、それは以前に聞いていた。けれど、今日もうとは。それで、まだここにいる。つまりそれは。

「ここから通うのか?」
「……こっちの方が近いから。ダメだった?」
「いや」

 そんなこと、あるわけがない。緩みそうになる口元を、手で隠す。

「……シキ?」
「時間、平気なのか?」
「あ、朝ごはん」

 入れ違うようにして、洗面所に向かった。

 そうして、朝食の席につく頃、椿は制服を着用していた。ジャケットとネクタイはまだ身に付けてなかったが。

「……制服」
「え?あ、うん。……ん?」

 描くのは、帰ってきてからでいいだろう。朝は、じっくり描く時間がなさそうだ。そうしようと一つ頷き、手をあわせ食事を開始する。

 わけがわからないと首をかしげつつ、椿も食べ始めた。

「今日、入学式か?」
「ううん。昨日。まぁ、今年入学するわけじゃないから、式にはでないでオリエンテーションから顔を出したけど」
「へぇ」

 なら、昨日疲れていたのはそのせいか。

「そうそう。昨日、向こうの家よろうと思ってて忘れたから、今日よってくる」
「遅くなるのか?」
「顔出してくるだけだから。そんな遅くならないよ」

 そうか、と頷き味噌汁に口をつける。

「担任は?」
「ん。ベテランの先生」
「あぁ、厄介な生徒だから。ベテラン先生つけられたのか」
「……厄介」
「厄介だろ?」
「……否定しきれない」

 悔しそうな様子の椿に、クツクツと笑う。

 よく休んだあげく、留年した生徒だ。それに、クラスでも浮いていただろう。問題行動がない分、厄介に違いない。

「まぁ、何事もなく、平和に過ごせるといいな」

 言って、椿を見ると、驚いたように瞬いている。

「……椿?」
「……ううん。何でもない」

 視線を伏せた椿は、ほんのりと楽しげに見えた。どうかしたのだろうかと思いながら、沢庵をかじる。

 朝食の片付けが終わり間もなく、椿は身支度を整えた。見慣れない制服姿。物珍しさが勝って、必要もないのに玄関まで見送りに行く。

「……何か、変な感じ」
「だな」

 こうして、椿を送り出すことなど今までにあっただろうか。大抵、オレが先か、一緒かだった。

「自転車か?」
「うん」

 じっと、見上げてくる。じっと、見つめ返す。

「……じゃあ、いってきます」
「ああ。気をつけろよ」
「ん」

 一拍の間のあと、椿が出ていく。パタンと閉じたドアを、しばらく眺めた。

 春になったら、学校が始まったら出ていってしまうと、そう思っていた。けれどまだここにいる。ここから通うのだという。それを聞いた時、嬉しさが込み上げた。まだ、この場を望んでくれている。傍にいることができる。

 けれど、タイムリミットがあるからこそ諦めていられた。多くを望まずいられたのだ。そのタイムリミットがなくなり、どうするか。と言うか、大丈夫だろうか。色々と。

 …………とりあえず、明日は今日より早めに目をさまそう。





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