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腕前




 ■■■■■

 ふぅと息を吐き、すぐ横に人の気配を感じた。

 見れば、何故か椿がいて、手元を覗き込んでいる。どうしてここにと、一瞬理解が追い付かない。

「……何してんだ?」
「……ん?シキが絵を描いてるの見てた」

 視線を上げ、わずかに首をかしげて答える。そうじゃなくてと言う前に、意図を察したのか再び口を開いた。

「あぁ、後で花見するって場所、見に行ってて。戻ろうとしたらシキがいたから」
「…………戻らなくていいのか?」
「大丈夫だと思うよ」
「ここにいても、つまらないだろ」

 先ほどまではトメやヤエと楽しそうに話していたではないか。ここにいても何かあるわけではない。退屈だろうに。

 椿は不思議そうに首をかしげた。

「シキが絵を描いてるの見るのは楽しいよ。それに、傍にいられるだけで……」

 それだけで充分なのだと、微笑む。

 胸が、言葉がつまった。幸せそうな表情。何か、言うべきでないことを口走ってしまいそうで。とるべきではない行動をとってしまいそうで、必死に頭を動かす。

「……そう、いや」
「ん?」
「……前にも、んなこと、言ってたな」
「……そうだっけ?」

 どうにか絞り出した言葉に、椿は思い出そうとする素振りを見せる。そうして、そうかもと、小さく笑みをこぼす。

「線が集まって絵になっていくの見るの、面白いし。シキの傍にいられるのは嬉しいよ」
「…………そうかよ」
「うん。そうなんだ」

 ふいと椿から視線を外す。

 何かを誤魔化すように、紙を一枚捲り新しいページを開いた。

 今の表情を描きとどめたいとも思ったが、他の奴にも見えてしまう形に残すのは何だかもったいない気がして、もて余す。誰に見せるわけでもないのに。

「…………たまには、」
「ん?」
「描いてみるか?」
「…………ん?」

 深く考えず、話題を変えるためだけに出した提案。椿は意味を理解し損ねたらしく、返答できずにいた。その様が小気味良く、わずかに口角を持ち上げる。

「見てるだけじゃ飽きんだろ?」
「そんなことないよ。楽しいよ」
「よく考えりゃ、見たことねぇし。ほら」
「いやいや、とても他人に見せられるような腕前じゃないし」
「腕とか関係ねぇだろ」

 いつになく焦る様子が愉快で、ほらとスケッチブックと鉛筆を押しやる。椿は当惑気味に、スケッチブックとオレとを見比べた。

「…………え?本気?」
「ああ。…………嫌か?」
「嫌って言うか……」

 恐る恐るといった体でようやく手にとる。それでも、どう扱っていいのかわからないといった様子が伝わってきて、愉快でならない。クツリと笑う。

「あまり、得意じゃなくて」
「絵がか?」
「そう。…………日常生活の中で絵を描くに迫られる場面なんてないと油断してた」
「何だそれ」

 あんまりな言いぐさに、クツクツと笑えば、椿も諦めたように笑みを浮かべた。

「本当に、他人に見せられるようなのじゃないから。笑わないでね?」
「ああ。どんなんだか見られれば、それでいい」

 見られながら描くのはやりづらそうだったので、一旦その場を離れた。悟たちのところに戻ってしまえば、再び抜けるのは難しくなるかもしれないので、近場をふらつき時間を潰す。

 欲を言えば、横で描いている様子を眺めていたかった。ただ、わりと無理を通した感があるので、少しでもやりやすいようにした方がいいだろうと。

 早く戻りたいと気が急く。どれくらいかかるのかがわからないからなおのこと。もうそろそろいいかと、足を向ける。温かい缶コーヒーを購入して。

 戻ると、椿はこれ以上ないってぐらい項垂れていた。悲壮感が漂っている。珍しいと思うものの、スケッチブックは当の椿が抱えているので描くことができない。

 ままならないなと思いつつ、目に焼き付けてから近寄った。

「…………椿」
「……あ、シキ。おかえり」

 上げられた顔はひどく虚ろだった。さすがに心配になる。

「大丈夫か?」
「……うん。大丈夫。……大丈夫だよ」

 とてもそうは思えない。

 とりあえず缶コーヒーを差し出しながら、隣に腰を下ろす。受け取った椿が小さな声でありがとうと言った。

「え〜…っと、……………………はい」
「あ?ああ」

 思いっきり顔をそらした状態でスケッチブックを渡された。

 何もそんなに思い詰める必要などない。特に腕前や技法など求めてはいないのだ。落書きレベルでも見ることができれば充分。むしろここでプロ並みのものを見せられた方が凹む。

 そう、考えながらスケッチブックを開いた。

「…………………………………………」

 何が、どうなって、こうなった。

 思考が固まったまま、しばしそれを眺める。どうにか動き始めてから辺りを軽く見回し、顔をそむけたままの椿を見る。そうして、もう一度それに視線を戻した。

「…………抽象画」
「ちがう」

 それはわかっている。それでもそう言いたくなってしまったのだ。おそらくは木なのだろうが、あくまでもおそらくはだ。

 本当に、何がどうなってこうなった。

「…………前に、似せるだけなら誰にでもできるみてぇなこと、言ってなかったか?」
「それは一般論」
「器用なはずなのにな」
「本当に、……もう、何でそうなるんだろう」

 本気でわからないと絞り出すような声に、視線を向ける。変わらず顔をそむけたまま。こちらを向かない。

「まぁ、これはこれで味あるな」
「慰めはいらない」

 ならこっちを向け。

 そう思ったのが通じたのか、ノロノロした動きでこちらを向いた。視線はスケッチブックに向いているが。

「どうして、見たまま描いたはずなのにそうなるんだろう」
「見たままなのか」
「見たままだよ。ちなみにそう見えてるわけじゃないから」

 そりゃそうだろう。

 ようやく椿が、恨みがましそうにではあるがオレに視線を向けた。その事に満足する。

「……だから、シキが描いてるの見てるとすごく不思議だよ」
「ちなみに、どれ描いたんだ?」

 椿が無言で指差す。さっき、オレが描いていたやつだった。あれがこうなるのか。

 何となしに紙を捲って前のページに戻る。

「見比べないでっ」

 悲痛な声が隣から聞こえた。





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