一日 他人と同じ部屋で寝起きするのを好まないのだったと思い出したのは、月都が寝入ってからだった。忘れていた原因はどう考えても椿。ここ数ヵ月、共に寝ていたせいで忘れていた。 好まないというだけで眠れないわけではないから問題ないが、翌朝は普段より早く目がさめた。月都はグースカと寝ている。それに呆れた眼差しを向けてから寝室を後にした。 「あ、おはよう」 「……おはよう」 ソファの上では、珍しいことに椿がすでに起きていた。毛布にくるまったまま座っている。目をさましたばかりなのか、まだ眠たげだ。 「あまり、寝れなかったか?」 「ううん。ちょっと、目がさめちゃって」 「そうか」 とりあえず洗顔を終えてから椿の隣に腰を下ろす。椿はこちらを向いて座っていて、背もたれに半身を預けている。 「……月都は?」 「まだ寝てる」 「そっか。朝ご飯どうする?」 「……起きてからでいい」 「ん」 小さく頷き、ゆっくりと息を吐き出す。そして、そのまま眠りに落ちてしまった。すやすや眠る姿をしばし眺める。それからスケッチブックに手をのばした。 どうせここで寝るなら、寄りかかってくればいいのにと思いながら。 月都が起きてきたのはそれから数十分後のこと。眠りは浅かったのか、ドアの開く音で椿は瞼を開いた。 朝食の席で月都はおとなしくしていた。おそらくは一晩たって、冷静になったため気まずさを感じているのだろう。昨夜のどこで寝るかの時点で大分、我に返っていたようだったが。 「……月都、今日はどうするの?」 「どう?」 「お昼も食べてく?それともその前に帰る?」 「あー…」 どうしようと、困惑の眼差しをなぜかこちらに向けてきた。悩んでいるということは、まだ帰りにくくあるのだろう。先延ばしにすればするほど、帰りにくくなるというのに。 短く嘆息し、椿に視線を向ける。 「……どうするもなにも、今日出かけるんだろ。こっちは気にせず行ってこい」 「え?」 「あー……でも、時間決めてないから午後でも平気だし。シキこそ出かけるって言ってなかった?」 それは、椿が出かけると言うから。何となく、家にいる気になれず、ならばどこかにスケッチにでも行こうと思っただけのこと。 なんとなしに視線をそらす。 「ふ、二人とも今日用事あんのか?」 「用ってか、向こうの家に顔だしにいこうと思ってただけだから」 「向こうの家?」 「うん。最悪、電話でも事足りるし」 七里塚の家に顔を出しにいくと告げられたのは、月の始め。光太の誕生日だからと、祝いの言葉を述べるついでに近況報告してくると言っていた。 今言った通り、電話で事足りるならいいが、午後に顔を出しにいくとしたら帰りが遅くなる。 桜子は今日、生徒会の仕事で登校している。夢子も仕事で、昼飯は月都一人だ。月都の昼を気にしているようだから、椿も聞いているのだろう。 「……シキも用事あんのか?」 「……ヒマだから、どっかスケッチしに行こうと思ってただけだ。用ってほどじゃねぇよ」 不安げに見上げてくる月都に、ため息を一つ溢す。 「どうせわざわざ一人で飯食うために帰るの嫌なんだろ」 「う」 「こっちで食ってきたいなら、そうすりゃいい」 「…………いいのか?」 「好きにしろ」 月都が嬉しそうに顔を輝かせた。聞かなくても答えがよくわかる。わずかに苦笑した椿が、口を開きかけた。 「じゃあ……」 「椿」 「ん?」 「昼飯ぐらい、どうとでもなる。だから、こっちのことは気にすんな」 気にせず、行きたいなら行けばいい。飯を作らなければなんて変な責任感を持つ必要などない。好きにして、いいのだと。 告げれば椿は瞬いた。 「……シキがお昼作るの?」 「あ?あー、まぁ、そうなるな」 口を開きかけ、けれど椿はふいと視線をそらした。 「……椿?」 「……じゃあ、お言葉に甘えて。当初の予定通り、向こうに顔だしてこようかな」 「あ?……ああ」 どことなく様子が変に感じられて、落ち着かない。なぜかわずかに寂しげな椿の気を、別のことに向けさせたくて唇を湿らす。 「……お前は」 「ん?」 「昼じゃなくて夕飯を気にしてろ」 言って、何となく視線をそらす。それでも様子が気になってちらりと見れば、数度瞬いた椿がふわりと笑みを浮かべる。 「うん。わかった」 その表情に、なぜか安心した。 椿が出かけてから、月都は写真集や画集を眺めていた。その姿を横目にスケッチブックを開く。ほぼ習慣で手を動かしていた。 ふと気づいた時には昼を過ぎていて。そういや椿はいないのだと思い出す。月都がいるし、抜くわけにはいかない。何か用意しなければと、スケッチブックを閉じる。 月都の様子を見れば、なぜか画集を開いたままぼんやりと宙を眺めていた。何やってんだ? まぁ、いい。 「……月都」 「うぇっ!?」 「そろそろ飯にするか?」 目を見開いた月都がコクコクと勢いよく頷いた。その頭を掴んで止めて、台所に向かう。 さて、何をどうするか。そもそも何があるのか。冷蔵庫を覗けば冷凍庫に飯があったので、チャーハンにでもするか。 飯を食って片付けを終えたら、月都はテーブルに突っ伏して寝てしまっていた。夜、しっかりと寝てたくせにまだ寝るのかと呆れつつ、そういや椿も最初の頃はしょっちゅう寝ていたのだと思い出す。いや、今も結構寝てるが。 「ただいま」 「…………ああ。おかえり」 椿が帰ってきたのは、もうじき日の暮れ始める頃。その頃には目をさましていた月都が、入れ違うようにして帰っていった。まだ、帰りにくそうにしていたが、これ以上先延ばしにはできない。どこか緊張しつつ帰った。 飲み物を入れてきた椿が隣に座り、一息つく。チラリとこちらの様子をうかがう。視線を前に戻し、椿は口を開いた。 「…………今、台所に行ったら」 「ん?」 「フライパンに、チャーハンが少し残っていたのだけれど」 「あ」 忘れてた。 適当に作ったら思いの外量が多くなってしまっていて。食べきれずに少しだけ残ってしまった。椿が帰ってくる前に、冷凍なりなんなりしとこうとしていたのだが、すっかり忘れていた。 「わりぃ。片付けとく」 「じゃなくて」 チラリと、再びこちらに視線を向ける。ならば何だと、眉をひそめた。 「その……食べてもいい?」 「…………今か?」 「いや、今食べたら夕飯食べれなくなるし……明日?」 「構わねぇが……」 むしろいつまでも残しとくわけにはいかないから、助かるぐらいなのだが。あぁ、そうか。残しとくと邪魔になるから早々に片してしまいたいのか。 こちらを見ず、前を向いたまま椿が言葉を続ける。 「……シキの手料理って、食べる機会ないから、ちょっと、食べてみたいなって」 「……オレの手料理なんか食ってみたかったのか」 「食事の支度はオレの仕事だから、作ってほしいとかじゃないけど、あるなら食べてみたいってか……」 「お前の飯の方がうまいのにか?」 「そういう……っ」 思わずといった風に、勢いよくこちらを向いた。 「ことを、どうして、さらっと」 「あ?」 「…………何でもない」 言っても無駄だというようにため息を吐かれた。意味がわからず顔をしかめる。 「……シキの手料理、食べたことないわけじゃないけど、ちょっと月都が羨ましかった」 「ん?あったか?」 「あったよ。お粥、作ってくれた」 「あー、そういやそんなことあったな」 「うん。おいしかった」 もう大分前のことに感じるが。 椿が懐かしげに微笑んでいる。何となく胸が暖かくなって、頬が緩んだ。 <> [戻る] |