違う。 ■■■■■ 二人きりにさせるのが面白くなくて、なかなか家を出る気になれなかった。出かけるからと来られたのだから、それで出かける気が失せてしまえば本末転倒だというのに。 ノロノロと支度をすれば、椿にいってらっしゃいと見送られた。何てことのないように。心乱されているのが自分だけだと思うと、事実そうなのだが、ため息の一つも吐きたくなるというものだ。 約束の時間にはもう間に合わない。わかってはいるが、ゆったりと歩む。急ぐ気にはなれない。大体、これぐらいの時間にといった大雑把なものなのだ。ずれたって、構いはしない。 のんびりと行く内に、住宅地を抜け繁華街にたどり着く。しばらく通りを進み、聞いていた目印を見つけると脇道へと入る。途端、人通りは減り、喧騒は遠く離れた。 教えられていた、ありきたりな名前の店のドアを開く。ざっと見回せば、すぐにトメの姿が見つかった。目立つから便利だ。 「遅かったな」 「ああ」 「わかりにくかったか?」 「いや」 答えながら、悟の隣に座る。適当に飲み物と食事を頼み、すでに来ていたつまみに手をのばす。 「聞いたか?」 「何をだよ」 「また口説かれたそうだ」 「へぇ」 「その言い方、やめろ」 「いい加減、観念しちまえよ」 「冗談じゃねぇ」 ヒクリと、トメが頬をひきつらせる。それを軽く笑い、再び皿に手をのばした。 「悪い話ではないんだろ?」 「悪かねぇよ。重てぇだけで」 「小心者」 「わりぃかよ。それにガラじゃねぇ」 グイッとグラスを空にしたトメが追加を頼む。 「重いだのガラじゃないだの言いながら、辞める気はないんだな」 「そりゃ……世話なってるからな」 「ならその恩返しとして受けてしまえばいいじゃないか」 「いやいやいや」 二人の会話を聞き流しながら、店内を見回す。外から見るよりも中は広く感じた。天井が高めだからだろうか。奥にはカウンターもあり、落ち着いた雰囲気になっている。居酒屋と比べることが間違いの気がするが。 二十歳になったら呑みに行こうと約束した。 賑やかな所よりは、こういった静かな所の方がいいのだろう。それとも落ち着きすぎだろうか。最初はもっと気楽な方が………。 ………最初は? 「そこまで気に入られることなど、滅多にないぞ。むしろ棚ぼたじゃないか」 「うまい話には裏があんだろ。いや、ねぇよ。ねぇんだよ。あった方が気が楽なんだっつの」 「何をワケのわからないことを」 「大体、何でオレの仕事の話になってんだよ。おい。シキ。何か別の話題ないか」 「………あ?………あぁ、そういや上のが去年食いに行ったつってたな」 「そりゃどうも。ってだから掘り下げんな」 トメの言葉にぼんやりとした思考が停止させられる。緩く頭を振ったところで、頼んでいた飲み物が届いた。 一口飲み、ふぅと息を吐く。 「オレの話はいいんだよ。それよか………そういやお前、今年はヤエからの受け取ったのか?」 「は?」 「いや、どんな手ぇ使ってでも食わすって意気込んでたからな。確か、ザッハトルテか」 「いいや。今年は誰からも………ザッハ…トルテ…だと?」 トメの言葉に悟は嫌そうに顔をしかめ、けれどみるみる内に強張らせる。しまいには顔を抑えて項垂れた。 どうやら、心当たりがあるようだ。 「………アレか」 「食ったのか」 「いや、違う。違うんだ。アレはそういうんじゃない」 「食ったのか食わなかったのか」 「食べたのはただのデザートだ」 面倒になり畳み掛ければ、勢いよく顔を上げた悟が力説する。 「だから違う。バレンタイン関係ない。たまたま、その日のデザートがチョコだっただけだ」 「………たまたまじゃねぇだろ、それ」 明らかに狙ってやったに決まってるじゃないか。なぁ、とトメに視線を向ければ、ひきつった笑いを浮かべていた。 「気づかなかったのかよ」 「……しばらく前から、やたら甘いものを用意するようになってて……最初の内は、警戒していたんだが……」 ガクリと項垂れた。 わざわざ油断するよう下準備してたのか。計画的な。 「……あ、しかも連日のように菓子作っときながら、チョコは十四日だけじゃないか」 「………来月ちゃんと返してやれよ」 「だから、そうじゃないんだ」 「いやいやいや。違うって言い張るの無理があるだろ。なぁ?」 「だな」 恨めしそうな視線を向けられたが、気づかぬふりでグラスの中身を減らす。 「アレをバレンタインチョコとしてカウントするぐらいなら、ゼロのままの方がましだ」 「そこまで……ってか、ゼロ?サキから貰ってねぇのか?」 トメの疑問に、悟は視線をさ迷わせた。 貰って、ねぇんだろうな。椿の言によれば、サエが用意することはなさそうだった。大丈夫だとも言っていたが、フォローはまだしていないのだろうか。 まぁ、関係のないことだが。 「………貰ってねぇのか」 「うるさい。サキちゃんはそういった浮わついたイベントには興味ないんだ」 聞いた限り、クリスマスだの花見だのイベントごとは楽しんでるようだったが。椿も、それに参加していたが。 「………楽しみに、してたのに」 「………だったら自分がやりゃあよかったじゃねぇか」 「は?」 悟が間の抜けた声を出す。 「貰えなかったんなら、自分が渡せばいいだろ」 オレみたいに。 言いかけて止める。眉間に力がこもる。 違う。あれはそんなんじゃない。手をぎゅうと握りしめる。そんなんじゃ、ない。 糖分が欲しいから買っただけ。一粒二粒で十分だったから、捨ててしまうのがもったいなかったから。だから、渡した。ちょうど、椿も疲れているようだったし。 第一、日が違う。だから、それなら気にせず受け取ってくれるんじゃないかと。そんなことを思っておきながら、一体何が違うと言うのか。呆れ果ててモノも言えないとはこの事だ。 「逆チョコか」 「………ああ」 伝わらないように、覆い隠して。それでも、どうしても渡したくて。貰えるわけなどないのだから、事実貰えなかったから、だからせめて代わりにと。 思考を振り払うように、アルコールを摂取した。 頼んでいたメニューが届く。食事をして、軽い会話をして、酒を呑む。それでも、家に残してきた椿のことが気にかかって仕方がない。 今頃、何をしているのか。夕食は何だったのか。ヤエと、何を話しているのか。 「………帰る」 「は?」 食べ終えたところでガタリと立ち上がり、短く宣言する。 「まだ早いだろ」 「帰る」 「………酔ってんのか」 酔ってねぇよ。 トメの言葉を笑い飛ばす。財布から金をとりだし、テーブルの上に置いた。 「んじゃ、お先」 「あ、おい」 制止の声は聞かず、店を出る。夜風が冷たく気持ちよい。心待ち早足で、帰途についた。 <> [戻る] |