Bitter chocolate □□□□□ 振り上げられた手を、黙って見つめていた。 よけるべきでないとわかっていたから、受け入れた。頬に走る痛み。叩くことに慣れていないからか、うまくあたらず爪が引っかかった。 叩いた本人は、一瞬どうしようと後悔の色を浮かべて、すぐにくしゃりと顔を歪ませた。 あぁ…泣かせてしまった。 ぼんやりと思った。 悲しませてしまうことはわかっていた。できれば、合格が決まってから告げたかった。本命の入試自体は終わっていて、発表待ちだから大丈夫だろうか。これが原因で、試験に集中できず落ちてしまったら目もあてられない。 それでも、笑顔で差し出されたチョコを受けとることはできなくて。 どうせ振り向いてもらえないとわかっているなら、付き合うわけでないなら別れる必要なんてないじゃないと。他の人を好きでもいいからと言われても、頷くことはできなかった。 だって。 シキを好きだと気づいてしまったのだ。いくら振り向いてもらえないとわかっていても、そんな状態で他の人と付き合えるわけない。他の人と付き合っている状態で、シキの近くにいたくない。 なんて、自分勝手。 家に帰ると、シキはリビングにいて。ベランダの戸を開け、外を眺めていた。振り返ったシキが、僅かに目を見開いて。 あぁそうだった。叩かれたって、わかるよね。赤みが引いてから帰ればよかった。でも、少しでも早くシキの顔を見たくて。 頬にのびかけた手は、寸前で止まってしまった。その事をひどく残念に思う。けれど、仕方がない。同性に恋情を向けられるなど、気持ち悪いに決まっているのだから。 それなのに、シキは否定の言葉を口にしない。 他の人を、シキを好きになったから別れてきたと告げても。そうかと、それだけ。気まずそうに顔をそらされはしたものの、嫌悪感を表には出さない。 その優しさに、甘えてしまう。 追い出されないから、傍にいることを許してくれるから。だから、自分から離れるなんてできなくて。 変わらずに、オレの作ったものを食べてくれて。手に、触れて、同じベッドで寝てくれる。嫌だったら、シキはきちんと言う。げんに、男からのチョコはいらないと、はっきり言われた。 だから、本当に、構わないと思ってくれているのだろう。 なかったことにされたのかもとも考えたけれど、そうではないようで。時おり、ぎこちなさや距離を感じることがある。少し寂しいけれど、まぁ、仕方がない。嫌だったら、最初から言わなければよかったのだから。 コーヒーを用意して戻れば、シキはソファに座っていた。どことなくかたい表情をしていて、声をかけるのが少し躊躇われる。何か、考え事だろうか。それとも、オレが告げた言葉のせいだろうか。 緩くかぶりを振り、思考を追い払う。大丈夫だと言い聞かせて、カップを置いた。 「………シキ」 「あ?………あぁ…ありがとな」 「ううん」 隣に腰かけ、コーヒーを一口飲む。 シキはどこか緩慢な動きでカップに手をのばした。すぐに飲むことはせずに、暖をとるようにカップを手で包み込んでいる。やっぱり、心ここにあらずといった様子で。 何となく落ち着かなくて、視線をさ迷わせる。カバンが、目に入った。 「あ」 「………ん?」 すっかり忘れてた。ついさっきのことなのに。 カバンに手をのばし、中からシンプルにラッピングされた包みを取り出す。そしてシキに差し出した。 「これ」 シキが僅かに目を見開く。 「桜子ちゃんから」 「あ?………あぁ…何だ。……ん?会ったのか?」 なぜか、落胆の色が見えた。受け取った包みをしげしげと眺め、すぐに興味がないとばかりにテーブルの上に置く。 「うん。さっき下で偶然。シキ、今日どこか出かけてた?」 「いや?」 「一度、来た時、誰も出なかったって言ってたから」 「あー…気づかなかった」 「そっか」 じゃあ、きっとまた、絵を描いていたのだろう。集中してると、周りが見えなくなるみたいだし。 でも、そっか。一日中家にいたのか。なら、シャーウッドには行っていない。六郷さんには、会ってない。それはつまり、義理チョコも受け取っていないということで。 喜ぶべきことじゃないのに、ホッとしてしまった。 「食うか?」 「ん?」 それ、とシキが先ほど渡したチョコを示す。 「でも、オレももらったから」 「………受け取ったのか?」 「ん?うん。シキのは義理で、オレのは友チョコって言ってた」 「………そうか」 どうか、したのだろうかと首をかしげるが、すいっと視線をそらされてしまった。そのまま、何か言葉を飲み込むように、シキがコーヒーに口をつける。 「………毎年、貰ってるの?」 「ああ。……お前は?姉からとか」 「うん。貰ってる」 直接渡されるよりも、忍経由になることが多いけれど。 「サエからもか?」 「サエさん?サエさんは貰う側だから」 「ん?」 ようやくこちらを向いたシキが、怪訝そうな表情を浮かべる。まぁ、それが普通の反応かと苦笑した。 「サエさん、渡す側じゃなくて貰う側だから」 誰かに渡したという話は、一度も聞いたことがない。付き合っている人がいてもだ。 しばらく眉を寄せていたシキは、やがて合点がいったのかため息をついた。 「悟、期待してんじゃねぇか?」 「んー…」 どうなんだろう。 でも、どうしてもサエさんが用意して渡してるとは思えない。てか、そんな姿は想像できない。 かといって、落胆させてそのまま放置はしないはず。 「……大丈夫じゃないかな」 疑わしげな眼差しを向けられても。苦笑するしかない。 「大丈夫だよ」 きっと。 重ねて言えば、まぁいいというように肩を竦められた。そしてテーブルの上に放置していた包みに手がのびる。 「………椿」 「ん?」 「お前の………」 「うん」 「………いや、何でもねぇ」 何かを振り払うかのように、シキが頭を振る。包みを解き、チョコを一粒口にした。 その様子を、何となしに眺める。女の子からのだったら受けとるんだと、ぼんやり思いながら。それは、普通のことなんだけれども。 カバンから、もう一つの包みを取り出す。シキのと同じラッピング。中身も同じで、トリュフチョコがきれいに並べられていた。 一粒を指でつまみ、チラリと隣を盗み見る。視線はあわなかったけれど、シキもこちらを見ていて。つまんだチョコを、口に含む。 シキは、普段あまり甘いものを食べない。そのシキに渡すのと一緒に作られたチョコは甘さ控えめで。口の中に苦味が広がった。 <> [戻る] |