浮き沈み ■■■■■ 想う相手に好きだと言われて、平静でいられるわけなどない。 例え、その好意の意味合いが違ったとしても。 朝食の席で、椿に好きだと言われた。何てことないように。もののついでのように。ふと、思い出してといった様子で。 前置きにあった通り、椿にしてみれば大したことではないのだろう。深い意味などないに違いない。すぐにそうとわかるはずなのに、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。 どうにか一言返し、けれど頭は動かないまま。 椿は何事もなかったかのように食事を終え、食器を片付けていた。感情はあとからじわじわと込み上げてきて。本当に、どうしていいのかわからなくなった。どうする必要も、ないというのに。 特別な意味じゃない。 その言葉の時こそ、やけに優しい表情をしていた。だが、後はいたって普段通り。今日は晴れたねだとか、花が咲いただとかと同じ、他愛のない会話の一つだったのだろう。 浮かれる必要はない。好意的なのはわかっていたこと。それを、直接言葉で伝えられた、それだけで。 変に思われはしなかっただろうか。過剰反応していなかったか。言葉につまったことに、動揺したことに気づかれてなければ良い。気づかれるわけにはいかない。 知られてしまえば、きっとすぐに出ていってしまう。どうせ、もうじきいなくなるのだ。ならせめて、それまでは。今のままの距離を保てれば。ほんの少しでも長く。 気にするべきじゃない。そう、わかってはいる。けれど、 想う相手に、好きだと言われたのだ。 その言葉が、表情が離れない。それは決して、自分のとは同じでないけれど。同じに、変質することはないけれど。それでも。 気分が浮かんでは沈む。 膝の上についた手に、額を押しあてて俯く。 「………帰りずれぇ」 「ケンカでもしたのか?」 ならばとっとと追い出してしまえと、そう言いながら悟が隣に腰かける。カタリと、カップを置くのが視界の端に見えた。 「………そんなんじゃねぇよ」 「なら一体どうしたんだ?そんな重苦しい空気で。あれが何かしでかしたんじゃないのか?」 「そんなんじゃ、ねぇ」 しでかしたと言えばしでかしたのだが、椿には何も問題はない。気にする方がどうかしているのだ。 変につつかれたくはない。組んだ手の上に顎をのせ、納得できずに顔をしかめる悟をじとりとねめつける。 「じゃあ、何なんだ」 「………何でもねぇよ。ただ」 ただ、何なのか。言えるわけなどない。他愛ない言葉に動揺してるなど。言う、必要がない。 「ただ?」 緩く頭を降り、拒否を示す。 「何でもねぇ」 話すつもりはない。カップに手をのばし、普段より苦く感じる液体を一口、飲み込んだ。 帰りたい。 早く帰って、思うまま椿の絵を描きたい。手が疼いて仕方がない。けれど、どう接すれば良いのかがわからなくて。いや、どうする必要もないのだ。 普段通りに振る舞うことができるだろうか。何か、余計な言動をして、気づかれてしまったら。調子にのって、下手に距離を詰めすぎてしまったら。そう考えると、顔をあわせずらい。 「………シキ」 「あ?」 「帰りたくないなら、泊まってくか?」 何でそうなる。 大体、帰りにくいだけであって、帰りたくないわけではない。呆れてそう告げようとしたところで、インターホンの音が鳴り響いた。次いでガチャリとドアの開く音。 前にも似たようなことがなかったかと視線を向ければ案の定。サキがひょっこりと顔を出した。 「悟ー…って、シキもいたんだ」 「え?シキも来てんの?」 その後ろからはヤエが。二人とも、手には買い物袋。カラッと笑ったサキとは対称的に、ヤエは微妙な表情を浮かべる。他人の顔見てどういう表情しやがんだ。 「………何で二人が一緒に来るんだ」 「えー?さっき外で会ってさぁ。一人で買い物寂しいつーから付き合ったげたんだよ、ね?」 「………え?あぁ…うん」 睨むようにしてこちらを見ていたヤエの視線が、サキに声をかけられて外れる。それでもまだ意識はこちらにあるようで、生返事になっていた。 「何?悟、ヤキモチ?」 「そ、そんなわけない」 「何だ。妬いてくれないんだ?」 「っ!?」 サキが悟をからかってる間も、ヤエはチラチラとこちらを気にしている。平素なら、その悪ふざけにのっかってるというのに。 「……んだよ」 「えっと…いや…その、シキ、さぁ」 「あ、ヤエごめん。玉子割れてる」 「えっ!?」 何か言いかけたヤエを遮るように、サキが声をかける。その内容に、ヤエは勢いよく振り返り、袋をひったくった。 「あ…あ…あぁー…」 「全滅はしてないから、まぁ、よかった」 「よくない!だから気を付けてって言ったのに!てかサエに持たせたくなかったのに!」 「あはは、ごめん。ごめん」 「うわぁー…」 袋の中を覗き込んだまま項垂れている。 一体、どういう持ち方してきたんだ。普通に歩いてきたんじゃないのかよ。ふと隣を見れば、悟が遠い目をしていた。諦めの浮かんだその眼差しとヤエの言葉に、何となくこれは想定の範囲内なのだとわかった。 「ははは。詫びにそれ卵焼きかなんかにしようか?」 「やめて!台所壊れる!」 「えー?」 「えー、じゃない!絶対入ってこないでよ」 そう、言い捨てヤエが台所にかけていく。つか、台所壊れるって何だよ。確か、以前椿もサキの手伝いを断っていたが。 「あー行っちゃった。……悟。これ」 「ん?」 「渡してきて。ほら、あたし今、立ち入り禁止になったから。ついでに何か温かい飲み物お願い」 「ああ。わかった」 ヤエが置いていった方の買い物袋を受け取り、悟も台所に向かう。さて、とソファに腰を下ろしたサキと入れ違うように、立ち上がった。 「ん?シキ、もう帰るの?」 「………ああ」 帰り、ずらいという思いはまだある。普段通りに振る舞えるかもわからない。 けれど、ここはもう煩いことになりそうだ。疲れるのがわかっていて長居したくはない。 「椿ももう帰ってるし?」 「………あ?」 それは、まるで椿が出かけていたみたいじゃない。 いや。出かけてて悪いことはない。どこで何をしてようが、それは椿の自由だ。わざわざ、オレに、報告する必要も、ない。 だが、なぜこいつが知っているのか。 心を読んだように、サキの目が細くなる。笑みを、浮かべる。 「あぁ、さっきまで一緒だったんだよ。椿も」 「………そうかよ」 クツクツと笑う様に顔をしかめる。何がおかしいというのだ。 一つ息を吐き背を向ける。悟に声をかける必要はないだろう。早く、家に帰りたくなっていた。 想う相手に好きだと言われた。その言葉が表情が離れない。けれどそれは、サキやヤエなどに向けてるのと、同じなのだ。 手を、握りしめる。 毎晩触れている手の感覚。いつか触れた髪の感触を握りしめるように。チリリと、指先が、胸が焦げる。 <> [戻る] |