報告 「これ、辞書に載ってないんだけど」 「どれ?」 「これ。ほら」 「……あぁ、うん。読みが違うね」 「え?」 シキが大学に行くのを見送って、掃除を終えてからソファの上で音楽を聴いていた。気づけば眠ってしまっていて、目を覚ましたのは昼を大分過ぎた頃。 何となしに携帯を見れば、ヤエからわからないとこがあるから教えてほしいとメールがきていた。そうして今、先日の図書館のラウンジにいる。ついでとばかりに自分のも持ってきて、一緒に勉強していた。 「漢字から調べれば出てくるはずだよ」 「えっと…」 電子辞書を真剣に見つめる姿に、微笑ましさを感じる。 一人でいると、どうしても今朝のことを思い出してしまう。だから、ヤエに声をかけてもらえてありがたかった。気が紛れるし。 「あ、あった。ありがとう」 ヤエが顔を輝かせるのを確認して、手元の問題に視線を戻す。 時折、質問に答えながら、問題を解いていく。ある程度進み、もう少ししたら終わりかなという頃、ヤエがポツリと呟いた。 「……いいなぁ」 「ん?」 どうしたのだろうと顔を上げると、ヤエがこれとテキストを見せてくれた。 「花見」 「……あぁ」 「春になったら花見したいな」 「楽しそうだね」 「でしょ?」 シキは混むからと敬遠しているようだったけど、楽しんでる人たちを見てると、こっちまで楽しくなってくる。 「椿は去年花見とかした?」 「うん。今年ももう……」 言いかけて、止まる。言おうか言うまいか、なぜか迷ってしまって首をかしげたら、ヤエも同じように首をかしげた。 「予定あるの?」 「ううん。……もう、した」 言いよどむようなことじゃない。続きを口にすると、ヤエの首の傾きが大きくなった。 「まだ、咲いてないのに?」 「うん。桜じゃなかったから」 ヤエが不思議そうに瞬く。 花見といえばやっぱり桜で、オレも最初に聞いた時は驚いた。その驚きよりも、誘ってくれた嬉しさの方が勝っていたけれど。 「桜じゃないのに?………あ、もしかしてシキと?」 「………うん」 答えた途端、ヤエの顔が輝く。その反応の意味も、どうしてわかったのかもわからず戸惑っていると、片方には答えをくれた。 「去年、確か変な時期に花見したとか言ってたからさ。そっか。桜じゃなかったんだ」 ヤエがしきりに納得している。 「何の花?」 「梅。もう結構咲いてて、きれいだったよ」 「へぇ。あぁ…でも観光名所になってるとこもあるんだっけ?……二人で?」 「………うん」 「オレも悟とデートしたいなぁ」 「デートて」 まぁ、いつもの冗談なんだろうけど。思わず、ふぅと息を吐いてしまった。 「……そうなら嬉しいけどね」 「………え?」 「あれ?サエさん?」 ふと、視界の端に見慣れた姿が映った。名を呟けばこちらに気づき、片手を上げて挨拶してきた。ので、こちらも片手を上げる。 「イ……椿にヤエ?何してんの?」 「勉強」 「偉いねぇ。って、ヤエ?どうかした?」 なぜか呆然としていたヤエが、サエさんに声をかけられ我に返った。 「え?………あ、ちょっと混乱しててって、サエこそここで何してんの?」 「着替え?」 言いながらサエさんは隣に腰かける。 荷物を見る限り学校帰りなのだろうけど、サエさんは私服を着用している。ここのトイレかどこかで着替えたということなのだろう。 「これから悟んとこ行くんだけど、家寄るの面倒でさ」 「へぇ……オレも後で夕飯作りに行く予定だよ」 「あ、そう。じゃあ、また後で」 「せっかくだから一緒に行こうよ」 「別にいいけど…」 言いながら、サエさんがオレの手元のノートを覗き込んできた。 「学校行ってないのに勉強とか、物好きだね……ここ、ちがくない?」 「ん?………あ、本当だ。ありがとう」 示されたところをよく見れば、確かに違った。単純な計算ミス。一度消して、書き直す。 ヤエが、首をかしげてこちらを見ていた。 「………サキって、もしかして勉強できんの?」 「もしかしてって何さ。赤点とらないぐらいにはやってるよ」 「赤点て。平均とれてるのに」 モノによってばらつきはあるけど、大体平均以上はとれていたはずだ。たまににサボることはあるけど、授業に出るときは真面目にしてるらしいし、サボった分はちゃんとノートを借りたりしている。 素行はよくないけど、学校ではわりと真面目な方に見られてるらしいと、以前に未紗さんが言っていた。 「オレと同じレベル……とは言わないけど、勉強嫌いだと思ってたのに」 「嫌いだよ。でも学費払ってんだから、元はとらないと」 あ、耳に痛い。 「でも、ま、だからわざわざ不快な思いしに行く必要もないけどね」 意味ありげな視線を向けられてしまった。 何だろう。知らないはずなのに、気づいているのだろうか。まぁ、サエさんは口を出してきたりはしないからいいのだけど。 「……そうだ。サエさん後で……は無理か。今度いつ会える?」 「ん?いつでも会えるけど。何かあんの?」 「ちょっと、話があって」 「今は?」 「………オレ、席はずそうか?」 カタリと立ち上がったヤエをじっと見つめる。 少しだけ、考える。わざわざ聞いてもらうようなことじゃない。だからといって、隠すようなことでもない。いや、あまり公言できるような内容でもないけど。 でも、ヤエなら大丈夫、かな。引かれる心配はないはずだ。何たって、サエさんとそれなりの付き合いあるし。 「大丈夫」 「そう?」 腰を下ろすのを見届けてから、サエさんに視線を戻す。頬杖をついたサエさんは、楽しげな笑みを浮かべていて、なぜだかこれから言おうとしていることを、知っているようにすら見える。 その眼差しを受け、どう言えばいいのか今更ながらに悩む。本人に対するよりも、緊張があった。 「で?何?」 「うん。大したことじゃないんだけど、シキのこと、好きになった」 「ん。知ってる」 そっか。やっぱりか。 深まった笑みを前に、納得してしまった。 <> [戻る] |