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茶の席




 本格的な茶室で提供されたのは、略式な茶の席だった。

 きちんとした茶会に出席したことはない。それでもどうにかなんだろと気楽に構えていたら、本当にどうにかなってしまった。一度ぐらいは正式な茶会に出席してみたいとも思っていたが、まぁいい。

 茶室に至る道はなかなかで、庭の方もじっくりと見てみたい。どのみち他人の庭先に居座り描くわけにいかないから、目に焼き付けておく他はないのだが。

 普段より歩みの遅い椿に合わせて足を動かす。おかげでじっくり観察することができた。

 通された茶室に椿と二人きり。どうやら他に客はいないようだ。床の間の掛け軸を眺める内に、主が姿を表した。

 軽い挨拶を済ませ、お茶がたてられ始める。

 流れるようなふくさ捌き。空気が研ぎ澄まされる。一つ一つの動作が丁寧に確実に行われる。やはり、違うな。道具もいいし。

 あの茶釜、近くでじっくり見てぇな。茶筒も、直に触れてみたい。

 ゆっくりと茶筌が抜かれ、横に置かれる。茶碗が椿の前に置かれた。

 そうか。回し飲みかと今更ながらに気づく。だからどうしたと言うわけでもないが、こう、後ろめたい気持ちになる。なんら疚しいことをしてるわけでもないんだが。

 椿の手がのび、茶碗を持ち上げる。凛とした空気。綺麗にのびた背筋。切り取られたように、一枚の絵になる。

 惜しい。

 ここが茶の席でなければ。せめて他人の家でなければ、今すぐに筆を取り、そして紙に描き写すのに。ただ、瞳に焼き付けることしかできない。

 唇が茶碗から離れ、小さな吐息が溢れる。その震える空気を、落ちた睫の影を見逃してしまわぬように、息をつめて見つめていた。

 ふっと、椿の視線がこちらに向き、目が合う。数度瞬いた後、一度視線が外れる。再びこちらを向くと、何か言いたげに唇が開き、けれど言葉を紡ぐ前に閉じてしまった。

 そっと回されてきた茶碗を手にとる。

 先程、椿が口をつけたのだと意識しないよう気をつけ、茶碗を回す。いくら飲み口を拭ってあるとはいえ、それでも。

 記憶をたどりながら、手を動かす。案外覚えているものだ。流派が違う気はするが、この際それは置いておく。口の中に広がる渋味に、目を細める。脳裏をよぎった横顔に、懐かしさを感じた。

 飲み終えた茶碗を畳の上に置く。何か口上があったはずと椿に視線を向けるが、なぜか顔をそらされた。

「お疲れさま。足をくつろげても構わないよ」

 不意にかけられた言葉で、張りつめていた空気が緩む。これで終了なのだとわかった。声の主は、ニコニコと笑いながら道具をまとめている。

 一息つくのを待ち、椿が口を開いた。

「………香さん、この人が四季崎史規。今お世話になってる人」

 名前が出たところで、相手の眉がピクリと動く。知っているんだなとわかった。珍しい名だし、気づく奴はまぁ気づく。左京もそうだった。

 できれば、触れないでほしいが。そう思う内に、それでと椿が向きを変える。

「シキ、この人は千条寺香さん。お茶の先生で………」

 言い淀み、一度視線を千条寺に向ける。どうかしたのかと眉をひそめる前に、続きが口にされた。

「色々とお世話になってる人」
「…………はじめまして」
「はじめまして。四季崎君、お茶の経験あるのかな?」
「………祖母が、家でたまにたてていたので。正式な所作や流派などは知りませんが」
「あぁ、やっぱり。通りで」

 ということはやはり流派が違っていたのだろう。まぁいい。すでに済んだことだ。

 千条寺の名は、聞いたことがある。どういう知り合いかとかなり気になるところではあるが、口を濁していたしあまり話したくないのだろう。

 ちょっと失礼と言って、千条寺が道具を持って部屋を後にした。襖がしまる音を聞いてから、ふぅと息を吐いた。

「…………緊張してた?」

 問いかけに視線を向ければ、椿が微笑を浮かべて首をかしげていた。それに笑い返す。

「正式じゃねぇとはいえ、こういった場は初めてだからな。慣れてねぇ」
「の、わりには余裕に見えたけど」

 なら良かったと、喉の奥でくつりと笑う。

「お前は?」
「何度か。………それより、シキのお祖母さんってお茶やってたの?」
「らしいな」

 茶会に出席する姿など見たことなかったが、忘れてしまわぬようにと時おりたてていた。久しぶりに飲んだせいか、当時を思い出した。

 今度、家でも飲むか。確か抹茶はあったはず。菓子は今の季節なら寒椿がいいだろう。椿はどんな顔をするだろうか。もう少しすれば、梅もある。めでたいことがあるわけでもないが、紅白揃えても良い。

「もしかして花もやってた?」
「よく生けてたな」

 季節の植物を生けては飾っていた。だが、どうしてそんなことをと疑問に感じ視線のみで訊ねれば、椿は緩く首を振った。

「………シキが、正月に生けてたから。それで何となく」

 そういや確かにそんなことをしていた。門松を飾る気はなかったが、何もないのも味気なく感じ。

「シキって、もしかして………」
「お待たせ」

 千条寺が戻ってきて、椿の言葉が途切れる。続きが気になったが、見れば椿の視線はすでに外れていた。続きを口にする気はないようだ。

 もしかして、何だったのだろうか。

「ここで申し訳ないけど、母屋の方はちょっと騒がしいから」
「いえ。気にしないでください」

 湯飲みが三つ置かれ、急須からお茶が注がれる。

「はい」
「ありがとうございます」

 湯飲みを受け取り、一口飲む。

「四季崎君は友也君と親しいんだってね」
「…………まぁ」

 親しくはあるのだろう。少なくとも共に暮らしていれば、周りからはそう見える。

 何となく、椿の様子をうかがえば湯飲みで暖をとっていた。その手に、注目しそうになるのを千条寺の声が遮る。

「友也君に、こんな年の離れた友達がいたなんて知らなかったな」

 それはこっちのセリフだ。あんたにゃ言われたくねぇよ。どう考えてもオレより年上だろうに。椿と、どんな接点があるってんだ。

 それとも、こいつも左京の友人かなんかなのだろうか。あの電話の相手のように。むしろ、いや、それはないか。あの電話の時の態度と、今の態度は違いすぎる。同一人物のわけがない。

「………香さんだって、年離れてるし」
「そっか。それもそうだね」

 楽しそうに笑う千条寺に対し、椿は苦笑してみせた。

「でも………」

 すっと千条寺の手がのびる。椿の髪に触れ、そっとすく。椿は黙ってその手を受け入れていた。

「ただの友達扱いなんて、寂しいな。僕はもっと親しいつもりだったんだけど」

 その眼差しに、手つきに、セリフに硬直する。その態度はどう見ても、いやそんなはずない。自分がそうだからと言って、他の奴までそういう目で見てるとは限らない。

 現にサキや光太だって椿に触れていたじゃないか。こいつがどういう立ち位置なのかは知らないが、きっとあれらと同じはずだ。

 オレだって、月都の頭を撫でることがある。別段、おかしなことじゃ、ない。

 それでも、曖昧な返答をする椿の様子を見てたくなくて、視線を落とす。指先がチリリと熱を帯びる。胸がわずかに焦げる。

 不快感をごまかすように、湯飲みに口をつけた。





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あきゅろす。
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