試着 □□□□□ シキの触れた所が熱い。 髪に神経など通っていないはずなのに、なぜ熱さを感じるのか。気になって仕方がなくて、誰もいない時にこっそり、真似してその場所を摘まんでみる。 自分で触れてみてもやっぱり温もりなどは感じられなくて。どうしてなのだろうと考えるほどに、髪が、触れるほどに近づいていた頬が、胸が熱を帯びる。 どうしてだろう。 どうして、教えてくれたんだろう。その問いには答えてもらえなかったけれど。嬉しいと感じてしまった。別れたと聞いて。 すぐにそんな自分に嫌気がさして。次いで、辛くなった。やっぱり、諦めきれないんだって。忘れられないほどに、六郷さんのことを想っているんだって。 どうせ無理なら、さっさと諦めてしまえばいいのに。それが難しいのだとわかっていながらそう思ってしまう。しかもそれはシキのためなんかではなくて、自分が嫌だからに他ならない。 いつの間にこんなになついてしまったのか。刷り込みの自覚はあったけれども。こう、実の兄を慕うかのような。とられたくないとでも思っているのだろうか。オレの兄なんかじゃないのに。昔の光太みたく。 「………」 ソファの上、膝を抱き締める腕に力をこめる。膝小僧に額を押し付けて、ため息をついた。 なんだかなぁ。 いくら考えてもわからなくて、割りきることもできない。もういっそのこと、気にしなければいいのだろうけど。 髪を一筋摘まんで、引っ張ってみる。 シキがしたように。指の間の髪の感触。シキが、触れていた所。髪が、胸が熱くなる。 何が、したかったのだろう。ゴミが付いてたなんて、そんなの口実にしか聞こえなかった。どうしてか、楽しそうに見えて。 楽しみに、してるって。 隣においた風呂敷に視線を向ける。裾上げが終わって、受け取ってきた浴衣。これを着た絵をと頼まれたらしい。詳しくは聞いてないけど、時おりこのように頼まれて描くことがあるらしい。 楽しみに、してるって。 本当に絵が好きなんだ。それで少しでも気が紛れるならいい。描いている間だけでもオレのことを見てくれるなら。六郷さんではなくて。 腕を伸ばし、風呂敷の結び目をほどく。 白い浴衣。その生地を撫でる。よくこんな生地があったなと思うような柄だけれど、手触りだけはすごくいい。 どんな絵になるのだろう。どんな絵を描くつもりなんだろう。 あの深紅の着物の絵のように、心揺さぶられる絵になるのだろうか。 早く見てみたいな。 「……………」 風呂敷ごと、荷物を持って脱衣所に向かう。何か、落ち着かなくて、シキが帰ってくるまでまだ少し時間ある。だから、それまでにどんな感じか一度見ておこう。 服を脱ぎ、浴衣に袖を通す。帯を締め、洗面台の鏡に向き直った。 変じゃないだろうか。大丈夫かな。せっかく楽しみにしているのに、似合わなかったら申し訳ない。腕を広げてみたり、後ろを向いてみたりして確かめる。 普段あまり白を着たりしないから違和感があるけど、多分大丈夫…かな。どうなんだろう。 睨むようにして浴衣姿の自分を見ていると、どんどんわからなくなってくる。頭がパンクしそうになる前に止めようと息を吐き、鏡の中のシキと目が合った。 「………おかえり」 「ただいま」 何となく気まずくて、動けなくなる。いつの間に帰ってきたのだろう。鏡の中のシキは、腕を組んで出入口の所に寄りかかったまま。その唇が、フッと緩んだ。 「気に入ったのか?それ」 「シキが…」 「ん?」 「楽しみにしてるとか言うから。似合わなかったら困るなって」 何か、浮かれてるところを見られたみたいになってしまった。そんなんじゃないのに。誤魔化すように憮然とねめつけてみたけど、シキは楽しそうにクツクツと笑うだけ。 「………早かったね」 「最後のが休講になったからな」 「そう」 とりあえずもう着替えてしまいたいのだけれど、シキの動く気配がない。どうしようかと考えかけ、手洗いうがいがまだなのだと思いいたった。 脇に退くと、シキが洗面台に向かった。先程脱いだ服を無意味に広げたり畳んだりして時間を潰す。 蛇口を閉める音。そろそろ出ていくかなと待っていたけれど、いつまでも出ていく気配がない。振り返ってみると、シキが不審そうな表情でこちらを見ていた。 「何?」 「何やってんだ?」 「え?あぁ…着替えようかと思って」 一瞬、手にとったままの服に視線を落とし、すぐにシキに戻す。ほぼ無意識の行動だけれど、言われてみれば変なことをしていた。 「着替えんのか?」 「うん」 「風呂、入るんじゃねぇのか」 「ん?」 「浴衣」 「浴衣?」 いたずらを思い付いたみたいな顔で告げられた言葉は意味がわからなくて。首をかしげると、ヒントのようなつけ足しがあった。 それでもわからなくて、さらに首を傾ける。 風呂。浴衣。 「………風呂上がりじゃなくて?」 「ああ」 「………もしかして、もっと古い話?」 笑みが深まり、当たりだとわかった。ふぅと息をつく。 「そんな古い話をもちだされても、わからないって」 「通じたじゃねぇか」 「通じてなかったよ」 じとりと視線を向けるも、愉快そうに肩を震わせられてしまった。 「大体、人の浴衣で風呂入るわけにもいかないって。これ生地いいし」 「それ、お前のだぞ」 「ん?」 「裾、合わせたじゃねぇか」 「………あれ?」 そういった意味で受け取ったつもりはなかった。けれどこれを着た絵をとのことなのだから、裾は合わせなければならなくて。でも、そうするとサイズはオレに合わせたことになってしまい。……あれ? 「もう一着の方も」 「いや、あれは着れないから」 即答したらシキが笑った。何か、機嫌がいいのかな。 視線を下ろし、浴衣の柄を眺める。あまり、深く考えない方がいいかもしれない。 「………とりあえず、着替える」 「そのまま寝巻きにしちまえよ」 「寝巻きにするにしても、先に湯浴みしなきゃ」 服をとろうと手を伸ばしかけ止める。先程、どつぼにに嵌まりかけたことを、シキに訊いてみよう。オレがどうこう考えたところで、結局描く本人であるシキの判断によるのだから。 シキの方に向き直り、腕をわずかに広げる。袖を軽く持ち上げて、浴衣の柄が良く見えるようにした。 「………どう?」 「ん?………まぁ、悪くはない」 悪くはない。なら特別良くもないのだろうか。 <> [戻る] |