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この味が




 ごめんなさい。



 ごめんなさい。



 ごめんなさい。



 許して。



 次からは気を付けるから。



 もっと頑張るから。



 だから、お願い。



 もう怒らないで。










 ガスコンロの火を止める。ようやくほぅと息がつけた。
 水でも飲んで一休みしようかと、棚からコップを取り出す。

 ピンポーン

 ビクリと、コップを落としそうになった。慌てて台の上に置き、玄関へと駆けつける。
 鍵を開け、チェーンを外し、ドアを開く。

「おかえりなさい…」
「………」

 ネクタイに手をかけながら無言で靴を脱ぐ。
 鞄を受け取り、鍵とチェーンを元に戻しつつ背を見つめる。

「お食事の準備、出来ていますけど…」
「風呂」
「溜まっています」

 靴をきちんと揃え、廊下に脱ぎ散らかされたネクタイや上着を拾う。
 浴槽に入ったのを確認してから脱衣所のドアを開き、ワイシャツや靴下、下着を洗濯籠へ。スーツは寝室に持っていき皺にならないようハンガーにかける。タンスから着替えを出し、タオルとともに脱衣所に置く。
 それからリビングに戻り皿を出し料理を温め始めた。浴槽の開く音が聞こえてから皿に盛り付け台布巾で綺麗に拭いたテーブルにセッティングする。
 席に着く時にはすべてがきちんと用意されている。あとは飲み物何がいいか尋ねて出すだけ。そして食事が始まる。

 料理に口を付けるのを待ち、箸を手に取る。テレビはつけずラジオでニュースを流すだけ。無機質なアナウンサーの声が淡々と今日の出来事を読み上げる。
 会話はない。
 食事中に言葉を交わしたことは一度もなかった。
 この静寂が続くことを切に願う。
 けれど今宵もその願いはかなえられなかった。
 食器が宙を舞う。

 ガッシャン

 テーブルクロスが引き抜かれ料理を乗せたまま皿が全て床の上に落ちる。

「不味い」

 一言だけ言い残し寝室へと姿を消してしまう。しばらくは動けなかった。
 冷たい眼差し。
 耳に残る音。
 そして静寂。
 また、だ。
 また同じことの繰り返し。いつまでたっても変わらない毎夜の出来事。ゆるゆると悲しみだか恐怖だかわからないものがこみ上げてくる。
 美味しい料理で喜ばせてあげられなくて悲しい。
 皿をひっくり返され静かな怒りを向けられて怖い。
 どうして、何で自分はこんなにダメなんだろう。
 がたがたと震える体に鞭を打ち、椅子から降り、床の上に座る。飛び散った皿の欠片を一つ一つ拾い、一か所に集める。
 あぁ、明日また新しいお皿を買ってこなくっちゃ。
 かたりと、背後で音がした。振り返ると寝室の扉が開いてこちらを見ていた。

「………おいで」
「え…でも……」

 まだ片づけがと言おうとして、その視線に遮られる。
 後でやればいい。終わってから片付ければ良いだけの話なのだ。
 ゆっくりと立ち上がり、のばされた手をとった。










 出かかった欠伸を呑みこみ、ページをめくる。
 買い物の途中。立ち寄った本屋の料理本コーナー。
 今夜は何を作ろう。何を作れば良いのか。何なら美味しく作れるのだろうか。食い入るようにページを見つめる。
 毎日、疲れて帰ってくるのに、何もしてあげられない。
 満足のいく料理一つ作ってあげられやしない。
 役立たず。
 喜ばせてあげたいのに、疲れを癒してあげたいのに、それなのに怒らせるばかりで。怒られるのはとても怖いけれど、こんなんじゃ当然だ。
 涙が出そうになる。

 喜ばせてあげたいのなら美味しい料理を作ればいいだけなのに。

 怒られるのが怖いのなら美味しい料理を作ればいいだけなのに。

 それが、出来ない。

 喜ばせてあげたい。

 怒られるのは怖い。

 もう、どうすればいいか分からない。










 ガスコンロの火を止める。ようやくほぅと息がつけた。
 棚からコップを取り出し、水を一口飲む。

 ピンポーン

 ビクリと、コップを落としそうになった。慌てて台の上に置き、玄関へと駆けつける。
 鍵を開け、チェーンを外し、ドアを開く。

「おかえりなさい…」
「………」

 ネクタイに手をかけながら無言で靴を脱ぐ。
 鞄を受け取り、鍵とチェーンを元に戻しつつ背を見つめる。

「お食事の準備、出来ていますけど…」
「風呂」
「溜まっています」

 靴をきちんと揃え、廊下に脱ぎ散らかされたネクタイや上着を拾う。
 浴槽に入ったのを確認してから脱衣所のドアを開き、ワイシャツや靴下、下着を洗濯籠へ。スーツは寝室に持っていき皺にならないようハンガーにかける。タンスから着替えを出し、タオルとともに脱衣所に置く。
 それからリビングに戻り皿を出し料理を温め始めた。浴槽の開く音が聞こえてから皿に盛り付け台布巾で綺麗に拭いたテーブルにセッティングする。
 席に着く時にはすべてがきちんと用意されている。あとは飲み物何がいいか尋ねて出すだけ。そして食事が始まる。

 料理に口を付けるのを待ち、箸を手に取る。テレビはつけずラジオでニュースを流すだけ。無機質なアナウンサーの声が淡々と今日の出来事を読み上げる。
 箸で料理を口に運びながら目の前の人の様子をうかがい見る。
 今日は、最後まで食べてくれるだろうか。
 今日も、全てをひっくり返すのだろうか。
 彼が今手にしているのは今日見つけた料理本に載っていたサラダ。
 その皿をことりとテーブルの上に置く。

「………これは」
「そ…それは……」

 今まで、食事中に言葉をかけられたことがなくて慌てる。何かを、答えなくてはと口を開くが次の台詞に言葉を失った。

「この味は、いい」
「………え……?」

 何を言われたのか分からなかった。聞き間違えかと思った。幻聴かと思った。
 彼は何事もなかったように食事を再開している。
 
 信じられない。
 嘘みたい。
 胸の奥にじんわりとこみあげてくるものがある。涙が出そうになった。


 嬉しい。



 嬉しい。



 嬉しい。



 褒めてもらえる日が来るだなんて。



 ようやく。



 やっと。





 役に立てた。





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