命なき
星の砂が零れ落ちてきた。
帳の様に目の前を覆った色素の薄い髪に、しばし目を奪われる。
「何してんの?」
「……星、見」
「ふぅん」
屈めていた腰を戻し、くるりと振り返る。髪が宙を舞った。
「本当だ。結構出てるね」
ベンチから立ち上がり、後ろ手を組んで夜空を眺める姿に近づく。そっと髪に触れると微かにシャンプーの香りがした。
「仕事帰りか?」
「うん」
振り返り、まっすぐに見上げてくる。向き合うには近すぎる距離。大きくあいた襟を僅かにずらせば、赤い痕が見えた。
「ん?…あぁ、最悪」
小さく肩をすくめる。言葉とは裏腹に何ということもない態度。たいして気にもしていないのだろう。感情の起伏が恐ろしいほどに少ない。
感情などほとんど見せない。
愛想笑い一つせず、他人に合わせようなどという考えは毛頭ない。そんなんで、なぜ客商売ができるのかひどく不思議だが、仕事中はそれなりに笑顔を見せ、話も聞いているのだという。最も、話を聞いていようがいまいがすることは同じだし、この見た目だ。性格に難があっても欲しがる客はいるだろう。
お前といると、素でいられるから楽。
そう言われたのはいつのことだったか。
表情をほとんど見せない。他人と深く関わろうとしない。それが本来の姿ならば確かに自分といる時は素なのだろう。
けれど―――
そっと髪を一掴み手にする。目を見詰めたまま口づける仕草を真似れば僅かに首をかしげる。笑みを浮かべて一言。
「綺麗だ」
短く告げればたちまち表情が曇る。ほんの僅かにではあるが。気づかれぬように笑みを深めた。
時折、この様に表情を変えることがある。その変化を見るのが心地よかった。出会った当初ならば見落としていたであろう変化。それに気づくことができるのは気分が良い。何より、多少のことでは表情を変えないこいつが、こちらの言動でわずかではあるが表情を出すのが面白かった。
感情の起伏が恐ろしいほどにない。
けれど、感情がないわけではないのだ。
何を好き好んで人形の振りを続けているのか。
関係ない。知りたいとも思わない。ただ、感情を出させるのが楽しい。それだけだ。
「綺麗なんかじゃ、ない」
「綺麗だ」
特に、綺麗だと言われることを嫌悪している。そのことには割と早く気づいた。言われ慣れた言葉だろうに何がそんなに気に入らないのか。嫌っていると知りつつ何度も言った。
綺麗だと。
そのたびに決まって返す。
綺麗なんかじゃないと。
何を指して言っているのか、お互いきちんと承知しているのかは疑問だけれど。何度も繰り返してきた。
「酒でも飲んだ?」
少し考え、是と答える。嘘をつく必要などない。
「やっぱり」
酔ってるんだと呟く。酒の上の戯言ととらえたのか。
ぺしりと髪をつかんでいた手を払いのける。
「酔っ払いに用は、ない」
きっぱりと言い切る。頬に、手を伸ばした。
「…何?」
「消毒、してやろうか?」
「消毒?」
「アルコール消毒」
「あぁ………」
物怖じもせず、逃げるでもなく、まっすぐに見上げてくる。顔を、近づけた。
するりと身をかわされる。
「いらない」
ほんの僅かに口元を綻ばせ。くるりと背を向ける。わずかに振り返り。
「もう、帰る」
「何しに来たんだ」
「別に。たまたま」
仕事帰りならば方向が違うだろうに。わざわざ足を伸ばしてきたのだろう。会いに、来たというわけではなくただ近くに。
そう考えると、ひどく心地がよく、去っていく後ろ姿をと引き留めたいと思った。
手を伸ばす。
さらさらと、指の間を髪が流れ落ち捉えることはできなかったけれど。
「バイバイ」
軽やかに姿を消していった。
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