……………9
気まずい。
気まずい気まずい気まずいどうしよう。
正座のまま床を一心に見つめる。怖くて顔を上げることができない。もうやだ。逃げ出したい。
怖い。
彼に嫌われるのが。
目を覚ました時には寝ぼけてて全く状況を理解していなかった。起き上がって、何かいい匂いするなーってボーとしていたら、顔を洗ってくるよう声をかけられて。
ふらふらと洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗ってようやく、昨晩の事とそのまま寝てしまったことを思い出した。
そしたらとたんに顔を見れなくなった。
彼が朝食を用意してくれたけど、食べることなんてできなくて。ただひたすらどうしようと悩んでいると、彼がおもむろに口を開いた。
「……華江さ」
「は…はい。何でしょう」
思わずビシリと姿勢を正す。
目の前に座る彼は困ったような、仕方がないなというような笑みを浮かべていて。
「そんなに好きならさ」
えっ?
「ちゃんと本人に伝えてあげなよ」
「……え?」
何を言われたのか理解できなかった。ほんの一瞬、胸に広がった期待が消え失せる。
「雅則、喜ぶよ」
あ。
私は今、一体何を考えたのだろう。
「あ……うん。そう…だよね」
頷きながらも、戸惑いが生まれる。彼は穏やかな顔をしていて。嫌われはしなかった。それは、いい。でも、訳のわからない不安が、どんどんと大きくなる。
「恵…本当にごめん」
「構わないよ。でもああいうのは本人に言わなきゃ意味ないから」
「うん…そだね」
言った。言ったよ。私はちゃんと、本人に言った。なのにどうして伝わっていない。
確かに、言わない方が良かった。もう傍にいられなくなると後悔したけどでも。
なかったことになってるなんて。
本来なら喜ぶべき事なのかもしれないけど。嫌われなくて、離れなくてすむって、それは良いことなんだけど。
何で。どうして?
ねぇ恵。それはそんなにもあり得ないことなの?私があなたを好きになるなんて、おかしなことなの?良くないってことはわかってるけど、でも、そんな。
あぁ…そっか。そういうことか。
私はもう、恵にとっては親友の恋人でしかないんだね。ずっと傍にいてくれるって言ったけど、それはずっと雅則といるからなんだね。
ううん。きっとそんなこと関係なく、本当にずっと一緒にいてくれる。でも、例え別れたとしても、私は親友の元カノなのだろう。
どんなに頑張っても恋愛対象としては視界に入れない。
急に、昨日のキスの感触がよみがえった。あんなことをしても伝わらないなんて、本当に私は彼にとって異性ではないんだ。
伝えたい。伝えられない。伝えたのに、伝わらない。
きっともう、その言葉を口にできない。
だって怖い。
嫌われることより、傍にいられなくなることより、言葉が想いが通じないことが。
先程の恐怖をもう味わいたくない。
だったらこのままでいい。
仲のいい友人として、親友の恋人としてずっと傍にいる。隣には立てないけれど、それでもこれが最善の選択のはず。
だから。
でも。
用意された朝食は全く味がしなかった。帰途についても頭の中は一杯で、でも何も考えられない。
ふらふらとした足取りで公園をよぎろうとして、息が止まるかと思った。だって、何でここに。会いたくなんてなかった。
雅則が、ゆっくりとベンチから立ち上がる。
私は、雅則の事なんて何も考えてなかった。自分の事ばかりで、むしろ付き合ってなければとさえ思って。雅則の気持ちなんて全部全部無視して。
了承したのは自分なのに、恨んで妬んで疎ましく思って。
あわせる顔がない。
見ていたくなくて、見られたくなくて、顔を伏せる。すぐ目の前に止まった靴だけが視界を占めた。
「華江」
「………っ」
どっかに行ってほしい。この場から逃げ出してしまいたい。でないと、何を言ってしまうかわからない。
「華江」
なのに私の足は動かない。雅則は立ち去らない。それどころか私の左手をそっと握りしめてきた。この空気が耐えられない。
「な、んでここに?」
「昨日、様子がおかしかったろ?」
それでここに来たということは、私が昨晩どこにいたかわかっていたということなのだろうか。ならどうして、いつもより優しい声なのだろう。
「大丈夫だから」
何が?
一体何が大丈夫だと言うのだろ。何も知らないくせに。止めてほしい。今は優しくしないで。だって、こんなにも一人で立っているのが辛い時にそんなことされたら、寄りかかってしまいたくなる。
そんな勝手なまねできるわけないのに。
「大丈夫だよ」
大丈夫なんかじゃない。力なく首を横に振る。もう本当にどっか行って。傷つけてしまってもいい。取り返しなんかつかなくてもいい。
今はただ、一人きりになりたい。
「……私、私はっ……」
全てをさらけ出してしまえばきっと雅則は傷つく。幻滅して、離れていく。そうなってしまえばいっそ楽になれるのに。言葉が声にならない。
「うん。知ってる」
何を?
自分でさえ気づいていなかったのに。言っても伝わらなかったのに。何を知っていると言うの?
でも。
彼の時とは違って、その言葉はストンと胸に落ちた。
知ってて、くれているんだと。
「知ってるよ。だから待つって言ったじゃん」
手を引かれ、そっと抱き締められる。温かい体温に包まれたら、もう限界だった。
「たす、けて…」
言葉が、涙が、気持ちが溢れだして止まらない。
「も、やだ…ど、したらいいかわかんない…苦しいっ」
「大丈夫。傍にいるから」
強くしがみつく。
「も…いい。もう、いいからっ…もう、雅則のになる、から…だから…」
彼の事を忘れさせて。それがどんな意味か、混乱した頭でもわかっている。ずっと避けてきたくせに、こんな時に卑怯だともわかっている。
それでも、他に何も考えられなかった。楽になりたかった。
「あ〜…っと。魅力的な申し出だけど、ちょっと無理だな」
その言葉に、身体が強ばる。
幻滅された。見捨てられた。確かに、さっきまではそれを望んでいたはずなのに。
「華江、今ヤケになってんだろ?そんな状態でなんて嬉しくないし、きっと後悔する。気長に待つからさ」
「……っ」
そんな日がいつくるかなんてわからないのに。こないかもしれないのに。だって、こうして雅則の腕の中にいても、私は彼の事を考えている。
わかってくれるのも抱き締めてくれるのも、彼だったら良かったのにと。
きっと、遅すぎる初恋だった。この想いが風化することなどないように思える。
「華江、愛してる」
愛してるなんて、二度と口にできないけれど。
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