夜中の電話
携帯のコール音で目が覚めた。
夢うつつのままでもほぼ本能的に手を伸ばす。このメロディは恵からの着信だ。何がなんでもでなければ。
何度か宙をかいた手で携帯を掴む。けれどその途端に音は止んでしまった。
あ、切れた。かけ直そう。
反射的に体が動く。慣れた手つきで電話をかけた。呼び出し音を聞きながら欠伸を一つ。視線を動かし時計を見ると、時刻は真夜中だった。
午前二時。を少し過ぎた頃。こんな時間にどうしたのか。不安を覚えながら待つが、恵が出ることはなかった。
寝ぼけて間違えたのだろうか。それなら良いんだけど。さすがに時間的に何度もかけ直すのは憚れる。昼間、会う約束してるし。その時に訊けば良いだろうか。
でもなぁ。
ぼんやりと携帯を眺めながら悩んでいると、再び携帯が鳴った。先程と同じメロディ。
間髪を入れず、通話ボタンを押す。
「恵?どうした?」
―――ん?あ―…、さっき間違えて電話かけちゃって………起こした?
「んにゃ。平気」
―――…そう?…なら…良かった…
ごろんと仰向けになり、瞼を閉じる。電波が悪いのか、やけに音が遠くて途切れる。雑音も混ざり聞き取りにくい。
「寝ぼけたのか?」
―――………うん…そんなとこ…ごめんね………遅くに
「寝起きに恵の声聞けたからいーって」
―――………に、それ…
「恵?」
―――………ん?……う…かした?
閉じていた瞼を開き、眉をしかめる。
「恵?今どこにいんだ?」
―――……に?………けど、…うかした?
恵の方はきちんと聞こえてんのか?雑音がひどくなりすぎて、ほとんど聞こえない。
なんだ。これ。
いやに不安があおられる。
「………悪い。全然聞こえてない。どこにいるって?」
―――………いの?………にいる…ど、……きこ……る?
「恵?」
―――………………………
雑音が大きくなって、もう何も聞こえない。心臓が早鐘を打って、嫌な汗が流れる。これ以上はダメだと警報が鳴る。けれど、携帯から耳が話せなくて。
唾を飲み込み、言葉を絞り出す。
「恵?」
―――………………だから、
唐突に音が晴れた。
そして、
夜中に目が覚めたら寝付けなくなった。
時刻は丑三つ時。いくら夏休みとはいえ、生活リズムが崩れれば後が辛い。だから寝ようとするのに、一度目が覚めてしまったせいでなかなか寝付けない。
何度かベッドの中で寝返りをうつ。
やっぱ寝れないと雅紀はため息を一つ吐いて起き上がった。とりあえず、キッチンに行って何か飲んでこよう。気分転換すれば寝られるかもしれない。
そう思い、廊下に出た。
瞬間にそれは響き渡った。
「うぎゃぁぁっ!!?」
「っ!?」
びくりと肩を震わせたと同時に、ドアが開く。飛び出してきたのは兄の雅則。弟の姿を目にすると、勢いよくタックルをかました。
「いっつ」
「うわぁぁうゎうぁぁぁっ」
背中を壁に打ち付け、押し潰され、兄は奇声を発し、弟は目を白黒させた。
はっと我に返った雅紀は、まず夜中に近所迷惑な兄の頭を殴り付けた。
「兄貴うるさいっ!」
「うわぁぁぁ恵がっ恵がー!」
「……恵さん?」
たった今自分が経験した恐怖を雅則は怒涛のごとく語った。それはもう立て板に水のごとく。一人では耐えられないと、共感者がほしくて。
「―――この世のモノとは思えない、低くてしゃがれた声が……」
「………………それ、単にからかわれたんじゃないの?恵さんに」
けれど聞いた雅紀の感想はそれだった。
恵さんは雅則が怖い話苦手なことを知っている。知っていて何度か怪談を話して聞かせていた。今回もそれの延長ではなかろうか。
「……わ、わざわざ恵がそんなことで夜中に電話してくるわけないだろ」
「あー…、確かに」
さすがに夜中に電話してきてというのは悪趣味で。そんなことをする人物ではないというのが二人の一致した意見だった。
でも、なら
「……じゃあ、誰かが恵さんの携帯、勝手に使ったんじゃん?」
「オレが恵の声、聞き間違えるわけないだろ」
だって、寝起きじゃん。
と言っても通じるわけなどないので、雅紀は黙殺して兄の部屋に向かった。
開けっぱのドアから中を覗き込めば、暗い部屋の真ん中に開いたままの携帯が落ちている。
恐怖心を引きずったままなのか、雅則が腕を強く掴んでいる。気にせずに部屋に入り携帯を拾う。
「………………もしもし?」
携帯に耳を当ててみる。腕を握る力が強くなる。声も、音も何も聞こえない。
「……通話切れてる」
ポツリと呟けば、雅則はあからさまにほっと息を吐いた。それでも腕は離さないまま。
そんな兄に呆れつつ、雅紀はなんとなしに携帯をいじった。そして、ぞわりと鳥肌が立つ。
「……兄貴、さ」
「ん?」
声が掠れるのがわかったが、それでも確認せずにはいられない。
「夢でも見てたんじゃない?」
「は?」
「だってこれ、通話記録残ってない」
「………………」
周囲の温度が低くなった気がした。
言っていて、そんなわけないとわかっている。だって、夢だったなら携帯が開いた状態で落ちてるわけない。通話中に放り投げたからこそなのに。
なのに、発信履歴も着信履歴も何も残っていない。
なら、兄はいったい何と話していたんだ?
記録の残らない何と。
「………雅紀くん」
「………何?」
「一緒に寝てくんない?」
良い年して何を考えてるんだ、とはとても言えなかった。自分だって、とてもじゃないが寝れそうにない。先程までとは違った意味で。
手の中の携帯が、何だか恐ろしいものに見えて、雅紀はベッドの上に放り投げた。
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