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神様の憂鬱
OUTSIDE:切原






優しい、“神様”。






 * * *


(くそ…っ!)

名前も知らない、背だけがひょろ長の男を怒りに任せて半ば無理矢理に引っ張って来た旧テニスコートの一面。全力で振り抜いたラケットに掠って何とかボールが向こうのコートに入る様子を目で捉えながら、オレは隠す事もせずに舌打ちをした。

(何で当たんねぇんだよ!)

タイミング、角度、踏み込み、どれをとってもラケットに当たらない要素は無い筈なのに、何故かボールはそれを擦り抜けるように逃げて行く。鍛えた反射神経でどうにか当てて相手のコートへ返してはいるが、それはただラケットに跳ね返っているだけだ。コントロールなんてあったものじゃない。だから直ぐにまた、ボールが返ってくる。
今度はラケットに当たる寸前に失速して、軽い音と共にコートへ落ちた。

「…40-40」
「っ、」



追い付かれた。
それも、軽々と。


顔を上げればネットを挟んで真正面に立つ男に、一切の疲れは見られない。それはつまり、男が反撃を始めてから――いや、始める前から、一度たりとも全力を出していないということで。
不様なオレを嘲るでもなく、ただこちらを見ているその表情は、連れてきた時のまま無表情に僅かに不快の色が滲んでいるだけだった。

「もう、良いか?」

冷たさの中に諦観を混じらせた声音で、男はそう告げる。結果なんてものは、既に分かり切っているから。最早自分が試合相手として見られていない事に対して憤りを覚える以前に、自身の最も深いところで納得してしまっているオレが居た。
敵わない、絶対に。
男の強さは、オレとは次元が違うのだ。
漸くそれに気付いた今、男の呟いたあの一言は、嘲りでも嫉妬でもなく紛れも無い純粋な事実。真理、と言っても過言じゃないだろう。三強、いや中学テニス界で最強と評されるオレ達の部長を以ってしても、この男を前にしてまともな試合が出来るのかさえも分からない。



“神の子”を超えるテニスプレーヤー。
それはつまり“神”と同義。
オレという“悪魔”程度、灰にするのにさして力も必要無いのだ。




「…っ」

届かなかったラケットを握り締め、ぎりり、と奥歯を噛み締める。
悔しかった。
負けた事に対してではなく、この、“神”と呼ぶに相応しい男を知らなかった事が。

「…アンタ、の」
「?」
「名前……アンタの名前を、教えてくれよ」

あれだけ不躾で攻撃的な態度を取ったのだ、普通なら今更何を、と思われても仕方のない事だろう。オレも、答えてくれるとは思っていない。
けれど男は、予想に反して僅かに笑って名を告げた。

「高科だ」
「……高科、さん」
「ああ。これ、返すな?」

手の届く位置にまで近付いた男――高科さんが、貸していたラケットを差し出す。受け取ってから気付いたのは、ラケットとして致命的なまでの、ガットの緩み。

(…嘘だろ)

こんなラケットで、オレと試合してたのかよ。

怒りに任せて確認を怠ったオレが悪いが、こんな代物でさえあそこまでの圧倒的な強さを見せ付けたこの人が、完璧に整備したラケットを持つとどうなるのか。
想像さえつかない。




「高科、さん」




だからこれは、好奇心。


「いきなり…しかもこんなラケットで試合なんかさせて、すんませんでした。けど、もし良かったら…また相手して下さい!」

がばり、とほぼ直角に頭を下げた。試合前だって緊張しないオレの心臓は、煩いくらい早鐘のように脈を打つ。
オレなんか、相手にならないことは分かってる。それでも、この人と試合する事で何かが得られる気がした。

けれど、



「…悪い、無理だ」



返ってきたのは、申し訳なさそうに落とされた拒否の言葉。
予想は出来ていた。けれど、少しだけ唇を噛む。
やっぱり、オレがこの人と試合をしようなんて役者不足――

(――あれ?)

ちょっと待て。
この人は今、何て言った?



『…悪い、無理だ』



そうだ。
嫌だ、ではなく無理、と言ったのだ。何かどうしようもない理由でもあるように。

「ごめんな」
「っ、いえ!オレ、が…」

思考に没頭しかけていた時に、謝られて反射的に顔を上げる。
今になって気付いた相手の身長の高さに驚きながらも、それ以上に、浮かべている表情に言葉を失った。

(なんつー表情してんだよ…)

眉根を寄せ、力無く笑っている高科さん。それは何処か、泣くのを堪えている表情に見える。

――まるで、果ての無い絶望を感じているように。


(あ…)

やっと、分かった。
この人は、オレと試合を“したくない”んじゃない。
“出来ない”んだ。
さっきの試合中に全力を出さなかったのだって、全力を出すと何が起こるか分からないから。
多分ここが、この人の試合の出来る、ギリギリの地点。

「本当にごめん」
「…っ」

もう一度謝られて、泣きそうになった。

高科さんは悪くないのに。
全部オレの馬鹿らしい我が儘で、一番辛いのは、アンタなのに。

ボロボロの“神”は、それでも穏やかに笑っていた。






「…じゃあ、俺用事あるから行くな?」
「あ、はい!ありがとうございました!」
「…ああ、頑張れよ。切原」
「っ、はい!!」

テニスコートを出て行く高科さんの背中に、もう一度頭を下げる。
全身全霊の、感謝を篭めて。


少ししてから姿勢を戻すと、そこにはもう高科さんは居ない。

(高科さん)

また、会えるかは分からない。
でももし会えたら、その時は少しでも成長したオレを見てほしいと思う。

「…っし、」

ばちん、と頬を叩いて気合いを入れ直す。部活に、こんな腑抜けた顔では行かれない。
一方的にだけど、高科さんに約束したんだ。

「今何時…」

ふと気付いて時間を確認しようと時計を見たら、その瞬間、音で聞こえそうな勢いで血の気が引いた。

「やっば…!」

休憩時間は15分。
時計の指している時間は、その15分後。
それはつまり、


「オレの試合始まってるーっ!」


ということで。


高科さんと出会い、心機一転臨む部活。


どうやらまずは、副部長のビンタから始まるらしい。




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あきゅろす。
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