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神様の憂鬱
OUTSIDE:柳






“彼”と出会ったのは、本当に只の偶然だった。






 * * *




「読む意味も無いだろうけどな」

部活の買い出しのついでに寄った、行きつけの書店。様々なテニスの専門書が並んだ棚の前でふと聞こえてきたその言葉に興味を引かれ、俺は隣に居るであろう声の主へ顔を向けた。

テニスをやっている人間でなければ余り用の無いこの棚。恐らく、人が疎らだからと床にしゃがみ込んでいた“彼”は、手にした一冊をパラパラと流し読みしている。
その光景に、何等おかしいところはない。先程の発言も合わせて考えれば、興味本位で覗いてみただけでテニスに関しては素人だと思うだろう。






――その、手にした一冊を見る瞳の冷徹な光が無ければ。







「…俺には読む価値も無かったな」

最後のページまで読み終えて(否、眺め終えてと言った方が正しいか)、“彼”はつまらなそうにそう言葉を漏らす。それはまるで、本の内容全てを“彼”は修得しているような口振りで。
高度な専門書を「価値が無い」と評するまでの実力とはどれ程のものか、試合をしてみたい、と素直に思った。


「――よっ、と」

そんな風に思考に没頭していたからだろうか、本を置き、立ち上がった“彼”の動きに上手く反応が出来なかった。
書店の奥、角に位置するこの棚を出るには、後から入って来た客と擦れ違わなければいけない。“彼”の後に入って来たのは俺であり、尚且つ今まで“彼”の事を見ていたのでは、必然的に向き合う形となってしまい、






そして、バチリと眼が合った。










「っ、」

黒髪を短く揃え、ごく普通の顔立ちをした“彼”。しかしその体は鍛え込まれ、無駄の無い均整の取れた体つきをしている。先程まで専門書へと向けられていた視線が自分へと向けられると、そんな筈がある訳無しに、自分の、テニスプレーヤーとしての実力を測られている錯覚に陥った。周囲の人間からして長身の部類に入る自分よりもまだ幾分か高い所にあるその瞳から、どうしてか眼を逸らせない。

今思い返せば、既にこの時、俺は本能的に悟っていたのだろう。
自分がテニスで、“彼”に敵うことはないと。
決して、追い付く事が出来ない程の実力差が、俺と“彼”の間にあるのだと。









「……何か」

それから少し経った位だろうか、黙って自分を見ていた“彼”がそう口を開いた。
しかし、俺は偶然此処で“彼”に出会っただけであり、知り合いでも、ましてや“彼”に明確な用がある訳でもないため(強いて言えば“彼”の事を知りたいという欲求があるが)、当然その質問には答えられない。“彼”を見たまま沈黙を保っていると、俺の返答を待つ様に黙っていた“彼”が再度口を開いた。

「…誰?」

その質問は、普通の人間にしてみれば当たり前の質問であっただろう。しかし俺は、それを理解すると同時、俺に興味を抱いてくれてたのだと喜んだ(今思うと恥ずかしい限りだ)。再び返答を待つように黙った“彼”を待たせる訳にはいかないと、俺は柄にも無く緊張した声音で言葉を発した。

「柳、蓮二だ」

声が震え、少し詰まってしまったのは仕様が無いだろう。“彼”を見れば、俺からの返答があったのが意外だったのか僅かに目を見開いていた。

「…貴方の名前は、教えて貰えないのか?」

口を開いた勢いそのままに、“彼”へと質問を返す。普段ありとあらゆる人物に質問を繰り返している俺だが、名前を問うだけでこれ程迄に緊張したことがあっただろうか。
訝し気に顔をしかめ口を開かない“彼”に、名前を教えて貰えないのかと焦りが募る。

「貴方の名前は?」

再度繰り返した質問。それが如実に俺の焦燥を顕していて、内心で自嘲する。全く、らしくもない。黙ったままの“彼”だったが、先に俺が名乗っていた事もあってか、観念したように自身の名を口にした。

「……高科だ」

そして“彼”は、それ以上何も言うことなく俺の脇を抜ける様にして本屋を出て行く。思わず引き留めそうになったが、これ以上は“彼”は答えてはくれないだろうと(何故かそう確信していた)その背を見送った。



――高科。

高科、高科、高科。

“彼”の名を、自分の脳に刷り込むようにして復唱する。得られた情報は僅かだが、“達人”の名に賭けて“彼”に辿り着いて見せよう。

俺は口元に小さく笑みを刻むと、新しいノートを買いに此処から程近い文房具店へと足を向ける。



願わくば、それを開く機会があらんことを。



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