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O-Novel
タイトル未定◆O-Novel 第五章


携帯からぶら下がっているストラップを指で示してくる。
これが可愛い…と。
もうかなり古いと一目見ただけで解るはずのものを。

…気を使ってくれているんだ。
そう俺は察した。


「そうですか?貰い物なんですよ」

「そうなんですか。彼女さん…とかですか?」

「良く解りますね」

「そうなんですか?!た、ただ当てずっぽうに言っただけなんですけど…」


少し照れながら微笑む河上さんは、俺よりも年上という感じが全くしなかった。
その笑みは何処か無邪気で、少女のように無垢な笑みに見えたのだ。
本当に、昨日あんな事がなければもっと普通に赤坂と話す感じで話せていたのだろうか。
赤坂とは普通に話す。と言っても、赤坂が楽しげに色んな事を俺に話してくるだけなんだが。
河上さんもきっと緊張しているのだろう。
俺と同じように。

そう思うと少し、気が楽になる。

「河上さんは、この辺りは地元ですか?」

「えっと…そうですね。東条さんは地元の方ですか?」

「そうですよ、生まれも育ちも此処ですよ」

「へぇ…地元で社員ってすごく珍しいです」

「そう…ですか?」

「そうですよ、私が前いた職場の店長さんとかは…」

やっと、話らしい話が出来てきた。
お互いの緊張が少しずつほぐれて来たらしい。
河上さんは、とても可愛らしく笑う人だった。
最初の第一印象とは違う。あの真っ直ぐな瞳は健在ではあるが、きつめの人かと思っていたのだ。
けれど、話すととても柔らかく笑う事に気付く。

そして、思い出したくも無い過去を思い出させてくれる。
まるで彼女の様に無邪気に、歯を見せながら笑うのだ。
大抵の女性は口元に手を当てて笑ったりするものだ。
それも友達相手ではなく、他人や知り合い程度の相手には。
まぁそれが俺の今まで見てきた女性なのだが。

本当に珍しい人だと実感する。


「お待たせ致しました。アメリカン珈琲ブラックのホットです」


また絶妙なタイミングで入ってくる店員。
話が途切れてしまう事に苛立ちながらも、俺は軽く店員を見ながら返事をする。
俺の前に置かれた珈琲から湯気が立ち上っている。これは相当熱いのではないか。
猫舌な俺は、それを少し置いてから飲もうと決意する。舌を火傷なんてしたくない。ベロベロになったあの舌の感触が嫌いなのだ。





「カフェオレのホットです」

「あ、はい。こちらにお願いします」


コトリと置かれたそのカフェオレからも湯気が立っている。
店員は伝票を置いて、一言”失礼致します”と言ってまた持ち場に戻っていく。
何とも言えない程に良い香りだ。喫茶店にはあまり立ち寄らないが、この香りなら味も美味いのだろう。
けれど、飲めない。熱い。絶対に熱い…!

俺は珈琲を睨み付けた後、河上さんに目線を移す。
また先ほどの会話の続きでもと思ったのだが、河上さんは置かれたカフェオレに手をつけようとしていない。
不思議にただただ、見つめているだけだった。

「河上さん、どうしたんですか」

「…え、あっ!いえ、何でもないです」

そう言って、ニコリと笑う河上さん。俺は頭の上に疑問符を浮かべる。
河上さんも猫舌の一人なのだろうか。
だとすると、猫舌委員会なんてのを作ってもいいんじゃないか。
なんて、どうでもいい事を考えながら、俺は座った席が窓際という事に気付く。
空は薄灰色で、太陽の光さえ今は見えずに居た。
この空の色は嫌いだ。というよりも…苦手だ。

今日は思い出してばかりだ。思い出したくないことを思い出してばかり。
それもこれも…どうしてだろう。
何故今日に限ってこんなにも思い出すんだろう。普段なら思い出すことも無かったのに。


「東条さん」

「あ、え、何ですか」

俺は慌てて我にかえる。そして空から河上さんへと視線を移す。
河上さんは、先ほどまで笑顔だった表情が何故か消えている。
俺は何か失態でも犯したのか?いや、だが何もしていないし、言ってないはずなのだが…。
そんな俺の心とは裏腹に河上さんの瞳は真っ直ぐに俺の見つめている。
何も言わず。ただただ、見つめているだけ。

真っ黒な瞳の色。とても綺麗な黒色が俺をじっと見つめている。
先ほど沈黙は有難いと言ったが、この沈黙は苦手だ。
こんなにも見つめられていると、呼吸する事すら…はばかられているかのようで。

そんな河上さんとの見つめ合いの最中、ぐらりと視界が揺れる。
頭は揺らしてない。後頭部を殴られた訳でもない。
何だ…これ。
初めての感覚。今夜は赤飯だー!なんてそんなお祝いしたくもない程の嫌な感覚。
気持ち悪い。だが、吐き気は無い。

沈黙と俺の不調を止めたのは、河上さんの一言だった。


「東条さんは、まだ…忘れているんですか」

「え、何を言ってるんですか?」

「いえいえ、何でもないです。あ、珈琲冷めちゃいますよ」

そう言って、俺の珈琲に目線を送る河上さん。つられて俺も自分の珈琲に目をやると湯気が殆ど消えかかっていた。
これはこれは、危ない。これ以上冷めたらホットの意味が無いじゃないか。
急いで取っ手に指をかけ、口の中に珈琲を流す。
香りは死なずに残ったまま丁度良い温度だ。やっぱり美味い。思った通り。
ちらりと河上さんのカフェオレに目を見遣る。
いつの間にか、殆ど空になっていた。

…本当にいつの間に飲んでいたのだろう。

その後は、他愛ない話をまた河上さんがしてくれて、俺もその話に相槌を打ちながら聞き入っていた。
やはり年上とは、凄いと実感する。色んな経験をしている様だ。
俺が体験した事のない事が、河上さんの話の中で沢山溢れていた。
とても有難い。俺には到底経験できない事なのだ。せめて話を聞いて、自分の中に入れておけば、いざという時に役立つ。
人の話をこうやって聞くのは得意であり、好きなのだ。
ただ、自慢話とかだと嫌気が差してしまうのだけれど。まぁそれは、大抵の人がそうなんじゃないかと思う。

いつの間にか空は暗くなり始めていた。
かなりの時間を使用してしまった様だ。
俺は買い物を忘れていた。家の時計が動いてなかったのを思い出す。

「河上さん、すみません。ちょっと…」

「あ、いえいえ。話し込んじゃいましたね。今日は本当にありがとうございました」

「そんなそんな、俺の方こそ、とても良い話を聞けて…お礼を言うのはこちらの方ですよ」

「それじゃぁそろそろ暗くなってきましたし、帰りましょうか」

「はい、そうですね…って、河上さん?」

さっと伝票を自分の手の中に収める河上さん。
勿論自分の珈琲代ぐらい払う金額は財布に用意されている。
昨日今日会った女性に払わすなど、俺の中の俺が怒り爆発して抑えられなくなってしまうじゃないか。
…まぁそんな事はないんだけど。

俺は鞄の中から財布をいそいそと取り出していると、河上さんはすたすたとレジへ歩いていく。
ささっとお会計を済ます河上さん。追いついたと思えば、もう終わっているとか…どんだけ早いんですか。

「チェーンを直してもらったお礼ですから」

そう言って、ニコリとまた笑う。
けれど男としての立場が…。嗚呼…この人絶対お金受け取らない。
手にしていた黒色の長財布は一瞬にして、黒色のボストンバック風な鞄に収められてしまっている。
俺の口も、財布もぽかんと開いたままだった。



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あきゅろす。
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