月へ唄う運命の唄 月へ歌うアイの唄9 それから3時間後。私とゼドは二人揃ってダリルシェイド南の山の中を歩いていた。 今はまだ事を大きくして国を混乱させるわけにはいかない。そもそもヒューゴの叛意を知っているのは私だけなのだし、いかに客員剣士とはいえ今や王直々に絶大な信を得ている彼の評価を覆す事は現状難しい。そんな訳で誰にも話せないでいた。 だが、私もこのまま黙っているわけじゃない。 もし万が一。今日中に屋敷の自室に戻れなかった場合、保険として自動的に七将軍の各執務室に転送されるようにセットしておいた手紙を六通(一人は現在欠番のままの為)、エミリオの自室に転送されるようにしたものも含めて合計七通の時限式の手紙を机の中に忍ばせてある。 手紙の内容は大雑把に、「私が失踪、もしくは遺体で見つかった場合は神の眼がヒューゴに奪われた可能性が高い。その際はまず間違いなく結界が無効化されているので確かめて欲しい」というものだ。 エミリオに向けたものは、それに加えて自分の気持ちも書き添えてあるが。 無論私自身はちゃんと生きて戻るつもりだし、その時にはきっちりと今の状況に片を付けたいと思っている。死んでから告白、なんてみっともない事はしたくない。だから、これは私なりの背水の陣みたいなものだ。 「もうすぐ、見えてくる筈だよ。常に警戒は解かないで、冷静を心掛けて。絶対に相手の挑発に乗っちゃ駄目だからね」 「わかっています。自分の行動が、従姉妹の命運を左右するのですから」 ついでに言えば、ヒューゴの目的はゼドにも話していない。十中八九間違いないとは踏んでいるものの、もし本当に犯人がヒューゴではなくただの身代金目的の誘拐だった場合に余計な事に巻き込みたくないからだ。 そうしてそれから程なくして、私達は指定された取引場所・洞窟の前へと到着した。 「!!…あなたは!」 「やぁクノンよ。ご機嫌いかがかね?ククッ…こうして対峙するのは実に三年ぶりだったかな?」 そこに居たのは、やはりヒューゴだった。どういうわけか、警備の兵士がいない。代わりに居るのは、眠ってしまった孫を世話する祖父のような体をなしているレンブラントだけだ。その背にはラピスを背負っている。 それをちらりと確認した私は射るようにしてヒューゴを睨み付けてやった。 「安心したまえ。娘には睡眠薬で眠ってもらっているだけだ。…が、それも今後の君次第というのは聡明な君ならわかるだろう?」 「お褒めに与りどうも。それで、私に何をしろと?まさかオベロン社の総帥殿が身代金目的、というわけじゃないでしょ?倒産するほど大赤字だなんて聞いた事ないし」 「ヒューゴ様っ!これは一体どういう事ですか!!」 「無論我が社はお陰さまでいたって順調だよ。50万などとはした金は必要がない程度にはな」 目の前の男はゼドをまるきり無視して話を進める。堪えきれず飛び出しそうになる彼を手で制しながら私はさらに探る。 「じゃあ一体、何が目的?」 「そうさな…ではまず、君が張った結界に対しての私なりの考察を聞いて貰おうかね。これでも私は考古学者でね。もし間違いがあったなら指摘していただきたいのだよ」 「答えるとでも?」 「答えるさ」 数瞬の睨み合い。それも取るに足らないと彼はやがて口を開いた。 「まずこの洞窟の内部だが…一見、なんの変てつもないただの洞穴に見える。だが、今この洞穴はある異界と"混ざりあっている"…どうかね?」 「………」 「フ…。どんな異界か。それはある国の古文書に、面白い記述があった。"とある一柱の神が死後に堕ちた冥界ともいうべき場所がある"…と」 「!?」 「その神は、女神だったそうだ。そしてさる理由から、彼女は狂ってしまった。その負の感情は瘴気を生み、瘴気に毒されたその場所の住人達は穢れ彼女の感情の一部と成り果ててしまった。その住人達を総称し、"黄泉醜女"(ヨモツシコメ)と呼ばれるようになった。…そしてその住人達の特徴と、この洞穴に現れる女の影どもの特徴が一致する。これらから推測するに、君はこの洞穴と、かの狂った女神の世界との"位相"を重ねて神の眼に手出しをさせない守人に仕立てあげた…どうかね?」 驚いた。この世界に、あの神話と似たような、いや、住人に関してはそれそのものと同じ名が出てくる伝記が存在していた事に。 そしてそれがある意味での核とはいえ、結界の正体まで看破された。 この術式の名は黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)。その名が示す通り、冥界に堕ちたイザナミに纏わる場所を一つの"世界"と定義して、彼女の住まう界との位相を繋げて固定する術式だ。 本物の神の力が支配する界だけに、そこの住人達を操作したり制御したりなどは不可能。人の身ではあまりにも力の格が違いすぎるからだ。だから出来る事はその場所との連絡通路を作るか、通路を壊す程度でしか干渉出来ない。 「まさか異世界であるここに、私の世界と似たような神話があったなんて思わなかった」 「きっかけは君の刀だよ。そしてその所作に見える、アクアヴェイル文化との近似性だ。私は君の世界とアクアヴェイルは、非常に近い文化があるのではと考えた。そこから君の使う術を攻略する糸口を掴もうと思ったのだよ。まさか私もそれそのものと言えるものがあるとは思わなかったから少々驚いたがね。封印の立ち会いに私の部下が紛れていた事には気付かなかったようだね」 つまり、式は知らなくても実験時のその現象から逆算されたという事、ね。強力な反面、伝承そのものであった事が災いした。 「だが困った事に彼女らを一時的に足止めするものも、大した時間を稼げないために神の眼を運び出せなくてね。繋げている楔も晶力ではないせいか私には見付けられずに破壊出来ないのだよ…そこで、だ」 「私自身に破壊させればいい、と考えたのね」 「その通り。…無論、やって貰えるだろう?」 でなければ娘の命はない、と言外に伝えられる。 話についていけていないだろうゼドは、困惑した顔で私の顔を見つめている。 それはそうだろう、話していないのだから私が異世界からの迷子だなんて知らないだろうし、今の伝承についてもそう。辺境の島国の、それも恐らくは相当に古いだろう文献の話なんか理解出来るわけがない。まして術のことだなんて尚更。 今ここで下手に動いてはラピスの命が危ない。レンブラントが立っている位置は境界のラインぎりぎりの位置なのだから。向こう側に投げられでもしては助け出す前に醜女達に連れていかれてしまう。 今は、ヒューゴの要求を呑むしかない。 「わかりました。でも約束して。その子には手を出さないで」 「いいだろう。元より無益な殺生は好まんのでな」 どの口が、と嫌悪を隠さずに睨み付けてやりながら、私は楔を打ち込んだ場所に布都御魂の剣を突き刺した。途端、硝子が砕けるような音とともに入口周辺を徘徊していた醜女たちが霧散する。 それを確認したヒューゴは嬉しそうに口の端を歪めながら、何事かを呟いた。 ――セルウィトゥーテム、とか言ったような気がする。 「では約束は守ろう。レンブラントよ」 「かしこまりました…穏やかに眠っておられます」 私の足元に優しく下ろしつつ柔らかく微笑む好好爺の仮面を皮膚ごと剥がしてやりたい衝動に駆られながら、それを抑えて見守る。 そしてそのままこちらに体を向けながらヒューゴの脇まで後退するまで待った。 「さて、これであなたの用は済んだよね。それじゃあ、今度は私の用事を済ませてもいいかな」 いつでも狩れるようにゆっくりと巫力を練る。幸いなことに、トラウマ持ちの私でもそれを抑えて"殺す"ための準備をする時間はたっぷりあった。その覚悟はここに来るまでにもう決めている。あとは実行に移すだけ。 「まぁ焦るな。ところで、三年前。私が敢えて語らなかった"宿題"は解いてきたかね?」 宿題?…そんなものを出された覚えなんてない。逃亡までの時間稼ぎのつもりだろうか? 「その顔では解けなかったと見える。…残念だが、宿題を忘れた悪い子には罰を与えねばな。しかし惜しい。君は本当にいい女に成長したというのに。私の娼婦として置いてやりたい程度には、な」 そう言ってヒューゴは腕をこちらに向け、私を指差した。 ――何か来るかと身構えた私の背中に、どすん、と軽い衝撃が走った。そしてその衝撃は、私の胸を突き破って大量の紅い飛沫を噴出させた。 「…コフっ……?」 大量の水を飲んだかのように噎せた私の口から、やはり胸から噴出したものと同じ紅い液体が咳とともに吐き出される。 胸に入ったままの何かがぐりん、とかき回すような動きをしたと同時、そこで漸く耐え難い痛みが全身を駆け巡った。 「ガっ…ごぶっ、ガハッ」 ばちゃばちゃと吐き出される大量の血液。胸の中央付近を見れば鋭い刃物が背中から心臓の位置を貫いているのが見えた。 一体、なに、が? 鈍り始める思考に覆い被さるように、背中から抱きすくめられる感触――次いで、私の胸が、何者かに鷲掴みにされる感触が襲ってきた。 《…!!いけない!蒼羽、急いでそいつを引き離して剣を抜いて!このままじゃ傷を塞げない!!》 振りほどこうと身を捩るが、痛みと失血で力が抜けてきているのと相手の力が異常な程に強いのとで振りほどけない。 繋ぎ止めている意識がもう限界に近い中、聞き覚えのある、しかし知らない気味の悪さを伴った声が耳に滑り込んでくる。 「アァア、イトしイ愛しイクノンさマ…あなたノ乳房、やワらかイ…ハなしたク、ない…」 …ぜ、ど?…ゼド、なの?…なんで……? 《早く!早くどうにかして!!このままじゃ、このままじゃ間に合わない!もう嫌、嫌なの!!二度"も"貴女を失うのなんて嫌!!早く!!お願いだから早く!!!!》 だ…め、だめ、だよ、ひめ…ちから、ぬけて、…もう、ねむ、くて… 背中に抱きついたまま恍惚な表情を浮かべて剣を抜いたり刺し込んだり、まるで何かの動きを模倣するかのような動作を繰り返すゼドの力に、もう抗うだけの力がない。 貫かれる度に衝撃で血が心臓からも口からも絶え間なく噴き出していく。痛みすらも感じなくなっていた。身体を締め付ける圧迫感と衝撃だけは、まだ少し残っているけれど。 《やだ!やめて!諦めないでぇっ!!…ねぇおね、がい……ねぇ……お願い、よ…ぅぅ…おねがいだからぁぁ…ぁあ…》 あぁ、ごめん、ね…ひ、め…泣かせ、………ちゃっ…て… さすがにこの段に来れば、嫌でも理解できた。私の人生は、今度こそここまでなのだと。 そして今になって思い当たった、ヒューゴの言う"宿題"。それは、どうやって、誰があのフィンレイ将軍を殺したのか、ということ。 それはつまり、今の私と同じ状況に近かったのではないか。 今の明らかに正気じゃないゼドが私を刺したのと同様、フィンレイ将軍が気を許していた相手に、殺されたのではないか。 そう、例えば、彼の秘書官。ヒューゴに操られている自覚のないまま将軍に近付き、いつでも殺せる状況を作り出して…そして…。 ……剣に貫かれる感触すらもう、消えてしまった。姫の泣き声だってもう聞こえない。世界が、果てしなく遠くに行ってしまった。 多分、もうあと何秒も生きていられない…ならせめて。 口の中に溢れる血を、最後の力で吐き出す。 後から後から湧いてくるように喉に昇ってくる血を無理矢理飲み込んで間を作る。 そして一度だけ私にあの表情を向けてくれた、あの愛しい彼に向かって。 「愛、してる…えみ、り…――――」 [*前へ][次へ#] [戻る] |