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月へ唄う運命の唄
月へ歌うアイの唄10

何かを包み込むかのように、穏やかな笑みを浮かべて中空へと差し出していた女の腕から力が抜けた。
今はもうその美しかった瞳に光はなく、ただ貫かれる衝撃に揺さぶられるだけの肉の人形と化している。
ぶらり、ぶらりと揺れ続ける四肢は背中から抱いたまま剣をストロークし続ける下等な獣となった地上人に弄ばれるままだ。
実にあっけなかった。一度は自らの一族の末席に加えても良いと感じた程の女は、いとも簡単に死んだ。

…つまらん。

獣の遊戯をどこか遠い景色でも見るかのように眺めていた男は、いよいよそれからすらも目を離した。
後はあの女の死をさらなる楔にし、この肉体の息子を絶対に逆らえない道具に仕上げるだけ。
母親の面影とやらがどの程度の楔になるかは若干不安があったところに、都合よくあの息子にとって愛する女が出来た。
こいつは使えると踏んだ。
女が生きていればその命を枷に縛り付けることが出来るし、死んだら死んだで唯一残った奴にとっての大事なものとやらを守る気持ちを一層強めてくれるだろう。
それこそどんな事があろうとも、大事なものの命が保証される限りは裏切りなどは塵ほども考えまい。
そしてその予測は間違いなく現実となる。その兆候は合間合間に都度何度も確認済みなのだ。

「"servitutem"(隷属せよ)」

いい加減肉を貫く独特の音と獣の狂った声が煩わしくなってきたので、レンズを埋め込んだ改造人間の動きを古代語の命令で止めさせる。
ぴたり、スイッチの切れた玩具のように一切の動きを止めた改造人間の手から、女の死体がどさりと落下した。
ちらりとそれを見てみれば、まさに見るも無残、と言った状態だった。
品を知らない野犬に食わせたってもう少し綺麗なものだろうと思える程度には。
なんせ心臓部を中心にズタズタになり、肋骨や内臓などが丸見えになっているのだ。綺麗に残っているのはせいぜい首から上ぐらいなものか。

「お゙…う゛ぇ゙ぇっ」

ふと隣を見れば死体を目にしたレンブラントが吐いていた。
ある程度死体を見慣れた筈のこいつの反応を見れば、だいたいの人間はアレを見れば同じ反応をするだろうと予測出来る。自分は何も感じないが。

そうしてついにそれからすらも興味をなくした男は、それらに背を向けて退屈そうに洞穴に目を向ける。そして改造人間に神の眼を運び出させるべく三度命令を下す。

「"servitutem"」

…が、反応がない。

「"servitutem"」

…やはり改造人間が動き出す気配がない。
不思議に思い振り返ろうとする途中で、レンブラントが嘔吐するのも忘れたような様子で口と目を全力で開いたままガタガタと震えているのを見付けた。

「どうした?」

「あ…あが…あがが…が…」

せめて自分が理解出来る人語を話して貰いたい。
そう思いつつも、言葉を発せないらしいレンブラントが辛うじて指差す方を見やると、つい先程までただの肉人形となっていた女が、自分の足で立っているではないか。
しかも、あれほどに無残であった傷が今見ている目の前でどんどんと修復されている。
まるで記録した映像の逆再生を見ているかのような錯覚すら覚える様子で、だ。
そして何度命令しても改造人間が動かない理由もわかった。
女と立場を入れ替えるように、今度は奴が死体となっていたからだった。
それも、首から上を空間ごと削りとられでもしたかのように頭部が綺麗に消滅している。
そして完全に傷の修復を終えた女は、さらに変化していった。
長い栗色の髪はみるみる内にその色を失い、白髪に近い色合いの銀色に染まり上がる。
手にしていた光る刀の柄は形を失い、細かい粒子状に一度分解したかと思えば、次の瞬間には扇となって再構成されその手に収まっていた。
そしてこちらを見据えるように顔を上げたその両の瞳は、深い深い蒼色。その蒼の中に、うっすらと花弁のようなものが数枚ほど沈んで見えた。…思わず目を奪われる程に、不可思議で美しい瞳だった。
ただ、全ての傷が回復したと思われるにも関わらずその目からは涙のように血を流し続けているのが気になる。

「………」

確かに一度、死んだ筈。そして、その外見の変化よりもさらに大きな変化が目の前の女に起きていた。
晶力とは感覚が違うために正確には測れないが、内包する"力"が質も量も桁違いに撥ね上がっている。それもあの異界の奥に感じていた、恐らくは狂った女神のものであろう力に限りなく迫る勢いで、だ。

「貴様、何者だ」

『…………』

目の前の銀の女は答える代わりに、手にしていた扇を一度だけ開き、ぱちんと音を立てて閉じた。
すると、つい今の今まで地面に転がされていた人質の少女が消失した。
まるで空間ごと削りとられでもしたかのように。――そう、あの改造人間の首と同じ消え方だ。違うのは、少女は全身がまるごと消失しているという点。

殺気はない。いや、力の圧力に紛れて感じ取れないだけかも知れない。いずれにしても、この女は危険だ。

そう判断したヒューゴは背中に隠し持っていた不気味な装飾剣を抜くと、女に向けて晶術を放った。それは全てを呑み込む引力のなれの果て。

「ブラックホール!!…なっ!?」

だがその重力の穴が女を呑み込む寸前、やはり彼女はぱちんと扇を開いて閉じるという反応だけを返した。
そして、何事もなかったかのように別の空間に現れる。無論、重力の穴の影響範囲の外で。

「厄介だな。瞬間移動…いや違うな、"空間"移動か」

『……………』

この期に及んでも尚、女は無言のままだった。
蒼色の両目から流し続ける血の涙も同様、全く変化がなかった。その涙以外には一切感情の読めない表情もだ。
ヒューゴは知らず恐怖を覚えていることに気がつく。目の前の女が、わからない。何もわからない事が恐怖だった。素性も、目的も、何も読み取れない。今この場で女を相手取るには、今の自分のままでは役不足であろう事だけは理解出来るのだが。

――それから向かい合っての睨み合いは暫く続いた。ほんの一分足らずであったかも知れないし、ともすれば数時間続いていたのかも知れない。そう感じるほど密度の高い緊張感を持って対峙せねば、いつあの地上人と同じように首が消滅していたかわからない。
先のやりとりで女が力を使うには扇を開閉する必要があるらしいというのは想像出来た。他にも発動条件は何かしらあるだろうが、今はまだ情報が少ない。最低でもそれから目を離す事は出来なかった。…それでも、動作が小さすぎるため対処は困難であるが。

『……勝てる、と思ってるの?』

不意に女が口を開いた。…否、実際には唇は全く動いていない。頭の中に直接声が響いたのだ。その音はやはりクノンのものではなく、どこか幼さを伴う色だった。

「念話の類いか。万能だな」

『………』

女は静かに目を伏せ、扇を開いて口元を隠す。その動作に何がくるかとヒューゴは一層警戒を強めた。

『わたしはね、この子の幸せを叶えるために、存在しているの。存在、していたの』

「……」

『だから、見逃してあげる。近い未来、必ず貴方は破滅する。何にしがみついて千年この世にとどまっているかは知らないけれど、それももう終わり』

「……!?」

見逃す、だと?いや問題はそこではない。こいつ、まさか私の正体に気付いているとでもいうのか!?

『そう、これは"呪"。貴方程度の羽虫が相手でも力を割く事が出来ない代わりに、終焉の呪いを贈るわ……。さようなら』

そう言葉を切ると同時、扇を閉じた女は消えた。
後に残ったのは、極度に緊張しながら装飾剣を構えるヒューゴと、いつの間にか泡を吹いて気絶していたレンブラント。そして、首のない死体だけだった。
――どさり、と緊張から解放されたヒューゴはその場に崩れ膝をついた。

ふ…ふふ、よもや、この私が恐怖を覚えるなど。こんな感覚は久しく忘れていた。
だが、奴は何故か私に力を割けない理由があるらしい。脅威は去った。…去った、はずだ。

見下ろす腕が、膝が、震えている。無理もないだろう。いくら自分といえど、今はまだ脆弱な地上人の肉体なのだ。その状態で本物の神に匹敵する程の力と対峙するはめになってしまったのだ。
どう足掻いても抗えない敵に恐怖を覚えるなというのが無理というもの。五体満足でいられる奇跡を、今は喜ばねばならないだろう。
そして、神の眼さえ手に入れば奴の不吉な預言などいくらでも覆せる筈なのだ。…そう、もうすぐ手に入る神の眼さえあれば。
そう結論付けて己を奮い立たせたヒューゴは、神の眼を洞窟から運び出す人員を呼び出すべく携帯していた通信機を耳に当てたのだった。


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