月へ唄う運命の唄
不器用に8
――ぞぶり。
…一体"いつ"以来だろう、そんな音を聞いたのは。
――ばちゃり。
…どれくらいぶりだろうか、この生温い液体を感じたのは。
――どさり。
崩れ落ちていく、重たいナニカ。
きっと一緒に大切な何かも落ちてしまったような気がする。
不思議な事に、それはどこかで見覚えのある"女性"にも見えるけれど、どこで見たのだろう。
視界が、やけに赤い。
口に入り込んだ鉄の味が脳を激しく揺さぶって、やはりどこか見覚えのある景色が広がって、ソレは一息に私の身体を包むと耐え難い痛みと寒気に襲われる。
特に、首のあたりの痛みが激しい。そのせいか嘔吐感までが襲ってきたけれど、喉が詰まるような感じがして上手く吐き出せないでいる。
「………?……、……」
声も出ないや。…あれ、駄目。痛みも、寒気も、吐き気も、もう、我慢の限界。
………ごめん、多分そんな場合じゃなかったような気がするけれど、なんだか眠くなってきちゃって…我慢出来そうにない。…少し、寝るね。……朝になったら、おこして。
ブツンと無理矢理何かを引きちぎるような音を最後に、私の全てが途切れ――
――憎い。
憎悪。
大切だと想うモノの正しいカタチを、長い時間をかけて漸く正しく認識したばかりの僕にとり。それを傷付けたばかりか貶めてくれたこの敵はただひたすらに憎かった。
「――僕は言った筈だ。貴様は殺す、と」
「げぶっ…はぁ、はぁ…へっ、わす、れたなぁ…ごふっ」
ばちゃり、とまた大量の血を吐きながらバティスタは前のめりに倒れた。
目の前のフィリアと、攻撃を邪魔したクノンに気をとられた事で隙だらけだったバティスタの背中を、背後から急所に向けて貫いてやった。
剣が肉体を貫いていく間、一瞬硬い何かが剣先に触れて貫通したと同時にカランと音を立てて落ちたようだが、広がっていく血溜まりに沈んでそれは見えなくなった。
正面に居たフィリアとクノンに奴の血が振りかかったらしく、白が多かった二人の服は今や真っ赤に染まってしまっている。
と、その時僕はクノンが顔にかかった血を拭いもせずに大きく目を見開いたままかたかたと震えている事に気が付いた。
………?
『坊っちゃん、クノンの様子が変です!』
「わかっている、…おい紫桜姫!!」
言い様のない謎の不安に襲われた僕は彼女の身の内に居る"保護者"に呼び掛け、震えだしたクノンに駆け寄って抱きしめる。今にも崩れ落ちそうだった彼女の体を支えるためだ。
『少し黙ってて!!…ぅ、……ん、………ふぅ…無事に"落とした"よ。これで大丈夫な筈』
余程焦っていたのか、紫桜姫の口調がどこかおかしい。が、そんな事は彼女が無事ならばどうでもいい。
「一体、何が起きた?」
『……』
「おい、答えろ」
『悪しき記憶の追体験、といったところ。何を視たのかは具体的には伏せさせてもらうけど』
「追体験…?それに、視た、だと?」
前者はわかる。記憶の追体験とは、心的外傷によるフラッシュバックという事だ。だが問題はその後だ。これは以前からクノンに聞いていた話からの推測を含むが、身の内に紫桜姫を取り込んでいるために一部感覚を共有する事があり、どうやら彼女はクノンから何らかのイメージを受け取ったらしいが…一体何を見たというのだ?
『ごめん、そんな顔をされても答えられない。こればかりはわたしから言うわけにはいかない』
僕はそんなに聞きたそうな顔でもしていたのだろうか。……いや、恐らくはそうなのだろうな。他ならぬクノンの事だ、冷静でいられる筈がない。
『この子の事は大丈夫。少し強引だけど意識を奪っただけだから。貴方はやるべき事をして』
「わかった」
紫桜姫がそう言うなら大丈夫なのだろう。僕は遅れて駆け寄って来たルーティに彼女を預けると、虫の息でフィリアと最期の会話をしていたバティスタに向き直る。
「フェイトはどこに居る」
「かふっ、…へ、"最後の最後まで"邪魔してくれたテメェの女に免じて教えてやんよ…。あいつはこの奥の牢の中さ……コイツがその鍵だよ」
もう殆ど力が入らないのか、弱々しく震える手でポケットから鍵束を取り出す。僕はそれを受けとるとスタンやマリー、ジョニーを引き連れてフェイトの待つ牢へと足を踏み出した。
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