夜空を纏う銀月の舞
ソロモンには届かない8
バルバトスと名乗った男が退いてから一日。深手を負ったフィリア、ユカリ、フィオをフィリアの私室に運んだ少年達は、彼女らを懸命に手当てし治療を施した。
その中でいち早く目覚めたユカリは、あとは自分でやるからとワンピースの少女とロニをフィリアの治療に専念させる。
まだ応急処置しか施せていないフィオの治療があるからと食い下がった二人には、使い魔である彼女の主人たる自分以外には完全には治癒出来ない事を説明し納得させる事で引き下がらせた。……そうして。
「――ふう。呼吸も落ち着いているし、これで大丈夫」
「良かったぁ」
少女による言葉で漸く気が抜けたのか、ぺたりとその場に座り込んだカイル。その隣でロニもほっと一安心した表情を浮かべる。フィリアの治療はひとまず、これで一段落ついたといった所だ。
そしてフィリアが眠る寝台から少し離れた位置。置かれたソファに横たえられたフィオの治療を施していたユカリの隣には、何故か意外な人物が立っていた。
彼はその様子を物珍しげに眺めている。実際、フィオの胸の上に札を置いて、それに手をかざすだけで傷が塞がっていくのだ。治癒術にしても珍しい方式である。
ずっと無言で隣に立たれているため、どうにもいたたまれなくなったユカリは彼に声をかける事にした。
「まさか私が気を失っている間に、キミが二人を助けてくれたなんてね。キミが居なかったら、私も危なかった。ありがとう」
「礼には及ばん。たまたま居合わせただけだ」
ぷいと顔を逸らして背を向けるジューダスに苦笑いするユカリ。普段落ち着き払っている分、少し子供じみた仕草に可愛らしさを覚える。
「照れてるの?」
「照れてなどいない」
「またまた」
「くどい」
「お兄さんも笑っているよ?」
「…………」
『…………っ!!!!!!』
ユカリがジューダスの脇に立つ半透明の青年の様子を指摘すると、彼はマントの下に手を持っていき何かを握りしめるような仕草をした。途端、青年の顔が苦痛に歪んだかと思うと、彼は叫び声を堪えるように両手で口を塞ぐ。
…………?
その様子に違和感を覚える。少年の行動に連動して、青年が反応を示した。ただの霊であるならば考えられない事である。声が聞こえるだけならば、普通の人間が霊に対して能動的な干渉など出来る筈がないのだ。……そういえば。
「お兄さん、"濁り"がないね。もしかして、式神か何か?」
そう、独立した幽霊特有の独特の気配がない。上に、何らかの媒介に憑いた霊でもなければ今のような間接的な干渉は成立しない。つまり、少年はそういう"何か"を背に隠し持っているという事になる。
「式神、だと?」
「あ。…………」
対して、少年の方は聞き覚えのあるその専門用語が気になった。見れば少女はしまったというような声を上げ、唇の形はそのままに固まっている。
「…………」
「…………」
二人の間に流れる、気まずい空気。そんな空気を破るように、眠っていたフィオが目を覚ました。
「ん、う〜ん……。……れ?どうしたんですか?お二人とも。そんなプロポーズの現場みたいに熱く見つめあって固まったりして」
「違うっ!」
目覚めるなり突拍子もないボケをかます少女に、二人は勢いよく振り向いて同時に否定の声を上げる。
「ありゃ息ぴったり。熟年夫婦みたいじゃないですか……ハッ!?駄目です!ユカリさまは私の大事な嫁ですよ!こんなどこのウマのホネとも知れない……てか獣の骨なんかガッポリ被ってる変態サファリボーイには渡しませんよっ!?」
「ぶふっ、サファリって……というか、誰がフィオの嫁?」
「ユカリさま」
「同性の結婚には反対」
「…………諦めませんよ!」
がばりとユカリの腰にしがみついたフィオは、つれない彼女の言葉に涙を流すふりをしながら決意を新たに拳を握り締める。
その様子にすっかりとそれまでの空気をぶち壊されたジューダスは、溜め息を一つつくと「馬鹿馬鹿しい」とこぼしカイル達の方へと歩き去って行ってしまった。
「もしかして、真面目なお話の最中でした?」
「……ううん、助かった。ありがと」
ひとまず詮索を免れた事に安堵する。意図せずとはいえそれに一役買った彼女の頭を礼がわりに撫でてやりながら、ユカリは生まれた疑惑について考えを巡らせる。
あのお兄さんは、ただの霊じゃない。見え方も、声の聞こえ方も普通の霊と変わらなかったから気にしてなかったけど……。うーん……ならお兄さんに干渉出来るような特殊なものを持っている彼は、ほんとに何者なんだろう…?
その答えは、恐らく今問いただしても貰えはしないだろうという事だけはわかっていた。
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