夜空を纏う銀月の舞
動き出す3
――と、それまで下げていた己の視線を上げたロニは、いつの間にやら自分と同じように俯いていたジューダスの背後に忍び寄る、怪しげな黒い影に気が付いた。
全身黒で統一されたその影は、頭が三角形にとんがっていて、やたらと見覚えがある。
が、その手にはどうにも見慣れない、いや、昔々に自分もソレを製作してはルーティのお尻をソレで叩いて悪戯ドッキリに成功したはいいものの次の瞬間には取り上げられた挙句仕返しとばかりに今度は自分の尻を百回ばかりシバき倒すのに一役も二役も買った超兵器――要するにハリセンが握られていた。
一体何する気だコイツ?とロニが心中首を傾げた次の瞬間。
パカーン!!
とこの重苦しい空気にそぐわない、間抜け過ぎる程の乾いた音がハイデルベルグ城のホールに響き渡った。
「……っ!!いきなり何をするっ!?」
「八つ当たり」
はぁ?と不機嫌も露に眉根を寄せるジューダスに対し、全力全開ハリセンアタックをぶちかましたユカリ。
彼女は用済みとなったそれをロニに向かい放り投げると、こちらもまた不機嫌そのもの、といった声を出した。
「キミ、いくらなんでもあの言い方は酷すぎ。確かに浮かれて周りをよく見てなかったカイルも悪いし、浅はかな考えで行動したロニも悪い。でも、もう少しキミも感情を抑えて諭してあげるべきだった」
「お前……、はぁ、まさかお前までカイルを甘やかすつもりなのか」
「違う。でも一番文句を言いたいのは、ロニを言い負かすのに私を引き合いに出した事。私が申請を出していたのはリアラの手助けをしたかっただけで、説教のネタにされるためじゃない。メンツなんてどうでもいい。それに悪いのはロニじゃなくて、私。忠告してくれてたのに割り込みを止められなかったのは私だし、おだてられて浮ついてたカイルにそれを指摘出来なかったのも私。一旦離れたキミと違ってずっと一緒に居たのに、わかっていながらただぼうっと突っ立ってただけの私が一番責められるべき」
「……だからといって、お前が全部背負い込む必要はないだろう」
「ん。……ほら、ほんとはそんな風に優しく出来るんだから、みんなにもそう出来るはず。冷静に、ね?」
そうユカリが口元に笑みを浮かべれば、ジューダスはぷいと顔を背けて咳払い。カイルを思えばこそ、と少々熱くなっていたことを指摘され、若干気まずくなったようだ。
「なあ、もしかしてこのパーティで一番強えぇのって、実はユカリじゃねぇのか?……って、さっきは悪かったな。痛かったろ?」
「ああ気にしないで下さい。わざと大げさに吹っ飛んだだけですから。まぁ今回はたまたま彼に突っ込まれる所が一部あっただけですし、ユカリ様の勝ちというわけでもないと思いますよ。彼は概ね正しいですもん」
こそこそと内緒話をする二人の様子には気付かないらしい、なおもクスクスと笑うユカリは滅多にない勝利(勘違い)にご満悦らしかった。
――――それから少しして。走り去ったカイルとリアラを探しに行くというロニに、連絡役のフィオを付けて別れた私と骨っこは、二人並んで旧市街の街を散策して歩いていた。
先の出来事から機嫌を損ねたらしく、あれから彼は口をきいてくれない。
無言で城から出ようとした彼に勝手に着いて来たはいいものの、なんともいえない気まずさに閉口していた。
さく、さく、と舗装された通りの上に浅く積もる雪を踏む音が響く。周りを見れば、スノーフリアで見たのと同じように雪かきをしている人や、雪合戦をして遊ぶ子供たち、中には坂道を利用してソリで滑る人なんかも居る。
どさどさっ、と重い音にそちらを振り向けば、屋根の上で雪下ろしをしている人と目が合って笑いかけられたりもした。
みんな、生き生きしてる。
冷たく寒い気候なんてなんでもない。日々の暮らしが幸せで、一生懸命に平和を楽しんでいるのがひしと伝わってくる。
「……本当に、いい国」
「そうだな」
返事を求めずに思わず漏れた言葉に、不意な返事が返ってきて少し驚いた。
「ウッドロウに、見せたのか」
「ん。……でも結構、冷静だった」
「だろうな。他の連中はどうか知らんが、少なくともあいつはあからさまに顔には出さんだろう。……それが例え、どんなものであろうとな」
言外に顔を、と訊かれたのがわかって返事をする。……が、続いて彼の口から飛び出した言葉に、思わず足が止まった。
そんな私に気付いて、1・2歩進んだところで振り向く彼。
「どうした?」
「……キミ、もしかして、私の素顔……」
声が、震えてしまう。一番、恐れていた事。それだけは、知られたくなかった事。
そうでなければと、最悪の予想は外れて欲しかった。
のに。
「――ああ、すまない、気付いてなかったようだから、言わないでいるつもりだったが……。海の主からお前を助けた時に、な」
――――っ!!
頭をハンマーで殴られたかのような衝撃。テーブルから落下したグラスが、弾けて粉々に砕け散ったような音が耳の奥に木霊した気がした。
彼の言葉の意味するものが脳に浸透した瞬間から、全身を不可解な震えが包み込んで止まらない。
なんで?なんでっ?なんでっっ?
思考がまともに働かない。なにか言わなきゃと思っても、言葉にしたい筈の単語が幼児の描く落書きのように湾曲した形で浮かんでは、意味のある文字の形に整えられずに消滅していく。
まるで馬鹿の一つ覚えが如く、なんで?という疑問符のみが脳内をひたすらに埋め尽くしていき、あまりの気持ち悪さに吐き気すら覚えてしまう。
「――――?…………?――――」
彼が何かを言っている気がする。けれど、理解出来ない。
彼の顔を覆う骨の隙間から見える表情が、不自然な形に歪んだ様に見えるもその形の意味がわからない。
そんな彼がやがてゆっくりとこちらへと近付いて、私の肩へとその手を乗せようと伸びてきて――
「やめてっ!!」
「!?」
噴火するような謎の拒絶感に干上がった喉で無理矢理叫んだせいか、裂けるような痛みが走った。
びくり、と引っ込められた手の向こうで、また彼の表情がぐにゃりと歪んだ気がする。でもやっぱりその意味が読み取れない。
息が苦しい。胸が苦しい。心臓が痛くて、切なくて、引き千切れてしまいそう。
完全な失恋。それも自分の恋が動き出す前からの、完膚なきまでの失恋。
私がその恋を自覚する前にその芽は摘み取られてしまっていて、わかっていた事実を今度こそ誤魔化せない形で突きつけられて。
あれだけ毎晩流して見せないようにしていた涙が、彼の目の前なのにまた溢れてきてしまって。……もう、どうしようもなくなってしまった。
と、立っていられずにその場に崩れかけた私の腕を強引に掴んだ彼は、人気のない路地の暗がりへと私を引っ張り込んだ。
大方、通りの真ん中で泣き崩れた私と居るのが恥ずかしかったんだろうと思う。せめてもの情けか、人の目のない所に押し込んで隠してくれたおかげで、これ以上彼に恥をかかせずに済むのが救いだった。
後はこのまま、彼が立ち去ってくれるのを待つだけ――
!?
不意に、暖かさに包まれた。
いつの間にか顔を覆っていた私の仮面が外されて、そのまま逞しい胸板に正面から押し付けられている。つい先ほどまでとは違う息苦しさを感じた途端、止まらなかった体の震えが収まっていくのがわかった。
あんなに触れられるのが嫌だった筈なのに、いざ抱かれた瞬間には嘘のように受け入れてしまっている現金な自分の体に心底嫌気がさした。
「落ち着いたか?」
頭上から降ってくる、少し抑えたような声。こくりと頷けば、名残惜しくも温もりから引き剥がされてしまった。
確かに体の震えは収まった。けれど、胸の内では未だにふつふつと湧き上がる感情がじわじわと胸を締め上げていく。
「どう、して」
「……」
「どうして、こんなこと?」
「……」
「似てる、から?私が、クノンに、似てるから、優しくしてくれるの?」
それ以外に理由なんて思いつかなかった。思えば、それらしい節は幾つかこれまでにもあった。あれらはきっと、彼女に似てる私が他の人と仲良くするのに嫉妬とか、そんな類の感情からの行動だったんだと思う。私の顔を知っていたのなら、納得出来なくはない。
でも、それは。
「……キミは、"私"を見てくれてると思ってた。でもやっぱり、キミにとっても私はクノンの代わりなんだね」
「!……違うっ!」
「違わないよ。でないと、ただの仲間にここまでは出来ない……他人の距離じゃ、ない。――――ごめん、少し、一人にさせて。……じゃあ」
「おい、待――――
呼び止める彼の声を最後まで聞かないまま、私は杖を箒に変えるとその場から逃げるようにして飛び去った。
ううん、正真正銘、彼から逃げ出した。
そうでもしなければ、自分が何をするのかがわからなかったから。
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