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夜空を纏う銀月の舞
動き出す4 流血アリ

彼から逃げ出して、緩やかに雪の降るハイデルベルグ城下の街の上空を一人当て所なく飛んでいる時だった。不意に、自分の周りが巨大な影に覆われた。
なんだろう、雲だろうかと思い見上げた私の目に信じられないものが映り、思わず思考が停止しかける中、見たモノと合致するであろう一つのモノの名を口にする。

「竜!?」

そう、それはとてつもなく巨大な、翼持つ飛竜だった。街の上空100メートル程の位置を飛ぶ私の、その更にはるか上空。竜は唖然とする私の上をあっという間に追い抜き飛び去ると、そのままぐんぐんと速度を上げ、高度を下げていき――耳を劈くような爆音とともに、ハイデルベルグ城の時計塔へと突っ込んだ。
がらがらと崩れていく外壁。塔の頂上に取り付けられていたらしい鐘がまるで悲鳴のような音を鳴らしながら転がり落ちていくと、最後にごん、と鈍い音を響かせて地面にめり込む。次いで塔の頂上に降り立った竜の口からはばらばらと武装した人間やら魔物やらが次々と吐き出されていくのが見えた。
生物であると思われた竜から、まるで積み荷を降ろす船のように人や魔物が出ていくという様。それを見て、以前文献で読んだあるものを思い出した。あれは恐らく、昔セインガルド王国が保有していたという飛行竜というもので間違いないと思われる。

一体、何が……?いや、ぼうっとしてる場合じゃない!!

『フィオ!!今の見た!?』

『はい!なんですかアレ!?いきなりでっかいドラゴンがどかん!ってお城に突っ込みましたけど!』

『わかんない!でも間違いないのは敵襲ってこと!どちらにせよあのままじゃお城の人達が危ない。キミは彼とみんなを集めて救援に向かって!私は一足先に突入する!』

『わかりました!でもくれぐれも無茶はしないでくださいよ!私達が着くまで防衛に徹してください!』

さすがにいつものようにふざけている場合じゃないのはわかっているらしい、至極真面目な調子で返事を返したフィオとの通信を切ると、私は箒の速度を上げ真っ直ぐに城へと急いだ。

――比較的崩れていない城の二階、どこかの客室の一つだろう出窓のガラスを蹴り破って中へと侵入する。
心の中でごめんなさいと一言謝りつつも出口へと走り、扉を開く。すると聞こえてきたのは断続的に響く轟音と、甲高い金属同士の激突音。どうやら戦闘が起きているらしい。
音のする方向へと真っ直ぐに長い廊下を走り抜けると、やがてまるで火薬で爆破されたかのように破壊された扉へとつきあたる。

「…………」

扉の影、向こう側から死角になる場所から慎重に外の様子を覗う。
その向こうでは、くすんだ黄金色の獅子をモチーフにした兜を被った赤い甲冑を着込んだ剣士と、ふわりと緩くウエーブがかった金のショートカットの女性騎士とが激しく剣を交えている最中だった。
彼女の背後数メートル程の場所では、数人の兵士達が血まみれで倒れ伏している。
どうやらあの獅子の剣士にやられたらしい、モート隊長と打ち合う剣戟の凄まじさから相当な手練である事がわかる。

強い、そう私が心の中で呟くと同時、モート隊長の放った炎の晶術・バーンストライクを変則的な動きで掻い潜り、爆煙に紛れて獅子の剣士がその背後を取る。
危ない!そう思った時には手遅れだった。剣士の持つ反りのある片刃の大剣――おそらくはアクアヴェイル産と思われる大太刀――が、彼女の背中を貫通し激しい血飛沫を撒き散らした。

「……あっ……」

ドクン

私の胸の中、その奥で脈打つ心臓が、破裂せよとばかりに大きく跳ねる。

「あ……ああ、……ああああああ……!」

ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……

ぐわんぐわんと視界が揺らぐ。
あまりの揺れに平衡感覚は瞬く間に消失し、胃の奥からとてつもない嘔吐感がせり上がる。
足から力が抜け、立っていられずにその場に膝をつき必死にぶちまけてしまいそうになる口を抑えた。

「あ、……ぐ、うえっ、おうっ……んぐっ、う……」

ぶつり、と胸が内側から何かに破られたような痛みが走り、何かとそこを見下ろせば、私の胸からも鈍色の両刃剣が生えているのが見えた。途端にそこからばちゃばちゃと血が流れ落ちていく。
次いで、私の体は背後から何者かに羽交い絞めにされて持ち上げられた。
そうしてぞぶり、ぞぶりと聞いたことのない音を立てながら、何度も何度も剣によって繰り返し背後から胸までを貫かれてぶらぶらと力なく体は揺れ続ける。まるで糸で吊るされた、哀れな操り人形のよう。
耳元では酷く醜悪にまとわりついてくるような低い声が何かを囁きかけ、鼻につく腐臭がさらに吐き気を催させ、こらえていた筈の口から赤色の液体がごぼごぼと漏れ出していく。

「ぶ、ごぶっ、ぼ……」

もはや言葉ではない、ただの音。
体を貫かれる度に吐き出されていく血と音の中、懐かしい死の香りに包まれていく視界の端。私と同じように背後から串刺しにされていたラピスの体が、力を失いどさりと倒れていくのが見えた。
じわりと床に広がっていく大量の血の海に、彼女の金髪が赤く染まりあがっていく。

――――ら、ぴ、す……?……っ!そうだ、ラピス!あの人は、あの子は、大きくなったラピス!!

倒れた彼女に背を向け、付着した血を振り払い拭う剣士の足元。投げ出された彼女の手の指先が、血だまりの中でぴくりと動きゆっくりと握り締められるのが見えた。
弱弱しいその動きの中にある、彼女の悔しさを表すような震えがその胸の内を垣間見せてくれる……つまり、まだ彼女は意識を保っていてくれているのだ。

――生きてる!まだ、生きてる!!

「たす、け、……なきゃ……!あの子だけは、助けなきゃ……っ!!」

守れなかった。止められなかった。大切な人達も、周りの友人達も。
かつて好意を寄せてくれた友人が、敵の手によって人外へと堕とされる事に気付けなかった。そうなる前に救えなかった。
だからせめて、彼が大切に思っていたであろうあの子だけは、救いたい。救わなければ。

かつて過ごしていた世界、失くした命、出会った少年、駆け抜けた戦場、許せない禁忌、輝く刀と"再会"、大切な誓い、紅炎の焔、集う仲間達、気付いた気持ち、小さな少女、封じたはずの災禍、告げられた想い、想定外の罠、守れなかった人々――――そして、●●●●●。

一つ瞬きを繰り返す度に蘇る、忘れてしまっていたもう一つの人生。

そう、私は隔たりの中にあった空白を忘れてしまっていた。忘れていた事に、気付いていなかった。私が歩んできた、大事な大事な歴史が抜け落ちてしまっていた事を。
忘れたくなんてなかった。忘れたままで生きていた事が恥ずかしくて、苦しくて、切なくて。遥か昔に失くしたはずの未来を歩んできた、何よりも大切で愛おしい18年前の記憶が、死によってあっけなくも失われていた事に涙が溢れる。

けれど今、私はそれを取り戻した。この目の前で、私と同じように繰り返されようとしている歩み寄る死の光景によって。
そう、昔バティスタとの闘いの決着の時に見たあれは"あの子"のトラウマの映像であり、あの子自身の消えない傷だった。
あの時靄がかかって思い出せなかったフィルターの向こう側では、きっと殺された私の死体が嬲り者にでもされていたのだろう。
その記憶が、紫桜姫の柄を介して融合していた私に影響していたんだと18年以上も経った今更になって理解した。

「させ、ない」

やらせてなるものか。

気が付けば、あれだけ執拗に私を貫いていた両刃剣が胸からなくなっている。そればかりか、刺されたと思っていた体には傷一つない。傷があった筈の場所に触れてみても、痛みは微塵もない。
私が今の今まで体験していたものは、18年前の私が死んだ時の記憶だった。ただの幻、過去の追体験だったのだ。現実の私には何も起きてなんかいなかった。

未だ薄く残る吐き気を無理矢理に飲み込む。床についたままの膝を持ち上げ、壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がる。丸まった背を強引に伸ばし、大きく深呼吸すると吐き気も漸く収まった。

やっと、思い出した。全部、思い出した。

揺れてぼやけていた視界はクリア、やることはもうわかっている。私は取り落としていた杖を拾いぎゅう、と一度強く握り締めると、その場から飛び出して剣士へと不意打ちの巫術をぶつけるべく走り出す。

「シルフィバレット!!」

「ぬ、ぐぉあっ!?」

狙いは正確。剣士の胴体を打ち抜いた空圧の砲弾は、勢いそのままに十数メートルほど相手を吹っ飛ばしてラピスから引き剥がす事に成功してくれた。
それを確認すると、私は急いで彼女へと駆け寄りぐったりとするその体を抱き起こす。

「ラピス!」

「ごふっ、……トニトルス、さん……?」

「喋らないで!今応急処置の札を……、急々如律令、札よ、この者に癒しを……!」

「……!い、まの、えい、しょうは」

「黙って!……、やっぱり私じゃ塞ぎ切れない……!せめてリアラがいれば……!」

まったく使えないよりは、と用意していたありったけの札を彼女へとつぎ込むけれど、傷が大きすぎて出血を緩やかにするのが精一杯な状況。

ここへ来て、才能がないからと治癒術の研鑽を怠っていたツケが回るなんて!

悔しさに歯軋りする私から離れた場所で、がちゃりと甲冑の金属板同士が擦れる音が聞こえてくる。
はっとしてそちらを見やれば、吹っ飛んだ剣士が苦い顔をしながらゆっくりと立ち上がって来るのが見えた。
彼の傍らには大きな猫科の猛獣のような魔物が侍り、体を支えるようにして寄り添っている。

「不意打ちとは卑怯なり……。貴様、何者だ」

「ごめんラピス、もう少し頑張って。あいつを倒したら仲間のところに連れてくから、どうか死なないで。……、卑怯?こんないきなり竜を突っ込ませて強襲するような奴に言われたくなんてない」

マントを破り、止血するようにして患部を縛る。そうしてから優しくラピスを寝かせ、剣士へと向き直った私は全力で相手を睨み付けてやった。あ、そういえば仮面、あの人に取られたままだ。

「ふん、……いや、その出で立ち……そうか、貴様が我が主を愚弄したという魔女か」

「主?あなた達、何が目的?」

「知りたければ、我が信念の剣を見事凌いで見せよ……、我が名はサブノック!いざ、参る!」


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