[携帯モード] [URL送信]

真皇帝物語
5

いったいどこの一般民家の光景だろうか。
起床して食堂に足を運ぶ度、シアの脳裏にはそんな感想がよぎる。
テーブルに並んだ出来立ての朝食、食器が起てる金属質な音、それらを囲う多様な風貌の人々。本当にどこかの平凡な一家族にしか見えない。

「…なに、どしたのシアちゃん。なんか言いたそうだけど、もしかして口に合わなかったかしら」

シアの向かいで指についたパン屑を品よく払いながら、美女のような風貌の男、アルベラが尋ねた。彼が使った呼称に、シアは苦り切った表情になる。

「『ちゃん』はよせと言っているだろう。何度言えば改めてくれるんだ」

「シアちゃんはシアちゃんでしょ。改めようがないじゃない」

聞く耳を持たないアルベラに嘆息しそうになったシアだが、諦めずに再度説得を試みる。

「『シア』と呼んでくれればそれで構わない。ただ、『ちゃん』を付けないでくれと言っているだけなんだが」

「アタシにとってシアはシアちゃんなのよ。分からないかしら」

「………? 分からないな」

「可愛いから『ちゃん』付けせずにはいられないのよ」

くにゃり、とシアの手の中でフォークが短い生涯を終えた。彼はなぜか、可愛いと言われるのを殊更嫌う。
どうしてくれようかこの口から男、と殺気混じりに意気込んだところへ、淡々とした声音が切り込んだ。

「銀メッキフォーク一本、800ルース。ぼうずの今日のノルマ追加だな」

テーブル端の席で億劫そうにカップをあおる壮年の男が当然のように告げ、それを耳にしたヴィオが紫苑の瞳を剥いた。忙しなく動かしていた手を止め、口の中の物を飲み下す。

「…っ、なんで俺!?」

「お前とシアは二人一組だろうが。若ぇのに俺より先に耄碌したか?」

ま、連帯責任ってやつだ、と締めくくった男は、ヴィオに向かって悪戯っぽく口の端を吊り上げてみせる。
なにやら含みのあるその笑みに、ヴィオは怪訝に首を捻った。拍子に、その夜空を映したような深い藍の髪が揺れ動く。自由奔放な寝癖は、至る所から新芽が芽吹いているかのようだ。

「……なにが連帯責任だ」

この上ない仏頂面になったシアが低く呟く。

「どうせ、マスターの賭博の費用か団長の菓子代に消えていくのだろう。フォークなど食器棚の中に腐るほどある。一つや二つ失ったところで困るとは思えない」

「まぁな」

男は悪びれもせずに返し、再びぐいとカップをあおる。そのふてぶてしい様にシアは今度こそため息をついた。
団長を始め若者の集団である傭兵団『秘匿の鍵』の中で唯一、年季を感じさせる風体の男。他の団員からマスターと呼ばれているその男は、その呼び名の通り酒場『黒羽』の主人でもある。
『秘匿の鍵』の団員達は、基本的に傭兵稼業だけでも生活はできる。それでも酒場を経営するのは、単にマスターの趣味なのだ。ただ、趣味というだけあって営業時間はまちまちで、夜だけ営業、深夜営業、時には朝だけ営業などというのが常である。
シアはそのような適当な店に客が来るのかと呆れたものだが、いざマスターが店を開ければ店内には客が次々と入り込む。どうやら、この店が開いている時を見つけるのも楽しみの一つとなっているらしい。
しかし、マスター自身も伊達に店を開いている訳ではなく、正装してボトルを持てばこの上なく様になる。後頭部へ向けてざっと流れるブロンド、無精髭、年季の入った眼力と渋さ滲む声。長身で無駄なく引き締まった体躯は、ダンディズムを体現しているかのようである。さらには酒場のルールを知り尽くしており、客への配慮も一級品。非の打ち所のない、まさに『マスター』なのである。
なのであるが、しかし。
完璧な人間など、この世にいるはずはない。何かが圧倒的に優れていれば、致命的に不足しているものもある。
シアはマスターによってそれを改めて思い知らされた。

「ともかく、お前らで仲良くギルド行ってこい。俺も大いに賭けが楽しめて幸せ、みんな幸せってな」

理解のし難いその言葉にシアの声から覇気が失せた。

「……幸せなのはあんただけではないのか」

よくもまあ、ここまでおおっぴらに下心をさらけ出せるものだ。潔いといえば聞こえはいいが、いったいいかがなものか。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!