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真皇帝物語
3
──我ながら馬鹿なことをしたものだ。
別に自分は、あの男の話を信じていない訳ではなかった。一応筋は通っているし、ギルドの情報屋に聞いたというのなら十分信頼に足る。それなのにわざわざ勝ち目の薄い賭けに乗ってしまうとは。酔った時の判断力というのは恐ろしいものだ。
別に、この賭け事を放棄してやることも不可能ではなかった。しかし、いかんせん彼は根が実直なために一度口にした言葉を撤回するような真似は矜持と良心が許さなかった。そして何より、目が覚めた時に握らされていた紙切れの文面に問題があったのだ。

『本国に帰ったらゴルデ監獄の看守をやってみろ。そこにお目当ての人物がいれば俺の勝ち。いなきゃお前の勝ちだ。お前が勝った場合は俺が直接酒を渡してやるが、俺が勝った場合、お前は「黒羽」に行って俺の名前を出し、店主に言われた金額を払っとけ。別にお前が逃げたって俺はどうもしねぇが、男なら二言を吐くなよ。
セファンザ帝国軍第四攻隊 攻隊長ウォーグ・シュナイツ』

男が衝撃を受けたのは、もちろん最後の肩書きその他である。
攻隊長直々の賭けの申し出は、無視できない。
第四攻隊といえばセファンザ軍の中でも有数の実力を誇り、選りすぐりの人材が集められているという高位の部隊だ。更にその兵士達を統べる隊長は、確かな実力、経験、カリスマ性を合わせ持っているという。豪放な性格故に人望もあつく、兵士ならば名前を知らない者はいない。
しかし、名前が知れ渡っているからといって、その外見まで知っている者が多いとは限らないのだ。
男は再び嘆息する。
だいたい、何故あんな極普通で、下級兵の縄張りになっているような酒場に攻隊長なんて大物がいたのだ。あの時滞在していた町には、もっといい酒場がたくさんあったろうに。それにあれだけ人がいたというのに、誰もあの男がウォーグ攻隊長だと気づかなかったとは。やはりそれなりの大物となると、下級兵が顔を窺い知ることは難しいのだろう。
そういえば、ウォーグ攻隊長が賭けで指定した『黒羽』も、庶民が戯れに訪れるような酒場だ。意外と庶民派なのだろうか。というより、何故そんな酒場に『ルドルの囁き』が存在しているのか。実は裏ルートから密輸入しているとか。賭けが失敗するついでに主人に聞いてみようか。
ふと、男は頭をひとつ振った。これはいけない、最初から負ける気満々である。その上、思考がどうも現実から離れ気味だ。確かに勝ち目は薄いが、勝負は最後まで分からないのだ。こんなことでは今後の戦いにおける士気に関わる。心がけは明るくなくては。
そう思いつつ歩みを進め、男は地下牢の扉を開けた。扉脇にある壁の突起から鍵の束を取り、近くの燭台に手燭をはめ込む。すると、そこにかけられていた術によって炎が増幅され、広い内部が照らし出される。
炎で温められた空気が鼻孔に届く。その時、男は初めて牢内の異臭に気づいた。かび臭さに混じって漂う、この匂いは。

「……鉄…?」

戦場で嗅ぎ慣れたそれに、男は眉をひそめた。地下牢で何故血の匂いが。
奥に目をやると、その匂いの元であろう黒い染みが見えた。独房の中から流れ出したようだ。近寄ってみれば、どす黒い液体は鈍く光を反射する。まだ新しい。

「………っ…」

独房の中に視線を移した途端、男は小さく呻いた。
流れ出た血液の主はとうに息絶え、隅に仰向けに転がっている。肩から腰にかけて斜め一直線に深々と殺傷されており、失血死というよりもはや即死だったのではないかと思うほどだ。
おおよそ人間の所業ではないその傷に、男は疑念を強くした。誰が、いったいどうやって。
見たところ、仏は男性なのだと分かる。無精髭や伸び放題の髪から古参の囚人であったことも推測できる。不謹慎だが、最近投獄されたはずの賭けの対象ではなさそうだ。
とりあえず亡骸の詳しい確認をしようと独房の鍵を開け、鉄格子の扉に手をかける。どこか接触が悪いのか、キィ…という耳障りな音をたてて扉が開いた。

「……何者だ」

突然、背後から声がした。一旦手を止めて振り向くと、向かいの独房に人影が確認できる。
ただ、妙なことにその独房だけはやたらと薄暗く、人影の風貌が判然としない。燭台にかけられている術で地下牢の全体が明瞭になるはずだが。

「何者だ、と聞いている」

再び問われ、男はさすがに少々気分を害した。なんだ、この不遜な物言いは。

「お前こそ何者だ。ここは監獄で、看守が見回りに来るのは当然だろう」

「看守……そうか…ここは牢屋なのだったな…」

「なんだ他人事みたいに。お前が今いる場所だろう」

おかしなことを言う、と男は首を傾げた。
独房内から届く覇気も抑揚も薄い声は若い、というより幼いといったほうが近いだろう。この声だけで性別を判断するのは難しい。

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あきゅろす。
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