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真皇帝物語
2

外気がほとんど届かない地下牢へと続く螺旋階段を、鎧を纏った一人の男がゆっくりと降りていた。
手燭の炎が音をたてて弾け、足元に落ちた影が揺れ動く。
不明瞭な視界のために石壁に手をつきながら慎重に歩みを進めているが、足元ばかりに気をとられていると時たま鎧が石壁と擦れて耳障りな音をたて、その度に男は顔をしかめる。
兵役に志願したての頃は重厚な鎧に憧れたものだが、今となっては重装備など勘弁願いたい。身体全体を鋼鉄で覆えば動きづらいのはもちろんのこと、今の季節、ことに今宵のような湿気の多い曇りの日は、鎧の中が蒸してしようがない。ましてや兜などもってのほかだ。
そういう理由で兜だけは外している男の頬を、地下特有の湿度の高いひんやりとした空気が撫でていく。あまり心地良いとはいえないそれに、男は渋面を崩さずに息をついた。自分は何故、こんなところにいるのだろう。
そもそも、あんな賭けに乗ったのが間違いだったのだ。
──先の月、敵国との長きにわたる争いに決着がついた。
記録的な大勝利を収めた男の祖国は沸き上がり、各地で祝杯が挙げられた。当然、直接戦に関わっていた軍部では一際大きな宴会が開かれ、皆が勝利の酒を味わっていたのは世の常である。
そして、酒に酔った男はろくなことをしないというのもまた然り。

「……なぁ、知ってっか? 今回のぉ、戦争の裏話ってやつをよぉ」

宴もたけなわというところで、誰かが唐突に切り出した。酔いがまわっているのか滑舌が悪かったが、酒の席でそんなことを気にする者などいない。

「裏話だぁ? なんだそいつぁ」

と誰かが聞き返すと、話を持ち出した男は得意げな様子で話し出した。

「実はよぉ、この戦争が終わるちっと前に、ラミスベルガのお偉いさんがうちに亡命してきたらしいぜ。しかぁも、そいつは皇族の人間だって話だ」

「なんだぁそりゃ」

話にならんといった体で一人が一蹴する。他の者達も有り得ない、馬鹿げている、と口々に声をあげ、男の話を頭から否定した。それほどまでに信じられない内容だったのだ。
ラミスベルガ帝国。大陸の北端に位置しており、大瀑布上に存在する自然の要塞都市である。今回の戦争でセファンザ帝国に大敗を喫したものの、豊富な資源と強大な軍事力を誇り、それを裏付ける優れた統率者を持つことで知られた大国だった。
優れた統率者、すなわち優秀な皇族が存在するラミスベルガで、その皇族自身が敵国に亡命をするなど有り得ない。それはラミスベルガだけでなく、他の国にも言えることだ。自国に対する明らかな裏切り行為である。

「お前、飲み過ぎて頭がイッちまったんじゃねえのか」

「いんや、俺ぁ素面じゃねえが正気だぜ。考えてもみろよ、あの強国のラミスベルガ相手にここまで上手い立ち回りができたのはなんでだと思う?」

問いを受けた男は知るか、というように鼻を鳴らした。もう一人は気にせず続ける。

「それはな、うちに逃げてきたっていう奴さんがラミスベルガの地形や抜け道なんかを密告してたからだ。…おっと、この情報の信憑性は確かだぜ。なんせギルドの情報屋から聞いたんだからな。なんでも、一昨日の夜に別動隊がひと足早く本国に連れかえったってぇ話だ。裁定者も同行したって聞くし、ありゃあ十中八九ゴルデの牢獄送りだな」

自信たっぷりに頷く男に、また一人別の男が異を唱えた。

「馬鹿言うなって。そんな話ある訳ねえし、もしあったとしても、その皇族は曲がりなりにもセファンザの役に立ったんじゃねえのか。ゴルデ送りはおかしいだろ」

「……お前、軍に入って何年だ?」

「…は?」

唐突な質問に男は一瞬目を丸くしたが、あまり深く考えることなく三年だ、と答える。すると、情報通らしき男はしばし思考した後、薄く笑って言った。

「結構軍にも慣れてきてるみてぇだが、まだ青さが抜けてねぇな。いいか、よぉく聞け。上のお偉方ってのは、役に立つか立たねぇかで物事を判断してやがる。情なんてもんは持ち合わせちゃいねぇのよ。件の奴さんがどんなにセファンザに尽くそうが、戦争は終わったんだ。なら、もうそいつに用はねぇ。皇族だろうがなんだろうが、売国奴なんざ生かしとく価値はねぇ。またいつ裏切るか分かんねぇからな。とっととゴルデ送りにして厄介払い。そいつが上のやり方だ。奴さんも、それくらいのことは分かってたんだろうが、いよいよ自分の身が危なくなってきて焦りでもしたんだろうな。追い詰められた人間の浅はかな知恵ってやつだ」

あ、俺今いいこと言ったな。
酒ではなく自分に酔い始めた男に現実を語られ、若い兵士は憤りを隠せずにいた。別に隠そうともしていなかったのだろうが、明らかに気分を害した様子で酒を煽る。様々なことに納得ができないでいるのだ。売国奴。自らの生まれた国を売るなど信じられないし、信じたくもない。情のひとつもかけずに切り捨てるような上のやり方も気にくわない。
若さ故の憤りで、彼は再び酒を求めた。こんな気分で飲んだのでは、悪酔いしそうだ。しかし、飲まずにはいられない。

「いい飲みっぷりだな。……よぉ、もし俺の話が信じられねぇってのなら、ひとつ賭けをしてみねぇか? 本国の市街地にある『黒羽』の最高級酒、『ルドルの囁き』でどうだ?」

挑戦的な瞳を向けられた若い兵士が、黙っていられるはずはなかった。しかも『ルドルの囁き』といえば、上級貴族ですら手に入れるのが難しい、セファンザでも秘酒中の秘酒といわれている極上の酒だ。賭けの対象としては申し分ない。

「いいぜぇ……っく。乗ってやるよぉ…」

いとも簡単に乗ってきた若い兵士にほくそ笑んだ男は、いそいそと用紙を取り出してなにやら書き付け始めた。若い兵士は微睡みの中でその作業をみつめていたが、やがてまぶたを閉じると深い眠りに落ちていった。


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あきゅろす。
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