SIDE:ロシア
「あの子はもう、私が居なくても強く生きていけるのだな……」
エリックが出ていった扉を見つめるダンバッハの眼差しはとても穏やかなものだった。けれど、それは少しばかり憂いを帯びている。そう、まるで子供が独り立ちした親の様な気持ちだ。そして、それは直ぐに自嘲へと変わる。
「馬鹿だな、私は……。私には、エルリックを子供と思う資格などありはしない」
ダンバッハがエリックを軍へと引き込んだのは決してエリックのためではない。
ダンバッハには一人息子がいた。最愛の妻を早くに亡くしたダンバッハは息子を大いに可愛がった。けれど当時、まだ地位も名誉もないダンバッハの稼ぎで親子二人の生活は楽では無かった。
息子のため。その思いでダンバッハは幼い息子を実家に預け、軍人として上へと登り詰めるため、数々の功績をおさめた。ダンバッハが揺るぎない地位を手にいれたとき、そこに可愛かった息子はいなかった。
ダンバッハの父の後を継ぎ、小貴族の当主となった青年がいた。悪行に手を染め、神という大いなる存在を、人が支配でくるよう封印する……などという愚かな行為を行った。かつて、ダンバッハ自信が恐れ逃げ出した闇に息子は飲み込まれてしまったのだ。
ダンバッハは自分の息子を闇の中から助け出すことができなかった。だから、エリックを見たとき、息子と重なりせめて彼だけでも助けたいと思った。それはダンバッハの単なるエゴでしかない。
「ファルジオス……」
ダンバッハは息子が封印した五つの神の内の一つ雷神へと声をかける。
『はい。何でしょうかダンバッハ総帥』
男性とも女性ともいえる姿と声を持つ人物がパソコンのディスプレイにうつる。ロシア軍の機密を管理するコンピュータプログラム、それが雷神『ファルジオス』なのだ。
「コンピュータウイルスの出所は分かるか?」
『地球製ではありません。おそらくアルタイルの者が作ったと思われます』
苦虫をかんだような表情のファルジオスを見てダンバッハも渋い表情になる。よっぽどのことがない限り表情を変えることのないファルジオスのつらい表情。そうとう危ない状態ということだ。
「ワクチンデータじゃ作れそうか?」
『はい。ですが、今は私の管理データを護るのに全力を使っています。下々のデータまでワクチンを送るには今しばらくの時間が必要です』
「そうか……。なるべく急いでくれ」
『はい。失礼します』
プツンとディスプレイからファルジオスの姿が消える。ダンバッハは自分一人となった部屋でため息をついた。コンピュータウイルスのせいでロボットやワープ機能までもが暴走している、ほとんどの機会も機能停止しており、ロシア軍は半ば壊滅状態に陥っている。
「ようやく落ち着いてきたというのに……何故、今になって……」
「アンタがそんなこと言うんじゃないよ。上がそんなんじゃ下の奴等はどうすればいいんだい?みんなアンタについて行くって決めたんだ。命だって張れるんだよ」
突然現れた女性にダンバッハは苦笑いを浮かべながら頭を下げる。
「本当に申し訳ない。君にもずいぶん無理を言って」
「かまわないよ。アタシもここを利用させてもらってるからね。お互い様さ」
気にしていないと笑う女性にダンバッハは顔をあげ礼を言った。
「さて、ここに来たということは」
「あぁ、ちゃんと頼まれた仕事は終わったよ。この『炎来』様に調べられないモノはないからね」
炎来と名乗った女性はダンバッハに一枚のCD−ROMを渡した。ウイルスの出回る今、ダンバッハがこれを見ることができないと、知ってはいたが、自分の所にあるほうが危険だと判断したのだ。
「ありがとうございます。では、貴女にはもう少し頑張っていただきたい。軍の規律を守るためワクチンを作ってくれ」
「はい、分かりました。私のできる限りの力を総帥にお見せしましょう」
急に口調と態度を変えた女性。ダンバッハに向かい敬礼をする。
「よろしく頼むよ。科学班所属、カレンチーフ」
ダンバッハもそんな彼女の態度に答えるように、ロシア軍での彼女の名を言った。
「それでは私はこれで失礼します」
カレンというロシア軍での名前を呼ばれたアレイはカレンとしての態度を通したまま部屋を出ようとする。
「待ちたまえ、君の所は大丈夫なのか?」
何が……とは聞かなくてもダンバッハが何を言いたいのかアレイはすぐに理解した。コンピュータウイルスの被害があるのではないかと心配しているのだ。
「ご心配いりません。私のもとにも立派な相棒がいますので」
相棒のことを思い出したのかダンバッハは何も言ってこない。アレイは今度こそ部屋をでて自分の研究室へと向かう。
SIDE :アレイ
部屋を出て数分もたたないうちに、暴走した警備ロボットに出会った。誰かまわずレーザービームを放つロボット達にアレイはやれやれといったように白衣の中から銃を取り出す。
「自慢じゃないけど、アタシは体力無いんだ。さっさと終わらせるよ」
アレイが銃を構えたところでガウン! と銃の音が鳴り響きロボットが崩れ落ちる。まだ、アレイは引き金を引いてはいない。誰がやったのかとアレイは警戒をする。
「こんな所で誰かと思ったらカレン殿でしたか」
倒れたロボットの合間から出てきたのは最近、アレイの研究室へとやって来る人物。このロシア軍で唯一ウイルスに侵されていないアンドロイド、ノークスだった。
「遅い。さっさと来いって言ったじゃないか」
警戒を解き、銃をしまったアレイはノークスへと近づいた。とたんにノークスが銃をアレイへと向ける。互いに言葉を発さずに睨み付ける。しばらくの沈黙の後、ノークスがゆっくりと口を開いた。
「流石です。自分の負けのようです」
「あたりまえだろ。アタシはこんな所で死ぬような女じゃないからね」
ノークスが完全にアレイの頭へと銃を向ける前に、アレイはノークスの喉元へとナイフを向けていたのだ。そして喉元にはノークスの全プログラムを停止させる機能をつけられている。ノークスが引き金を引く前にアレイがノークスの機能を停止させることができるのだ。
銃とナイフを仕舞い、二人は声を上げて笑った。先ほどお互いを殺そうとしていたのが嘘のようだ。普通ではないと言う者がいるかもしれないが、二人にとってはこれが普通だ。
利害が一致したから共に行動している。いつ裏切られてもいいように、何度か武器を向け合う。否、初めからこの関係に裏切りはない。二人の間に信頼など存在していないのだから。
「さて、お仕事といこうか。このウイルス、アルタイル製だろ、アンタも手伝いな」
「よくお気づきになられた。貴殿が人間というのがもったいない」
「それって褒めてんのかい……まぁいい。ジェイクも使って作り上げるよ。今夜は眠れないねぇ……」
徹夜はいつものことだったがアレイは気が重かった。アルタイル製のウイルスと聞いて、近頃ややこしいことが世界中で起きている事に関係あるかもしれないと思ったからだ。
(変なことになってなきゃいいんだけどねぇ……)
ため息を一つついてから、ノークスの後を追いかけた。彼女が2日かけてファルジオスより早くワクチンデータを作り上げたのは奇跡に近い。
何より面倒くさがりやのアレイを動かしたノークスとジェイクは人間だったら精神疲労で倒れていただろう。二人が人間ではないからこそ出来たしろものだ。
ACT.35 伸ばされた、救いの手 END |