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硝子に罅が入る時刻。




「夕食だったら料理に合う酒でも飲んでそうだよな‥って言うか、堂々と酒持って来いって電話する人もいるんじゃないか?」

「多分ね、家柄がいいんだったらパーティーとかで飲んで慣れてるだろうし。……真夜中に国産小麦100%の手打ちうどんが食べたいとか言われたらどうするんだろ…」

「………」

 いや、流石にそんな面倒な注文は入らないんじゃないか?

 大晦日の夜に手打ち蕎麦が食べたい、くらいならあるかもしんないけど。

 そう思いつつも、純粋な疑問を口にしただけらしい高杉は返事を求める素振りを見せなかったので、俺は浮かんだ言葉を胸中に留め、箸に手を伸ばした。

 大根と油揚げの味噌汁、白米、胡瓜のお新香を順々に口へ運びながら、相変わらず静かな食堂内をゆっくり見回す。

 昨日、初めてここを利用したのは混雑する夕食時だったから大して気にならなかったが、席についている生徒や歩いている生徒が少ないと床や壁の見える面積が多く、改めてガランとした空間の広さを思い知らされる。

 ―――妙に胸が痛むのは、何でだろうな。





神様は悪戯に夜を照らし 02





 ……ついでに。

「今日も社会科教科室に向かってんのは何でなんだろうな」

 いや、何でって、担任の緒川にまだ渡してないものがあるから取りに来い、って言われたからなんですけどね?

 ぶっちゃけ、SHRの時に渡せよ!、って思うわけですよ。

 っていうか、実際そう思ったんですよ。

 だってまだ渡してないものって何ですか?、って訊いたら、英語と数学の薄っぺらいワーク、って答えたんだぜ?

 “薄っぺらい”ワーク!!

 それなら朝出席簿と一緒に持って来られるだろ!、って思わねえ??

 他の生徒に見られたら困るものでも、編入して来たばっかなんだから担任から何か受け取ってたって別に誰も気にしないっつーの。

 しかも放課後に取りに来いって時間指定しといて不在ってなに。

「待ってろってか。来るまで大人しく待ってろってか」

 確かに放課後は何時から何時まで、なんて決まってませんけどね!

 三回のノックに無反応を示したドアをスライドさせて無人の室内に入った俺は、小さく唸りながら三人掛けのソファー目掛けて鞄を放り投げた。

 突然の来客に漆黒のソファーがぼふっ、と鳴る。

 その柔らかそうな音に、昨日整理整頓をさせられた緒川の机へ向かおうとしていた足が止まった。

 首だけでゆっくり振り返る。

「…………」

 大して重くない鞄を受け止めたソファーは、見れば見るほど座り心地が良さそうだ。

 俺がいた公立校では教科室にソファーを置くなんて考えられないことだが、お坊ったま方が通うここではどんな場所にあるものでもお金がかかっているんだろう。

 ねえオニイサン、ちょっと座ってかない? むしろ寝てかない?

 そんな甘い誘惑が聞こえる気がする。

 勝手にそれらしきものをとってさっさと帰るか、緒川が来るまで大人しく待つか。

 頭に選択肢を浮かべた俺は悩むことなく後者を選び、上履きをキュッ、と鳴らして方向転換すると向かい側のソファーに身を投げ出した。

 昨日の疲れがとれてないのかもしれない。

 突如脳内を侵蝕し始めた睡魔に潔く白旗を掲げ、前髪を掻き上げながらネクタイを少し緩める。

 外した眼鏡を潰さないように両手で包んでから目を閉じた。








 ――…なんか、いい匂いがする。なんだっけ、コレ。

 よく知ってるものの匂いなのに‥、だめだ。名前が出てこない。

 でも飲み物なのは確かだ。

 強く香るってことは温かいってことで…温かいってことは随分種類が限られてくるわけで……、あれ??

 なんで俺、嗅覚だけに頼ってんだ?

「…………おはようございます?」

 パッ、と勢いよく目を開けたはいいものの、若干ぼやけた視界にバッチリ映る人物の様子に何と言ったらいいのかがわからず。

 とりあえず数秒沈黙したあとに上体を起こしながらそう言うと、向かい側――俺が鞄を放り投げた方だ――のソファーに座って何かの書類を見ていた緒川は手を下ろした。

 ローテーブルには匂いの発生源であるコーヒーが載っている。

「ああ、起きたのか」

「……えーと、すみません」

「あ? 何が」

「…や、その、寝てて」

 視線を膝に下げながら手に包んでいた眼鏡をかけ、ネクタイを締め直す。

 もう授業は終わってるんだから緩めたままでもいいはずだけど、目の前にいるのは暴力教師ですからね。

 どんなイチャモンつけられるかわかりゃしねえ。

 …でも、俺が起きるまで待っててくれたんだよな。

 緒川が来る前に起きられなかったら、寝てんじゃねえ!、って絶対帳面かなんかで殴り起こされると思ってたのに。

「疲れてたんだろ? 別に怒ってねェよ」

「……………え?」

 なに今の。幻聴? 空耳?

 信じられない発言に髪を整えていた手が止まり、俺の間の抜けた声に視線を書類に戻していた緒川が不機嫌そうに顔を顰めて俺を見る。

「何だその顔は。喧嘩売ってんのか」

「えっ、や、そんな、滅相もない…!」

「滅相もない? オレが疲れてる生徒気遣うのは有り得ねェことだって言いてェのか? あ゛?」

「はっ? ち、違いますよ!」

 そりゃあ確かに「滅相もない」って言葉の意味は「とんでもない」とか「有り得べきことでない」とかだけど。

 暴力教師の緒川が生徒を気遣うようなことを言うなんて有り得ない!、って思ったけど。

 俺が言った「滅相もない」ってのは、「喧嘩なんて売ってませんよ!」って意味だっつーの。

 わかってて言うなや!

「ていうか、その疲れの原因を作ったのは先生でしょうが」

「だったら何だ」

「…疲れさせた張本人が気遣うのってどうなんですか。気遣われた俺は素直に感謝するべきなんですか?」

「当たり前ェだろ」

 当たり前なのかよ!

 いつでもよさそうな雑用させやがったくせに。





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