目が覚めたらそこは見覚えのない真っ白な世界でした。 ……なんてファンタジックなことがあるはずもなく。 「―――‥ああ、寮か」 真っ白な高い天井を暫し見つめて昨日の記憶を脳裏で再生した俺は、数度瞬きしてから布団を払い除けた。 神様は悪戯に夜を照らし 01 昨日は結局、大聖堂に足を踏み入れることもなく、始業式に参加することもなく、SHRが始まる時間まで担任の緒川の手伝いをさせられた。 いや、アレを手伝いと表現するのはおかしいか。 そんな生温いもんじゃない。 文字通り、雑用を押し付けられたんだからな。 引き締まった肉体からは到底想像出来ないが、緒川は世界史の教師らしく――思わず「ぇえ!?」と叫んだら引っ叩かれた――社会科教科室の掃除に始まり、緒川の机の整理整頓、クラス毎の提出物のチェック、次の授業で使うプリントの印刷、小物の準備、等など……。 やりながら何度「今すぐ誰かがやらなきゃならない仕事ですか、コレ?」と思ったことか。 絶対、数日分の雑用を押し付けていたに違いない。 しかも俺を強制連行した本人は座り心地の良さそうな椅子に腰掛けて優雅にコーヒーなんか飲んじゃってるから余計にイラッとしたというかムカッとしたというか。 まあ、期待は微塵もしていませんでしたけども。 ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべながら姑のように一々文句をつけてくる姿すら予想していましたけども。 担任として庶民の公立校から貴族の私立校に通うハメになった生徒を気遣う気持ちはこれっぽっちもないのかよ、と思わないこともなかったので、持ち前の責任感を存分に発揮して嫌がらせのように完璧に雑用をこなし、室内はピッカピカに磨き上げてやりましたよ、ええ。 それはもう、年末の大掃除デスカ!?、ってくらいにね。 腕まくりと膝まくりを直してから最大級の作り笑顔を浮かべて「先生、終わりました」って言ったらものすんごく微妙な顔で眉間に皺を刻んでいたが、緒川の心境など知ったこっちゃない。 定期的に入る清掃業者の方に「どんな心境の変化だ!? いや、方針の変更か!?」とか思われるがいいさ。 むしろその前に同じ社会科の教師に「緒川先生、掃除に目覚めたんですか!?」とか驚かれるがいい。 「ふぁっ……、あ゛ー‥」 それにしても、疲れたな。昨日は。 寝不足の身体で受身取ったり走ったり雑用したり掃除したり。 SHRの自己紹介では控えめな愛想笑いで地味な性格をアピールしてみたから質問攻めには遭わずに済んだけど――むしろ皆様無関心のようです――荷物を全部整理する体力は残ってなくて、部屋の隅には形を保ったままのダンボールが三個ほど積まれている。 携帯電話の充電コードも未発掘だ。 …うん。考えるのはよそう。 歯磨きと洗顔を済ませて戻ると、俺の個室の隣のドアが開いて栗色の頭が見えた。 「おはよう」 「あ、おはよう、ツッキー。早いね」 寝癖がついたまま笑う彼は、高杉速人(タカスギハヤト)。 俺のルームメイトだ。 共学だったら先輩のお姉さま方にお節介をやかれそうな、可愛い顔立ちをしている。 「すぐ支度するね」 「ああ」 ぱたぱたと洗面所に駆けていく高杉を見送ってから自室に入り、クローゼットを開けて真新しい制服に着替える。 パンフレットに一二年は基本的に二人で一部屋だと書いてあったからお坊ったまと同じ部屋で生活することなんて出来るんだろうか、と不安だったけど、同室者が高杉でほっとした。 ドアを開けたら『お父様が「や」若しくは「ぼ」から始まる職に就いてらっしゃるような赤い髪の不良くんが耳のピアスをじゃらじゃらと光らせながらガンつけてくれました』なんて正直笑えないし。 いや、俺の左耳にも七色のピアスが虹のように連なっているのでピアスが多いと言うだけで不良だと判断するわけではないですけども。 言葉の喧嘩はスルーしても拳の喧嘩は売られたら咄嗟に買ってしまいそうなもんで。 …庶民が通う公立校でも停学や退学になり兼ねない校内での暴力沙汰を私立校で起こしたらどうなるかなんて、考えるだけでも恐ろしい。 学園側の処分が公立校と同じだったとしても、お貴族様から社会的制裁を受けることは火を見るよりも明らかである。 まあ‥、理不尽な力に服従するような素直さは持ち合わせておりませんけれども。 兎に角、高杉速人という同室者がインテリチックなお貴族様でもなくて心底ほっとした。 それぞれに個室が与えられているからよっぽど口煩いヤツでない限り我慢出来るだろうし、贅沢三昧の学園で生活するお坊ったま方と親しくなれるとは思ってないけど、やっぱり自分が帰る場所にいる人とは良好な関係を築きたいので。 割と庶民の感覚を理解出来るらしい高杉とは、干渉し過ぎない、適度な距離を保った同室者もとい友人になれればいいなと思う。 た と え そ れ が 、 仮 初 で も ね ? 「朝って結構人少ないんだな」 高杉と並んでテーブルにつき、お茶で喉を潤しながらぽつりと呟く。 ここから校舎までの距離を考えれば早すぎず遅すぎず、な時間帯だと言うのに、人影はまばらだ。 部屋には立派なキッチンがあったし、案外自炊派が多いのかもしれない。 360度どこを向いてもお金の匂いがぷんぷんするお坊ったま校でその確率は限りなくゼロだろうけどな。 知り合いと向かい合って座るには大きすぎるテーブルの所為で隣に腰を下ろした高杉が俺の声を拾い、オレンジジュースを一口飲んでから口を開く。 「朝に寮の食堂を利用するのは華族と卑族の一部ぐらいだからね」 「そうなのか? 他の…王族とか皇族とか、隷族、だっけ? は、どうしてるんだ?」 「隷族は一限目から真面目に出る、ってことがあんまりないからねぇ…平気で遅刻してくし、ダルいってだけで行かないことも多いし。食べたい時にコンビニで買って食べてるんじゃないかな」 「‥ああ、そうか。隷族って素行問題児が対象なんだもんな」 健康的な時間に起きることも、SHRに間に合うような時間にわざわざ食堂に下りてくることもないわな。 「王族の人達は八階に専用食堂があるから一階の共同食堂には滅多に来ないし、皇族の人達はデリバリーを頼んでるんだよ」 「デリバリーって、ホテルのルームサービスみたいなもん?」 「うん。前日の夜までにメニューと時間を指定しておけば、部屋の前まで届けてもらえるんだ」 へぇ、家柄も成績も最上級だとそんな待遇が受けられるわけか。 「皇族の特権ってヤツ??」 「んー、どうだろ。S組A組の皇族だけじゃなくてB組の華族も頼めるからねぇ…あっ、でも、皇族と華族じゃメニューが違うって聞いたことがあるから、特権って言えば特権なのかな? 王族は二十四時間、電話一本で届けてもらえるんだって」 「そりゃ凄いな」 呼称が違うことからわかるように、皇族と王族は同じ階級ではない。 しかし高杉から聞いた話によると、王族は他の階級のように家柄(寄付金額)や成績、素行を基準に作られたものではなく、最上級の皇族の中から選挙や推薦によって選ばれた生徒に対する、通称のような階級であるらしい。 だから学園側からすれば、皇族と王族は同じ階級のはずだ。 それなのに一際整った容貌で別格の階級を手に入れた王族は電話一本で望むものが届き、同等かそれ以上の寄付金を納めている皇族は前日までに申請しなければならないと言う。 …不思議な独立国家だな、ここは。 やっぱお貴族様のお坊ったまには関わりたくない。 「…うん? さっき八階には専用食堂があるって言ったよな? 電話一本かけるだけで済むなら、そんなの誰も使わないんじゃないのか?」 「でも、専用食堂で食事しながら話し合いすることもあるみたいだよ?」 それは首脳会議かなんかですか。王族は各国の代表ですか。 弁当片手にミーティング、って話しは何度も聞いたことがあるが、次元が違い過ぎる。 NEXT * CHAP |