イクチヨモ、カナシキヒトヲ。 「……愛が感じられない」 「友愛の情なら両手一杯にあるぞ」 「……………」 東洋人は実年齢より下に見られることが多いから、実際はディックの方が年下でも、俺が年上に見られることはまずない。 ディックが綺麗な顔立ちで、俺が平凡な顔立ちだったら尚更そうだ。 拗ねたような顔で見つめてくる姿は少し子供っぽくて可愛いと思わないこともないが…、愛なんてないんだから仕方ない。 猫かわいがりするほど年が離れてるわけでも、小さいわけでもないしな。 ディックは束ねたB5サイズの紙を一枚一枚チェックしている俺を暫らく眺め、はあ、と諦めたように溜め息をついた。 「…で。お前なんだろ? カナ」 流れてくれればいいと思ったんだが、ディックが俺に会いに来た一番の理由はどうやらそれらしい。 …やっぱお前は気付くよなあ。 それにしても院生の割りに耳が早いと言うか、努力型の人間に謝れこの天才野郎と言うか。 他の院生みたいに研究室に閉じこもったことなんてないんじゃないだろうかと思う。 ディックには俺がどんな人間でどんな生活を送ってきたのかを結構細かく喋ってあるから、今回のことは別に隠すことではない。 でも、自分から言いたいことでもないんだよなあ…。 銃撃に比べりゃ可愛いもんだけど、犯罪は犯罪だし。 世の中には知らない方がいい事や知らなくていい事が山ほどあるし。 「さあ、何のことだろうなあ」 「………鼻骨と顴骨(ケンコツ)の骨折で、全治二ヶ月らしいな」 「正確には、鼻と頬プラス右手首」 「…本当、お前には驚かされるよ」 とりあえずとぼけてみたが、既に確信してるディックに長々と面倒な嘘をついても意味がないので、早々に認める。 他の人間に聞かれないようにさらりと白状すれば、頬杖をついているディックは感心とも呆れともとれる声色でそう漏らした。 「普通、やらないだろ。あの資産家子息だぞ?」 あの資産家子息、とは、ジャックのことだ。 生まれた時から金に囲まれていれば多少なりとも我儘になるだろうし、何でもかんでも自分の思い通りにしたい性格になるのは理解出来る。 普段、我慢する必要が無いんだから当然だ。 けど、ジャックは度が過ぎた餓鬼だった。 なんというか、高級感溢れるセレブじゃなくて、マフィア臭い成金のボンボン。 アイツを馬鹿みたいに甘やかす親の所為で何人の男子生徒が病院に送られ、何人の女子生徒がレイプを端金で片付けられたかわからない。 日本にも強盗、強姦、器物損壊、その他諸々の悪さをする不良グループは掃いて捨てるほどあったが、ジャックの言動を間近で見た時、次元が違うと感じた。 「生憎、俺は普通じゃないからな。…色んな意味で」 『カナ』だった頃も今も、俺は別に任侠ぶってるわけじゃない。 権力で事件を揉み消す連中や生徒を護る立場でジャックの言いなりになっている教師達を人間としてどうかとは思うが、知らない場所で起こった何かについて天誅を加えようなんて、考えたことはない。 だが、目の前で起きていることを見過ごせるほど薄情でもない。 恐怖に濡れた目で助けを求められれば、助けるのは当然だと思う。 俺が周囲から疎まれると同時に恐れられているジャックの所謂「オアソビ」の邪魔をしたのは、今の高校に就職して一ヶ月ほど経った頃。 勿論、注意すらされたことのないジャックが普段見下している教師の反逆を許すはずはなかったが、幸い、俺はジャックの親父よりも権力や財力を持った人に可愛がられていたから、クビになることはなかった。 それ以来、俺の存在を厄介だと感じたのか、ジャックが校内で「オアソビ」をする回数は激減した。 と言うか、むしろ登校回数からして減ったような気がする。 多分、潰したくても潰せない俺の顔を見るのが嫌だったんだろう。 そういうところは本当にただの餓鬼だ。 今回、俺が邪魔した時に襲おうとしていた女子生徒を路地裏に連れ込んで再び傷つけようとしたのも、餓鬼らしい復讐心なのかもしれない。 ――所詮、お前ら教師は構内でしか生徒を護れないんだよ。ざまあみろ。みたいな。 その愚行(むしろ愚考か)の結果、ジャックがどうなったかは今更言うまでもないが。 NEXT * CHAP |