空と海の向こう側。03
イクチヨモ、カナシキヒトヲ。
「…教師は生徒を殴らない、って前に言わなかったか?」
教師は生徒を護るもの。時には教育的指導も必要だが、暴力で言い聞かせても意味がない。
それが俺の箴言だ。
曲がりなりにも教師である以上、生徒に手は出さない。
「言ったけど、それがどうかしたのか?」
「どうかしたのか、って……お前、」
更に何かを言おうとしたディックの唇に人差し指を押し付け、言葉を奪う。
ビックリして停止した美青年に、俺は最大級の笑みを向けた。
「ジャックに制裁を加えたのは『jumbleのカナ』」
深紅の髪。深紅の帽子。深紅のパーカ。
ジャックもジャックに襲われかけた彼女も、突然現れた俺のことは『上半身を赤で統一した男』としか認識出来ていないだろう。
観察するような時間は与えなかったし、女性に一番人気の香水を被るようにつけて行ったから、匂いに意識が集中して洒落っ気のない普段の俺に繋がるようなことは何もわからなかったはずだ。
それにたとえ日本から遠く離れたこの街の誰かが深紅に身を包む『jumbleのカナ』を知っていたとしても、彼の正体まで知っているのは目の前に座る男、ただ一人。
つまるところ、誰も俺には辿り着けない。
「生徒から慕われる『語学教師のカナちゃん』とは無関係なんだよ、リチャードくん」
――ジャックを瞬殺したのは正体不明の『カナ』。
――どんなに極悪非道であっても、教師の『カナちゃん』は生徒に手を上げません。
「……っ、!」
絶対、と言い切ることは出来ないが、ディックは俺を売らないだろう。
ジャック父の権力に負けるような凡人じゃないし、品のない出来事や人間には自分から近寄りたがらない性格だし。
若しジャックかジャックの下僕が何か知らないかと訊きに来たら、平然と「悪いけど、何も知らないな」って嘘をつくに違いない。
ディックはそういう人間だ。
………というか、まあ…うん。
正直、ディックが俺を売らない自信がある。
途轍もなくシンプルで、途轍もなく難解な理由だが。
「―――なあ、ディック」
「…っ、……何だよ」
「恵まれ過ぎるとマイナー好きになるのか?」
容貌、頭脳、財産、権力。
アキと同様に全てを持っていて選り取り見取りであるにも関わらず、ディックは俺のことが好き…らしい。
だからディックは俺を突き出さない。というか、突き出せないだろう。
断ったけど、ディックは好きな相手に冷たい仕打ちが出来るような奴じゃないから。
「ていうか、何で顔が赤いんだ? 影になってるし、そんなに暑くないだろ?」
「‥、誰の所為だと思ってるんだ」
「は??」
ディックがぼそりと呟いた声は、生憎、俺の耳に届かなかった。
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