イクチヨモ、カナシキヒトヲ。 『で? あんたの名前は?』 『………卯月』 『ふぅん。ウヅキ、か。あんたにピッタリだな』 『‥どういう意味だよ』 透き通るような白い肌に、チョコレートを思わせる茶色い髪。 卯月はその二色だけを視界に入れ、相手の目を見ることもなくペコリと小さく頭を下げた。 管理人の羽野卯月です。 元々人見知りの激しい卯月は無愛想だが、生まれつきの性情など関係なく、彼を認識したくないという思いで表情も声色もまるで人形のようだった。 幸い、にこにこと穏やかな堀川がそれを指摘することはなく、彼も極普通に自己紹介をしてくれたが、だからといってその場に流れる空気が温かくなるわけではない。 むしろ本人の口から「かな」を含む名前を聞かされて卯月の周りだけ零下の域だ。 堀川に急用が入り、寮の案内や説明を任されるハメになった卯月は、憚ることなく目の前の細い背中を睨みつけた。 理事長が『カナ』と呼んでも、職員たちが『カナ先生』と呼んでも、俺は絶対にあんたをその名前で呼んでなんかやらない。 あんたなんか『あんた』で十分だ。 『卯の月、兎と月。…月の兎。見ようとしない人には一生見えないけど、見ようとする人にはちゃんと見えるんじゃないの? あんたの優しさも』 しかし、適当に話して追い払おうとするよりも早く、くるりと振り返った彼は、卯月に睨まれていることを知っていたかのように、少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。 部屋の鍵は?、と。 フレンドリーさすら感じられる砕けた口調に、卯月は思わずぽかん、と間抜けな顔を晒してしまった。 理事長の話では自分の方が年上のはず…、いや、そんなことはどうでもいい。 今、卯月くん、と呼ばれたのだろうか。 あの声で。 ……いや、そんな、まさか。 固まって動かない卯月に構わず、彼は首を傾げて笑った。 『うーづきくーん』 瞬きを忘れた卯月の耳に入って来たのは、いつもどこからか突然現れる「彼」の、「彼」だけがする、独特の呼びかけ。 その瞬間、記憶と現実がカチリと音をたてて重なった。 ――――カナさん。 NEXT * CHAP |