『彼。本当は好きだったんでしょう?』 『まさか。嫌いですよ、あんな人』 嘘はついてない。 だって、「好きだった」んじゃなくて、あの時も今も「好き」で「嫌い」だから。 口が虚しい、と書いて嘘。 長瀬さんは目を見開いて言葉を失った。 ピクリとも動かない瞳に光る何かが映っている。 「俺は、長瀬さんのこと、好きだよ」 「……たか、」 「でも、反吐が出るくらい、嫌い」 「ッ、?!」 掴まれている腕が長瀬さんの動きを受け取って、一度だけ大きく震えた。 嘘じゃないよ。 傷つける為にわざと酷い言葉を投げつけてるわけじゃない。 「好きと嫌い。どっちが大きいかって訊かれたら、嫌い、って即答する。だって、」 長瀬さんの傍は、居心地が悪かった。 「俺は、貴方みたいに綺麗じゃないから」 中途半端に陸大を演じて、罪悪感を煽って、傷つける予定だったのに。 陸大の代わりを求めたことを後悔させて、真綿で首を絞めるようにその愚かさを気付かせてやろうと思ったのに。 傷ついたのは、俺だった。気付かされたのも、俺だった。 「貴方が瞳を揺らす度に、汚いことをしてるのは俺だけだ、って。自分の欲の為に誰かを利用しようとしたのは、同じなのに。醜いのは、俺だけだ、って」 長瀬さんは眩しいんだ。 太陽の光を浴びて走る陸大のように。 俺には、眩しすぎるんだ。 好きなのに、どうしようもないくらい、苦しかった。 好きだと思えば思うほど、俺は、自分の醜さに押し潰されそうになった。 「だから、嫌い。大嫌い」 「…俺は、綺麗なんかじゃない」 「綺麗だよ」 綺麗だから、「嫌い」を連呼するような俺を抱きしめられるんだ。 俺だったらこんな人間、とっくの昔に見捨ててる。 「綺麗じゃない。綺麗だったら、こんなところにいない。自分の気持ちを押し付けに来たりしない。自分の行為を恥じて、反省して、一生、目の前に現れたりしない」 「…………長瀬さん、泣いてる?」 「…泣いてるのは、空大だろ」 なんか冷たいな、と思って訊いたら、身体を少し離した長瀬さんの指が俺の頬と目元を拭った。 どうやら俺は泣くという感覚に慣れていないらしい。 …どれだけ歪んでるんだろ、俺。 一歩下がって距離をとったら、長瀬さんは苦しそうな顔で笑った。 「……そう、だよな。嫌いだよな、こんな俺は」 「嫌い」 「…迷惑、だったよな。バレンタインなんかに押しかけて来て」 「迷惑」 「…ごめん。本当、駄目だなぁ、俺」 ははっ、と小さく自嘲する長瀬さん。 もしここにアートやアレックス、ディックさんがいたら、長瀬さんはけちょんけちょんにされて、自信どころか魂さえ失っただろう。 あの三人は自分で勝手に決め付けて勝手に傷つく人間が大嫌いだから。 「ほんと、いい迷惑」 溜息をつきながら言うと、長瀬さんは傷ついた顔で、それでも薄っすらと笑った。 じゃあ、と短い言葉を残して背を向ける。 …なにそれ。なんでここで弱気になるの。意味わかんない。 頭のネジ、飛んだ。 「勘弁してよ」 「――…?」 「俺、本当は誰も傍に置きたくないんだ。誰の傍にも行きたくないんだ」 陸大も母さんも珠樹も、大切だけど。大事だけど。 三人に相応しいのは俺以外の誰かだと思ってるから。 俺は誰かを特別にすることも、誰かの特別になることもしたくない。 なのに、 「なんで、陸大よりも、母さんよりも、珠樹よりも、大切な人を作らなきゃいけないんだよ」 「ぇ…、っ!」 クッションを懐かしい背中に向かって投げつけると、長瀬さんは大きく肩を跳ねさせて振り返った。 「帰るなら、持ってってよ。俺の中にいる長瀬さん、全部。一つ残らず持ち帰れよ」 瞬きもせずに長瀬さんは俺を見る。 今、何て言った? 駄目だ。頭の中、ぐちゃぐちゃ。ネジどこ。 記憶を仕舞ってある引き出しも、感情を閉じ込めた箱も、制御不能。 「長瀬さんの所為だから。責任とってよ、残りの人生で」 要らない、欲しくない、望まない。そう誓った俺は一体どこへ消えたのか。 「一生、絶対、言わないでおこうと思ってたのに。こんな気持ち、さっさと捨てたかったのに」 馬鹿珠樹。なんで覚えてるんだよ。試験に出る年号とは違うんだぞ。 俺と長瀬さんが付き合い始めた日なんて、お前には何の関係もないじゃないか。 St. Valentine's Day 長瀬さんが訪ねて来たのが、今日じゃなかったら。 告白されたのが、今日じゃなかったら。 こんなこと、絶対、言いたいなんて、思うはずがないのに。 「愛してる」 すき、なんて、ふわふわしたかわいいものは、ほとんどない。 あるのは、きらい、ばっかり。 だって、 「大ッ嫌いだけど、それ以上に愛してる」 誰かの特別になんてなりたくない俺に、 少しでも貴方に相応しい人間になりたい、って、思わせるんだから。 愛してる、って。ずっと陳腐な言葉だと思ってた。 形だけは完璧に整ってるけど、中身はスカスカのボロボロで、言いたいと思ったことなんて一度もなかった。 何度「愛してる」って言われても、「愛してる」って返さなかった。 言いたくないから、「僕も」とだけ答えておいた。 でも、今ならわかる。 愛してる、を避けてた本当の理由。 俺の口から溢すには、重過ぎたんだ。 「悠平、愛してる」 NEXT * CHAP |