快活な子供だった俺が、平気で嘘を積み重ねる人間になったように。 素直で可愛かった陸大が、誰にも弱音を吐かない人間になったように。 いつの時代も、時間は人を変えていく。 口が虚しい、と書いて嘘。 『でもよー、バラの花束はないだろ。配達のあんちゃんも「珠樹」が男だってわかって微妙な顔してたぞ』 「あはは! ごめんごめん。こっちじゃチョコとバラの花束が主流だって言うからさ、絶対珠樹に送ろうって思ったんだ」 『オレはお前の恋人じゃねーっつの』 「大事な幼馴染も恋人も同じようなもんじゃん」 今日は二月十四日。 渡米してもう半年が過ぎた。あっという間だ。 『おばさんはどうしてる? 元気か?』 「元気だよ、相変わらず。今日も友達とパーティーだって言って、さっき出てった」 「そっか」 良かったな、と言う珠樹に、うん、と頷く。 アメリカに来てから、母さんは本当に元気になった。 最初の一ヶ月くらいは異国の環境に慣れる為にご近所付き合いしかしてなかったけど、二ヶ月目に突入する頃には色んな趣味の教室に通い出して、今ではすっかり別人だ。 明るく綺麗になった母さんを見たら、きっと父さんも陸大も目を疑うだろう。 祖父母でさえ大人しかった娘の変貌ぶりにビックリするかもしれない。 元々後悔なんてしない、って決めてやったことだけど、生き生きと過ごす母さんを見ていると、罪の意識が少しだけ薄れる。 『お前は?』 「うん?」 『今日の予定。バスケ部で集まるのか?』 「ああ、うん。バスケ部全体の集まりじゃないけど、アートに誘われてる。ディックさんのとこでやるパーティーに来い、って」 『いや、来いって。誘われてるって言わないだろ、それ。命令じゃねーか』 「え、違う違う。『来い』じゃなくて、『来いよ』って言われたんだ」 『馬鹿、同じだろ』 ……同じ、なのか? 『空大も来いよ』っていうのは、『空大も来ていいよ』の、砕けた言い方だろ?? 『ところで空大。金髪の恋人は出来たのか?』 「出来るわけねえだろ、ってか、何で金髪限定なんだよ」 『ほら、例えば、アレックスとか』 「ないない。有り得ない」 アレックスは時々口説くような台詞を口にするけど、あれは遊びだ。本気じゃない。 『でも、あの人はお前とアレックスが付き合ってると思ってるぜ?』 「―――、…今更蒸し返すのか、それを」 『蒸し返す? お前に文句を言われた覚えはねーぞ』 「…言うわけないだろ。俺だってちゃんとわかってんだよ」 アレックスの運転する車に乗りながら、珠樹が教えたんだろうな、って思った。 でも、俺は何も言わなかった。 そのことについては一切触れずに、日本を出た。 珠樹は俺の計画に賛成してなかったし、長瀬さんのことも好いてなかったけど、俺の為にならないことは絶対にしないからだ。 そもそも、午前中に家に戻ることを教えないでくれ、って頼んだわけじゃないんだから、文句を言う権利はない。 『…ま、いいわ。非素直の空大ちゃんには、優しい優しい珠樹ちゃんが、とびっきりのプレゼントを送っといたから。ちゃんと受け取れよ』 「…………」 『今、何だコイツキモイ!!、って思っただろ』 「‥惜しい。『何だコイツ気持ち悪い!!』だ」 『そういうとこだけ素直になるんじゃねーよ。かわいくねーな』 「俺にかわいさを求めるな。…明日練習試合なんだろ? そろそろ寝た方がいいんじゃないのか?」 壁掛け時計をちらりと見上げれば、午前十時を回ったところだった。 俺の住んでる場所と日本とじゃ十時間以上ズレているから、向こうは夜の十一時を過ぎているはずだ。 『あー、そうだな。そろそろ寝るわ』 「じゃあな。頑張れよ、優秀なマネージャーさん」 『ああ。……空大、もう逃げるなよ』 「え?」 後半の台詞が聞き取れなくて問い返したが、珠樹はおやすみ、と言って電話を切ってしまった。 …いや、今の、絶対「おやすみ」じゃないだろ。 もっと長かっただろ。 受話器を置いて小さく唸っていると、アパートの呼び鈴が押された。 もしかして、今言ってたとびっきりのプレゼントってやつが届いたのか? 「はーい、今開けまーす」 …………うん、なんか前にもあったね、こういうこと。 「! たか、ひろ…??」 広い廊下に立っている長瀬さんは、ドアを開けた俺をまん丸の目で凝視している。 …驚くのも無理ない、か。 アメリカに来て母さんが変わったように、俺の外見も変わった。 目にかかるくらいだった前髪は短く切られた上に金のメッシュを入れられ、目立たない樹脂ピアスが刺さっていたピアスホールにはビビッドカラーのピアスが収まっている。 ……いや、別に、アメリカだぜひゃっほー!、とか、はしゃいでこうなったわけじゃないんだよ。 全部アートに弄られた結果なんだよ。 しかもピアスホールは一つずつだったのに三つずつになった。 まあ、俺は一銭も払ってないから別にいいんだけどさ。 「ハァイ、タカヒロ」 「あ、こんにちは」 「初めて見る顔だけど、お友達??」 「ええ、まあ…日本でお世話になった人です」 同じ階に住む人と短い挨拶を交わした俺は、その人が部屋に入るのを見届けてから、身体を引いた。 「‥‥どうぞ」 「…、お邪魔します」 珠樹が俺の為になると判断したことでも、相変わらず俺には長瀬さんと話すことなんて一つもない。 だから、家にあげる必要はない。 だけど知り合いだと認めてしまった以上、追い返すわけにはいかないし、玄関前に居座られたりしてご近所さんの噂になっても困る。 母さんがいない時で良かった、ほんと。 「紅茶でいいですか」 「…、ああ」 背を向けて紅茶缶を取り出しながら訊くと、不自然に震える声で長瀬さんは返事をした。 きっと普段は「お構いなく」って言うんだろうけど、そんな余裕ないのかな。 …それにしても、何しに来たんだろ、この人。 あれからもう半年が過ぎて、蒸し暑かった日々なんて頭の片隅に追いやられてしまうくらい、寒い冬になったのに。 「……本当に、好きなんだな」 ポロリと零れ落ちた言葉に何のことかと視線を上げる。 向かい側に座る長瀬さんの目は、俺と俺が傾けているアイスティーのグラスを見つめていた。 勿論、長瀬さんの前に置いたのも氷の入ったアイスティーだ。 不純物のない透明なそれが僅かな無音すら拒むかのように、からん、と鳴る。 いくら部屋の中が暖かいとは言え、ついさっきまで寒気に触れていた人に出すべきものではないのかもしれない。 でも、自分が飲みたいものと一緒に作ってしまったんだから仕方がない。 第一、『俺』に紅茶でいいと答えたら、出てくるのはアイスティーと決まっている。 ホットティーなんて、頼まれた時にしか淹れない。 「ご用件は」 尋ねながら、コルクボードにピンでとめられているカードの筆記体を横目で追う。 パーティーは午後一時からで、迎えは確か十二時半だったよな。 料理は腐るほど用意するから昼食は抜いて来いって言われたけど…正直、悩む。 アートの言葉を疑うわけじゃないが、ちゃんと食べられるのか心配だ。 どんなに食べ物があったって、常に騒いでたら消費する時間なんてないし、わーわーやってたらあんまり空腹を感じない。 それで毎回、帰り道で「…おなかへった」って気付くんだもんなー。 ……あれ。そういえば母さんって今日何時に帰って来るんだっけ。 「俺は、空大が好きだ」 「…、………」 「陸大じゃない。空大が好きなんだ」 なに、それ。 唐突過ぎる言葉に思わず視線が前を向く。 この半年間で出した答えが、俺に伝えるべきだと考えた言葉が、それ、なの。 「空大の言う通り、確かに最初は陸大の代わりだった。寮にいる陸大には会いに行けないし、会ってもらえるわけもないから、近くにいる空大に会いに行った。…どんなに姿形が似てても、違う人間だ、って。わかってたのにな」 やっぱり、嫌い。 「陸大と付き合ってたことを言わなかったのは悪かったと思ってる。でも、付き合って欲しいと言ったのは、陸大の代わりにしようと思ったからじゃない。『鳳空大』っていう人間をもっと知りたいと思ったからだ」 嫌い。嫌い。大嫌い。 「俺は空大が好きだよ」 だ い っ き ら い 。 NEXT * CHAP |