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十一回目の嘘。


 一番護りたいのは、母さん。

 一番大切なのは、陸大。

 一番感謝してるのは、珠樹。

 一番憎んでるのは――――、



口が虚しい、と書いて嘘。




『っ、たかひろ、』
「勘違いしないで下さいよ。俺は誰かの代わりにされたことを怒ってるんじゃありません。誰かに陸大の代わりが務まる、と思われたことに怒ってるんです。謝罪なんか要らない」

 俺の代わりになる人はいくらでもいるだろう。
 勉強と運動をそつなくこなす人間は意外と多いし、勝つ為のバスケをしないプレーヤーだって少なくはない。

 でも、陸大の代わりはいない。絶対。

「俺が陸大の代わりになるなんて、本当に本気で思ってたんですか」
『………、』
「…なるわけないでしょう。あいつは、陸大は、俺とは全然違うんです。逃げてばかりの、背を向けることしか知らないような俺とは、全然違うんです」

 全てのことに手を抜かなければ、俺は陸大と同等の成績を残せる。
 勉強も運動も得意分野は異なるけれど、総合的に見れば同じような結果が出るはずだ。
 でも、俺と陸大は根本的な部分で正反対の性質を持っている。

 自分の為にしか努力出来ない俺。
 周囲の期待に応える為の努力が出来る陸大。

 目の前に道がないとわかった時、黙って後ろを向く俺。
 目の前の道が途絶えたら、迷わず自分の意志で進む陸大。

 影と光。静と動。暗と明。

 陸大の瞳が綺麗なのは、何事にも背を向けないからだ。

「貴方にとっての陸大は、その程度の存在だったんですか。貴方の中にいる陸大は、俺ごときに上書きされてしまう人間だったんですか」
『…そんな、こと、』
「“顔”が同じなら中身なんてどうでも良かったんですか」
『違う!! …違う。中身がどうでもいいなんて、そんなこと…どうでも良くなんかない』
「でも、貴方は陸大の代わりに俺を望んだ。首を挿げ替えるかのように簡単に俺を恋人にした。…どうしてふらなかったんですか」
『……それは、…』
「俺は貴方の罪悪感を煽る為に、わざと陸大がとらないような言動をして見せたのに。雑誌の紙切れの中に求めてしまうくらい、陸大本人を忘れられないのに」
『‥!?』
「…どうしてっ、陸大の存在を否定するようなことが出来たんですかっ!!」
『! 空大……』

 握り締めた拳から力を抜いて目を瞑る。
 頬の冷たい感覚に気付いたけど、壁も屋根もない東屋にいるんだから、雨があたるのは当然だと諦めた。

「自分の考え方がおかしいことはわかってます」

 母さんを自由にする為なら、陸大を傷つけることも厭わない。
 母さんを家から連れ出す為なら、陸大が傷ついても構わない。
 何事においても陸大より母さんを優先する。
 それでも、陸大自身を見下げられることには我慢がならない。

 矛盾だらけ。

 アレックスにもおかしいね、と言われた。
 誰よりもアツヒロを犠牲にして、誰よりもアツヒロを傷つけてるタカヒロが、誰よりもアツヒロを大切にしたいと思ってるなんて、おかしいね、と。

「でも、誰だって自分の好きなものを否定されたり、大切なものを蔑ろにされたら腹が立つでしょう」

 俺は、陸大を大切に出来ないから。
 大切に思うだけで、傷つけることしか出来ないから。
 尚更、誰かが陸大を否定することが許せない。

 ――――うそ。

 本当は違う。それだけじゃない。
 陸大を否定した長瀬さんを責めて、救われたいだけだ。
 俺は陸大自身を護ることが出来ないから。
 長瀬さんを責めて、誰かの中に存在する陸大を護っていると、思い込みたいだけだ。

 全部、言い訳。全部、こじつけ。全部、自己満足。

 陸大のことを否定しているのは長瀬さんじゃない。
 長瀬さんはちゃんと陸大を見ていた。
 どんなに傍にいても、どれだけ抱いても、俺を見なかった。
 陸大の存在を認めていた。

 …否定していたのは、俺の方。

「ごめんなさい」
『…え、』
「ごめんなさい、長瀬さん。巻き込んで」

 本当は強くなんかないのに。
 独りで生きていけるほど、強いわけがないのに。
 俺は自分の中で勝手に陸大を完璧な存在に作り替えて、目の前の陸大を否定した。
 現実の、俺の言葉に傷ついている陸大を、見ないふりをした。


 『なんであの女なんだ! なんで僕じゃないんだよ…っ』
 自信に満ち溢れた陸大が、自分を選んで欲しいと言ったのに。

 『何の明確な言葉もなく、ある日突然空大に置いて行かれて、珠樹も離れて行って。独りにされた僕が、どんな気持ちで…ッ』
 弱音を吐かない陸大が、悲しくて苦しかった過去を吐露したのに。

 『――僕はいつだって空大の隣を歩きたかった!! 二人で並んで歩きたかった!! それを…っ、勝手に僕を独りにしたくせに、僕が空大の隣を歩く権利まで奪うのかっ?!』
 負け犬と蔑む陸大が、俺の傍にいることを望んだのに。


 どんなに傷つけても、常に前を向いて歩ける陸大だから、大丈夫。
 残酷で身勝手な兄のことを憎んで、これまで以上に強く生きていってくれる――勝手にそう、決め付けて。

 陸大の言う通り、俺は全身真っ黒の人間だ。

 どうしようもない。

「…もう、陸大の代わりなんて探さないで下さいね。ちゃんと、誰かを、その人だけを、愛して下さい」
『空大っ、俺は…!!』
「ばいばい、長瀬さん」

 付き合ってくれてありがとう。通話を切ってから口の中で呟いた。

 閉じていた目を開けてベンチから立ち上がり、空を見上げる。
 …何で綺麗な青空なんだろう。
 お天気雨にしても僅か過ぎた気がする。
 あれ、でもまた……。

「‥、ははっ、なんでないてんの、おれ」

 頬を濡らしたのは雨粒じゃなくて、涙だった。



 * * *



 ホテルのロビーを通ると、ソファーで本を読んでいたアレックスと目が合った。
 昨日から泊ってる俺とは違ってすっかりこのホテルの内装に馴染んでるけど、どうしてこんな時間にこんなところで読書なんだろうか。

「タカヒロ、今から家に戻るのかい?」
「はい。朝の涼しい時間帯に行った方がいいと思って」
「もう少し遅い時間なら送ってあげられるのに」
「え、アレックス、車借りたんですか?」

 今までの交通手段は電車かバス、若しくはタクシーだった。
 スカウトの為に色んな試合会場を回るなら自由に移動出来る車を借りた方がいいんじゃないですか、と出会ったばかりの頃に訊いてみたけど、レンタカーは嫌だって返事をもらった気がする。
 驚きつつ首を傾げると俺の疑問を感じ取ったのか、アレックスはレンタカーじゃないよと微笑んだ。

「こっちにいる知人からね。お昼過ぎに鍵を受け取る約束」
「そうなんですか…。でも、右ハンドルで大丈夫なんですか?」
「心配要らないよ。左ハンドルだから」

 え、左ハンドルなのか。
 …まあアレックスもいいとこの坊ちゃんらしいから、きっと貸してくれる人も裕福なんだろう。

「アメリカと日本じゃ車線が逆ですから、気をつけて運転して下さいね」
「勿論、なるべく細い道は通らないようにするよ。ガレージはもう三台の車で埋まってるから」
「??」
「掠り傷一つでもつけたら責任持って持ち帰れ、って言われたんだ」
「へ?」
「祖父からのプレゼントらしいんだけどね。交通の便がいいから普段は必要ないし、目立つ真っ赤な車なんて乗りたくないんだってさ」
「………」

 凄いな、お金持ちって。





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