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十回目の嘘。


 間違ってても、正しくなくても。
 周りを傷つけても、自分が傷ついても。

 もう、前にしか進めない。



口が虚しい、と書いて嘘。




「空大ー、昼飯食ってくんだろ?」
「ん、ああ。ちょっと待って」

 ワークは提出したし、教科書とノートは持った。筆箱もよし。
 期末考査終了!
 机と鞄の中を確認した俺は、先に廊下に出た珠樹を小走りで追った。

「おばさんは? もうホテルか?」
「さっき着いたってメール来た」

 アレックスが特別号を持って来た月曜日にホテルに電話して、予約を今日からに変更してもらった。
 少しでも陸大と会う確率を減らす為だ。
 まあ、バッチリ会ってしまったからチェックインを早めた意味はなくなったんだけど。
 それでも、そのお陰で渡米の支度が済んだ部屋はすっきりしていて、壊れたり割れたりした物は少なかった。

「そっか。空いてて良かったな」
「うん。…ありがと」
「一昨日聞いた」
「わかってるよ」

 母さんを家に上げてもらって、陸大が荒らした部屋の片付けを手伝ってもらって。
 珠樹には本当に色々と迷惑をかけた。
 何度お礼を言っても足りない。
 ……あの頃から、ずっと。




 普段通りに帰る珠樹とファミレスの前で別れ、ホテルへと続く道を歩いていると、ポケットの中で携帯が震えた。
 あれ、何か言い忘れたことでもあったっけ。
 明日確認の為に家に戻ることは言ったし、終業式まではホテルから登校するってことも、ちゃんと伝えたよな…?

「――、…」

 珠樹であることを疑わずにフラップを開いた俺は、画面に表示されている文字を見た瞬間、足が止まった。

「先生……」

 携帯を握る手に力がこもる。
 朝、メールをもらった。
 部活がないなら午後から会えないか、って。
 ちゃんと気付いてた。届いてすぐに読んだ。
 でも、返事をしなかった。

 忙しかったからじゃない。
 試験のことで頭が一杯だったからじゃない。

 ただ、返信する気になれなかった。それだけ。

「もしもし、先生? メール返さなくてごめんなさい」

 ボタンを押すと同時に足を動かし、噴水のある広場に向かう。
 平日のランチタイムを少し過ぎた時間だからか、人影は殆どなかった。
 気にするな、と優しく笑う先生の声を聞きながら、東屋のベンチに座る。

『試験お疲れ様。これから部活か?』
「ううん。今日まで休み」

 基本、部活動停止期間は一週間前から当日の朝までだけど、バスケ部は三日前から翌日の朝までが休みだ。
 バスケ部の弱さを知らなければ、大抵の人は「厳しいんだね…」と驚く。
 でも、実際は午後練の時間が短いし朝練も自主練で強制じゃないから、試験前に纏めて勉強する必要がない、ってだけで、厳しいわけじゃない。
 それにウチは単純にバスケを楽しみたい連中の集まりだから、普段他の部活と分けて使っている体育館を独り占めにしてやるゲームを心底楽しんでいる。

『じゃあ家に来ないか? 空大が見たいって言ってたDVD、友達に借りたんだ』

 前回の電話から、色々変わった。
 予定通りのこともあれば、予定外のこともあった。
 でも、携帯から聞こえる先生の声は以前と変わらない。
 時間の流れを、現実を、勘違いしそうになる。

「……ごめん、行けない」
『用事でもあるのか? あ、お母さん、まだ具合悪いのか?』
「母さんはもう元気。大丈夫」
『………どうかしたのか?』

 訝しげに、それでも心配そうに訊く先生の言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
 口角がクイッ、と上がる。

 どうかしたのか、って?
 今更だよ、先生。
 俺はとっくにどうかしてる。

 それは先生も同じでしょう?

『空大…??』
「ねえ、先生」

 予定より、ちょっと早いけど。

「もう終わりにしようよ」

 恋人ごっこは。

『――どういう意味だ?』
「わかってるんでしょう? 何を、って訊かないんだから」
『…どうして、いきなり、そんな……好きだ、って言ったじゃないか』
「『僕』がね。俺は言ってないよ」
『!!』

 頼りない電波で繋がってるだけでも、息を呑んだのがわかる。
 …なんだ、つまんないの。やっぱり全然気付いてなかったのか。

「ごめんね。陸大になれなくて」
『ッ、な、にを……』
「あ、違った。わざと中途半端な陸大を演じて、ごめんね?」
『?! …なにを、いってるん、だ』
「何、って。先生は俺を陸大の代わりにしようと思って、わざわざ声をかけたんでしょう?」
『――――っ!!!』

 陸大は中学生の時、先生と付き合っていた。
 いつ付き合い始めたのかは知らないけど、別れた時期はなんとなく知ってる。
 陸大と先生が家の前で言い争ってるところを見たから。
 途切れ途切れに聞こえてきた声から察するに、陸大に振られた先生が理由を問い質していたんだろう。

 俺が先生の姿を見たのはその一回だけ。
 陸大から紹介されたことはないし、名前を聞いたこもない。
 偶然目撃しなければ先生の存在に気付くことはなかっただろう。

 でも、先生は多分俺のことを知っていた。
 面識はなくても、陸大から双子の兄がいることを聞いていたと思う。
 そして、陸大が自分との付き合いを俺に話していないことも、知っていた。

 だから、俺に声をかけた。

「普通、駅で拾ったものは駅員に届けますよね。それが一番確実だし、面倒なことにならないから」

 でも、貴方はそうしなかった。

「拾った生徒手帳を開いた時、何を思いました? 証明写真と氏名を見た時、何を思ったんですか?」
『……っ』
「陸大が手に入らないなら、双子の兄でもいい。そう思ったんでしょう?」
『ちが…っ』
「違わない。貴方は陸大の代わりに俺を抱いて、陸大の代わりに俺を愛した。…本当に馬鹿な兄だったら気付かなかったかもしれません。貴方は一度も俺に『陸大』を悟らせなかったから。でも、俺は貴方と陸大が付き合っていたことを知っていました」
『!??』

 駅のホームで肩を叩かれた時、目を見開いて声が出なかったのは、どこで失くしたのかわからない生徒手帳を差し出されたからじゃない。
 付き合って欲しいと言われた時、目を丸くしつつも笑って頷いたのは、告白が嬉しかったからじゃない。

「ねえ、長瀬さん。俺、陸大のことが大好きなんですよ」

 馬鹿な使命感に支配されて、置き去りにして。
 一番陸大を傷つけてる俺が言うなんておこがましいけれど。
 俺にとって陸大は、掛替えのない大切な片割れだ。

「初めて目を合わせた瞬間、わかりました。この人は俺を通して陸大を見てるな、って。それは別にどうでも良かったんです。一卵性双生児だから外見はそっくりだし、陸大はまだこの人の心の中にいるんだな、って感心しただけだから。でも、貴方はそれからも俺に関わった」

 食事、ドライブ、映画、遊園地。
 陸大のことは一切口にせずに、長瀬さんは俺を誘った。
 だから、許せなかった。
 腹の底から何かが沸き上がって、身体中の血が黒く染まった気がした。

「付き合って欲しいと言われた時、決めたんです。俺のことを本気で陸大の代わりにしようとしてる貴方を、傷つけてやろう、って」





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