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キス魔笑顔だ。7.5
※12禁表現※


 ガラガラガラッという小さいとは言い難い音をたてて、美術室のドアが開けられる。

「先輩っ! お昼買って来ま、し……た?」

 そこから元気よく飛び込んで来た少年・柳佳寿也は、シーンと静まり返った室内にあれ?という表情を浮かべた。





キス魔笑顔だ。




「香先輩…?」

 人の動く気配は全くなく、ここで待っているはずの愛しい者の名前を呼んでも返事はない。

 寮に帰ってしまったのだろうか…。

 一瞬そんな考えが浮かび佳寿也は表情を曇らせるが、彼に限ってそんなことは有り得ない、と首を振る。

 好かれていないどころか嫌われまくっているけれど、篠原香という少年は約束を破るようないい加減な人間ではないのだ。

「先輩、お昼買って来ました! 時間が無くなってしまうので、早く食べ…、っ!」

 若しかしたら奥の準備室に居るのかもしれない、と佳寿也は立ち止まった入口から準備室の方向へ足を向け、聞こえるように大きな声を出す。

 彼が自分を準備室に入れてくれるとは思わないけれど、昼食があるのだから渋々でも出て来てくれるだろう。

 ――この二週間悉く断られた、一緒の食事。

 しかも、二人きり。

 言葉を発しながら思わずにやけてしまう佳寿也だったが、壁掛け時計で時刻を確認しようと背後を振り返った瞬間、視界の端に映ったものに慌てて声を飲み込んだ。

 何故なら――。

「‥、……寝てる……」

 そう。

 黒板と時計が備えられている前側の壁の隅の方に背を預けるかたちで、香が寝ていたから。

 勝気な印象を与える僅かに釣り上がった瞳や表情に違わぬ普段の態度からは全く想像がつかない、余りにも無防備な姿で香が寝ていたからだ。

 一般の教室に置かれている教卓とは違う大きなそれに視界の半分以上が埋められ、その一角は切り取られた絵のように映った。

「…………」

 数秒黙って見つめていると、起こしてはいけないという最初の気持ちが薄れ、その代わりに信じられないという気持ちが強くなっていく。

 佳寿也は細心の注意を払いながら靴下の鈍い音すらたてずにそろそろと近付いた。

 先程の大声にも反応しなかったのだから深い眠りに落ちているのだろうと、内心ドキドキビクビクしながらも横に並んで同じように壁に背をつけてみる。

 顔を僅かに動かせば美術部員らしい白い項が間近に迫り、鼻孔から入り込んでくるのは太陽とシャンプーの柔らかな匂い。

 今までも何度か隙を見つけては抱きつくなどして接近したことがあるけれど、当然激しい抵抗を受けるのでまじまじと見つめたり「香」という存在を身近に感じる余裕はなく、初めてのことに心臓が煩く騒ぎ出す。

 ………落ち着け。

 自分に言い聞かせながら時間をかけて長い息を吐き出し、気持ちを静める。

 けれど、ふぅ、と気を抜いたその刹那、腕の中で存在を忘れていた昼食が早く食べろと言わんばかりにガサリと鳴き、佳寿也はビクッと肩を震わせる。

「!! ‥っ、…」

「ん………ぅ、」

「ッ、!?」

 大袈裟なほどに跳ねた肩は当然、隣で眠っている香の身体にも振動を与え、項を晒すように反対側に傾いていた頭が、こてん、と。

 本当に『こてん』という効果音が聞こえてくるような動きで、佳寿也の肩に触れた。

 そして、突然の出来事に嬉しいやらビックリやらで困惑する佳寿也の思考を更に混乱させるように、温もりを求めているのか、自らくっついてきた香の指が佳寿也のユニフォームを掴む。

「っ……」

 佳寿也は健全な男子高校生だ。

 天真爛漫な笑顔からもわかるように純粋で、今まで「清く正しく美しい」お付き合いしかしたことがないが、それなりに欲を持っている男だ。

 相手の許可を得ずに無理矢理、なんてことは天地が逆さまになったって出来はしないけれど、想いを寄せる者がこんなにも傍にいて、しかも擦り寄ってこられたら…。

 触れたいという考えが浮かばないはずがない。

 混濁していた思考がその一瞬でクリアになる。

 佳寿也は香をそっと抱き寄せた。

「…香先輩」

「……ん……」

 小さな香の身体は佳寿也の腕の中にすっぽりと納まり、温もりに安心したのか、あどけない寝顔に薄っすらと笑みが浮かぶ。

 抱きしめている佳寿也の目にそれは映らなかったけれど、ふ、という小さな呼吸音に何となく香が微笑んだとわかり、無意識に腕の力が強くなる。


 ―― こ の 人 が 好 き だ 。


 香の中にあの時の記憶がないことは、告白する前からわかっていた。

 自分にとっては「同性を好きになってしまった瞬間」でも、香にとっては何気ない出来事に過ぎないのだ、と。

 思い出して欲しいと思ったことはない。

 むしろ忘れたままで構わないと思っている。

 あの時の自分は香より少し小さくて、何より、酷く格好悪かったから。

「貴方の言葉を支えに努力してきた、今の俺を見て下さい」

 好きになって下さい。

「んっ……、‥?」

 首をグッと傾けて額に口付けると、腕の中で香が僅かに身を捩る。

 意識が浮上しそうになったのか、眉間に皺が寄り、けれど瞼が持ち上がる気配はない。

 佳寿也はもう暫らく香を抱きしめたままでいたかったが、そろそろ食べ始めなければ時間がなくなってしまう、と自分を窘め、夢の世界との狭間を彷徨っている香に声をかけた。

「先輩、起きて下さい。お昼買って来ましたよ」

「…んー……、‥」

「先輩、おはようございます」

 ゆっくりと黒い瞳を現した香は間近にある整った顔に満面の笑みを向けられ、パッチリと目を開く。

「――――、……」

 数秒、そのまま固まって動かない香に、佳寿也は首を傾げた。

「香先輩? ‥寝惚けてますか?」

「え………」





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