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キス魔笑顔だ。17



 『男が泣いていいのは、自分の子供が生まれた時と、自分の親が死んだ時だけだ』

 『それ以外の時はどんなに嬉しくても、どんなに悲しくても、涙を流すな。我慢しろ』

 『でも、本人の意思に関係なく、勝手に零れることもある。…その時は、目の前にいる奴に拭ってもらえばいい』

 『―――どうせ泣くなら、誰かの前で堂々と泣け』



 最後の砦が崩れてしまった。





キス魔笑顔だ。




 何度かゆっくり瞬きすると、ぼやけた視界の端で何かが動いた。

「香…??」

 声に導かれるようにして向いた左側には、会いたくて仕方なかった涼一がいた。

 カラカラに渇いた喉でなんとか名前を呼ぶ。

「‥、りょー、ぃち……」

「香…、良かった…っ」

 りょういち、りょういち、りょういち。

 今にも泣きそうな顔で唇と睫毛を震わせる涼一を見たら、胸がツキリと痛んで、鼻の奥がツンとした。

 心配かけてごめん。迷惑かけてごめん。

 こうなることは――…酷い怪我を負うことは、避けたかったのに。

 あの時のことを思い出させてしまうことは、絶対、一番、避けなきゃいけなかったのに。

「ごめっ、‥ね、香…ごめんね‥‥」

 何で涼一が謝るんだ。

「僕が‥僕がもっと、しっかりしていれば…香が、こんな目に遭うことなんて…っ」

 違う、違う。涼一の所為じゃない。涼一は悪くない。

 悪いのは、逃げていた俺だ。

 認めるのが怖くて、変わるのが嫌で、自分に言い訳をして。

 涼一のように汚い自分ときちんと向き合う努力をしていれば、こんなことにはならなかった。

 だから、 だ か ら 、

「りょーいち。なかないで」

 僅かに痺れを感じる腕を上げ、ぎこちない動作で涙を拭う。

 肘の内側にはあの時と同じように点滴をうった痕が見えた。

「…っ、……」

「なかないでくれ。りょーいち。だいじょうぶだから」

 身体中が痛くても、ダルくても、熱っぽくても。

「おれは、だいじょうぶだから」

「! こ、お…」

 綺麗な色をした瞳が見開かれる。

 俺の一人称が昔に戻っていることに気付いたからなのかは、わからない。

「りょーいちになかれるのが、いちばん、つらい」

「っ……」

「ごめん、りょーいち」

「、何で、香が謝るの」

「あのときのこと。おもいださせて、ごめん」

「!? そ、れは、僕が勝手に…」

「ちがう、おれのせいだ。こんかいも、あのときも。おれが、じぶんのことだけをかんがえて、こうどうしたから。りょーいちを、きずつけた」

 一昨年の夏。

 俺は涼一が止めるのも聞かずに元恋人の家へ乗り込んだ。

 涼一が赤ん坊のように大きな声を上げて泣くほど、酷い言葉を吐きつけて捨てたあの男が許せなくて。

 同性愛者であることを親友の俺にすら話せず、その秘密を共有出来る相手が他にいないことを知っていながら、平然と涼一の心を裏切ったことが。

 本当に、どうしても、言葉では到底言い表せないくらい、許せなくて。

 ……涼一の為じゃなかった。

 俺を救ってくれた、強くて優しい涼一を傷つけられたことに対する、俺の身勝手な報復だった。

 なのに、元恋人の家で血塗れになって倒れている俺たちを見つけて病院に運んだ涼一は、目を覚ました俺の枕元で泣き崩れて、何十分も謝り続けた。

 香が殴られたのは自分の所為だ、香が傷ついたのは自分の所為だ、自分が馬鹿なことさえしなければ―――と。

 俺は自分の浅はかさを悔いた。

 理性を失った俺の行動が、恋人だと思っていた相手に暴言を浴びせられたことでボロボロになっている涼一の心を、更に傷つけてしまったと気付いたから。

 自分の愚かさを悔いた。

 『涼一の所為じゃない。俺の意思は俺が決めてる』

 特別棟の前で告げた台詞を初めて口にしたのは、その時だ。

「‥僕は、香に傷つけられたなんて、思ってない」

「じゃあ、あやまらないでくれ」

「、なん、で」

「おれは、りょーいちにきずつけられたなんて、おもってない。りょーいちにせきにんがあるとも、おもってない。おれがとったこうどうのせきにんは、おれにある。りょーいちがおれにきずつけられたとおもってないなら、なおさら、りょーいちがあやまるりゆうはない」

「………」

「ぜんぶ、おれがかってにしたことだから。…こんかいも、あのときも。しっかりしてなかったのは、おれのほうだ」

 柳兄が俺を暴行した理由は、多分柳とは何の関係もない。

 薄暗い部屋で見たあの双眸は俺のことも柳のことも、映してなんかなかった。

 弟を思うが故の行動――であるはずがない。

 でも、柳が俺に告白して、俺がそれを嘘だと跳ね除けなければ、きっと柳兄が俺に関わろうとすることもなかっただろうから。

「じごうじとく、なんだ。ばちがあたったんだよ。おれが、やなぎからにげたから、ッ」

 渇いた喉が引き攣って痛む。

 ごほごほと小さく咳をすると、涼一がスポーツドリンクのペットボトルを手渡してくれた。

「…、‥ありがとう」

「香、お腹空いてるだろう? 今、お粥作ってくるから、」

「涼一」

 話題を逸らしたがってる。立ち上がった涼一を見て思った。

 でも俺は今まで十分逃げてきたから、もう誤魔化したくはなかった。


「俺、柳にちゃんと返事をしようって思ってる」





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