どうして、忘れていられたんだろう。 『あっ、あの! 外部の方ですよねっ? ここ、受けるんですか!?』 『…わからない。でも、現時点では第一志望だ』 『俺っ、今二年で! また会えたら嬉しいです!』 あの真っ直ぐな瞳は、少しも変わっていなかったのに。 キス魔笑顔だ。 「――…気付いてたよ。香が柳くんを意識してる、って。気付いてて、僕は言わなかったんだ」 涼一は俺に背を向けたまま言う。 「向き合わなきゃいけない、って。僕が言うべきだったのに。香が柳くんと距離を置きたがってるなら言わなくていいや、って。香が、……。香を、柳くんにとられるのが嫌だったんだ」 「……」 「ごめんね。僕は、香が一番好きだから。一番愛してるのは善乃でも、一番好きなのは香だから。香が僕と善乃の幸せを願ってくれたようには‥‥香と同じようには、僕は、香と柳くんの幸せを願えないんだ」 「…涼一が謝る必要はないって言っただろ。俺の行動の責任は俺にある。涼一は、逃げてる俺が覚悟を決めるのを、待っててくれただけだ」 「違うよ…。僕はそんなにいい奴じゃない。あの事で恋愛に興味のない香を更に恋愛から遠ざけてしまった、って。後悔する一方で、ずっと僕の傍にいてくれればいい、って思ってた」 握り締められた拳が震えている。 そう思ってもらえて嬉しいって言ったら、涼一はどんな顔をするだろうか。 「酷い親友だろう? 僕は、香が思ってるほど立派な人間じゃないんだよ。もっと傲慢で、狡猾で、卑怯な人間なんだ。香は知らなかっただろうけど、」 「知ってる」 遮って強い口調で言うと、俯いている涼一の肩がぴくりと動いた。 「涼一がどんな人間かは、俺が一番よく知ってる。可愛い顔、怒った顔、拗ねた顔、幸せそうな顔。涼一の色んな面を一番知ってるのはゼンちゃんかもしれないけど」 何歳から一緒にいると思ってるんだ。 何年兄弟のように生活してきたと思ってるんだ。 「涼一がどんな人間で、今までどういう風に生きて来たかは、俺が一番よく知ってる」 苦手教科の社会を克服しようとする姿も、クラスメイトからのやっかみに耐える姿も、周囲の期待に応えようとする姿も、恋愛に苦しむ姿も、全部。 俺は一番傍で見て来た。 「四之宮涼一は俺の自慢の親友だ! これ以上、貶めるようなことは言うな!」 「! ……ふ、ふふっ…あはは‥っ、‥‥なんで、ここで、怒るかなぁ…」 「怒るに決まってるだろ!」 「あはっ、あはは…っ‥‥ふ、」 涼一は口に手をあてるけど全然声を抑えられていないし、笑い声に合わせて肩も震えている。 「…涼一。笑い過ぎだ」 「ごめんごめん、怒らないでよ。あ、ごめん。もう怒ってるんだっけ」 「涼一」 「ごめんね」 咎めるように名前を呼ぶと、打って変わって悲嘆の滲む目が俺に向けられた。 「…涼一‥?」 「なんで、香は…こんなにも、真っ直ぐでいられるんだろうね」 「ッ、!」 「‥香?」 「……真っ直ぐなんかじゃ、ない」 真っ直ぐでいられたのなら、こんなことにはならなかった。 「俺、また、弱く…、」 「大丈夫。大丈夫だよ、香…。本当はわかってるんだろう?」 「…、…」 「香は弱くなってなんかない。柳くんに告白されたことで、香の中にある定義や概念が変わろうとしているだけだよ。戸惑って、困惑して、葛藤して―――そんな時に横槍をいれられたら、誰だって悪意をぶつけたくなる」 涼一はちょっと困ったように、悲しそうに、けれど慈しむような笑みを、俺に向ける。 「僕だって、最初は善乃を拒絶した。惹かれてたのに、嬉しかったのに、本当はあの胸に飛び込んでしまいたかったのに。馬鹿な男に引っかかった過去があったから、どうしても怖くて、信じられなくて、頷くことなんて出来なかった。でも…」 『“好きだ”って気持ち以上に大事なことがあるのか』 そう言って涼一の背中を押したのは俺だ。 「香が、臆病な僕を変えてくれた。幸せになる方法を教えてくれた。…もう、柳くんの気持ち、疑ってないんでしょう?」 多分、ずっと。気付いてた。 最初のあの瞬間から、頭のどこかでわかってた。 俺を見つめるあの瞳に嘘はない、って。 涼一を愛していると俺に告げたゼンちゃんの瞳と同じだったから。 あの色に嘘偽りはない――その事実を、きっと、誰より俺が知っていた。 それでも、 「あの熱量が、全部、俺に向けられてたなんて……信じられなかった」 涼一に近づく為に、俺に好意を向ける奴は何人もいた。 おべっかを使い、偽りの気持ちを言葉にのせ、俺に取り入ろうとする奴は何人もいた。 だから柳の告白を本気にすることなんて出来なかったし、自分が好かれてるなんて考えもしなかった。 そもそも、柳と俺に接点はない。接触もない。 ただ普通に生活しているだけで迷惑な程の好意を抱かれてしまう涼一と違って、学年次席という特徴しか持たない平凡な俺が、初対面の人間に告白されて、一体どうして本気だと信じることが出来るのだろう。 柳が俺を目に留める理由がなければ、認めずにいられると思ってた。 あの瞳は俺を通して涼一を見ているんだと…涼一でなくても他の誰かに向けられていて、何らかの下心があって俺に告白したのだと。 でも、初対面じゃなかった。 「俺たち、会ったことあるんだ。ここに学校見学に来た時、涼一とはぐれて、中等部に迷い込んだことがあっただろ?」 「…ああ、二年生の、可愛いサッカー少年が泣いてたって……、え? まさか…」 「俺より小さかったあの少年、柳だったんだ」 すれ違ったことがあるだけの他人じゃない。顔を知ってるだけの先輩後輩じゃない。 お互いに名乗りはしなかったけれど、真っ直ぐに目を見て言葉を交わし、笑顔を向けた相手だった。 また会えたら嬉しいと、可愛いことを言ってくれた相手だった。 だからもう――駄目だと思った。 『俺』を知っているなら、『俺』を知っていて好きだと言ったなら。 潔く諦めて、降参しなければならない。 本気の告白を、好意を、嘘だと決めつけて切り捨てるなんて、 「最初に…最初じゃなくても、中学生の頃に会ったことを覚えてないか、って。その一言を言えよ、って思うけど」 そんな不誠実なことは、もう出来ない。 |