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Vivid World 06


 冷たかったり穏やかだったり。
 温かかったり激しかったり。

 いろはいろんなかおをもっている。



06:



 綺麗じゃない。優しくない。温かくない。明るくない。柔らかくない。
 手や指へのキスを幻想的なパステルカラーだとするなら、唇に触れたキスは酷く現実的なビビッドカラーだった。

「や、オレにはサアヤが何を言いたいのかさっぱりわかんないんだけど」
「わかれよ。おれを一番理解してるのはお前なんだろ」
「…サアヤひどい。情報所持って言ったくせに」

 本当におれを理解してると思ってるならおれが何を言おうが関係ないだろうが。

「うー、あー、……えーと、キスされても気持ち悪いとは思わなかったってこと?」
「そういう次元の問題じゃない」
「じゃあどういう次元の問題なのさっ」
「だから、気持ちいいとか悪いとか、キスされたいとかされたくないとか。そういうことじゃないんだよ」

 詳しく言い直したというのに、市村はわけわからん!、と間髪容れずに叫びやがった。少しは頭の中で考えてから言いやがれ。

「結局、サアヤは桜崎ふくかいちょーが好きなの?! それとも嫌いなの?!」
「好きでも嫌いでもない」
「はっきりおっしゃい!!」
「曖昧で控えめなのが日本人だ」
「…!」

 言外に文句でもあるのかと言ったおれに市村は一瞬絶句し、疲弊したサラリーマンのような動作で台所へと向かった。
 ぱたん、と冷蔵庫の開閉音が響く。次いでかちゃかちゃと金属の触れ合う音が鳴り、食後のプリンか、と思ったおれの前にプリンとスプーンを持った市村が戻ってくる。
 サッカー部に所属する市村は毎食おれの1,5倍は食べ、尚且つデザートを腹に収めるツワモノだ。おれもたまに売店で買ってくることがあるけれど、食堂で夕食とデザートを平らげたあとに部屋でもう一度甘いものを食べたいとは思わない。

 自他共に認める甘党男はものの三十秒で完食した。

「っつかさあ、篠原かいちょーの絵を破いた愚か者はどこのどいつ?」
「…知らない」

 素直に不快感を表す市村の、いつもよりほんっ…の少しだけまともに見える顔を、黙ってればそれなりに美形なのになと思いつつ。
 そう言うと、眉間に皺を刻んでいた市村は一瞬停止した。

「‥、は? え、なに。知らないって、とっ捕まえなかったの?!」
「だから、おれは篠原先輩の絵が破れたことに動揺してそれどころじゃなかったんだよ」

 睨みつけると、市村はそうじゃなくて、と訝しげな表情をする。

「その生徒のとくちょー、訊かれたんじゃないの??」
「誰に」
「誰に、って…。桜崎ふくかいちょーか、篠原かいちょーに」
「何で」
「え、いや、だって……え、マジで、何も訊かれてないの?」

 信じられないと言いたげな市村の質問に頷く。
 篠原先輩にも桜崎にも生徒のことは訊かれていない。

「そんなに驚くことか?」
「そりゃあ驚きますがな……。桜崎ふくかいちょーは『総彩を泣かせやがって!』って思ってるだろうし、篠原かいちょーも『一条の所為にしやがって!』って思ってんじゃねーの??」

 そうだろうか。
 桜崎は頻りに自分を責めていた。篠原先輩の言う通り、全部自分が悪いのだと。自分が総彩を傷つけたのだと。
 実際に絵を破った生徒のことなんて全然言わなかったし、顔も名前もわからない誰かに怒りを抱いているようには見えなかった。

 篠原先輩は『悪いのはこの馬鹿と、この馬鹿に振り回されて一条を傷つけた生徒だ』と言ったけれど、その生徒がどこの誰なのかを気にする素振りはなかった。多分、桜崎の態度に嫉妬した生徒、という大まかな事実だけで十分だったんだと思う。
 幸い、破れたのは失敗作で‥、おれにも目立った怪我はなくて。篠原先輩は美術室で何かが起こると予測していたみたいだから。見つけ出して下手に注意すれば、おれに対する風当たりが更に強くなると判断したのかもしれないけれど。

 兎に角、二人とも相手の生徒を特定して何かをしよう、という風には見えなかった。

「ん゛〜〜〜、っ、なにっ?!」
「煩い」

 腕を組んで獣のように唸っていた市村に丸めた紙屑を投げつけるが、流石は運動神経抜群のサッカー部員。こっちを見ていなかったにも関わらず、狙った額には当たらなかった。というか、しっかりキャッチされた。

 あぶないなーもー、と文句を言いながら、恐らく大した理由はないのだろう、ぐしゃぐしゃに丸まっていたB5の紙を広げた市村がぴたりと止まる。

「――、サアヤ、これ……」

 死ね、と答えると市村は顔を顰めた。
 その手元で乱暴な赤い字が歪む。

「初めてじゃないよな」
「さあ、どうだろうな」
「サアヤ」

 はぐらかすような軽い口調のおれに珍しく市村が厳しい声を出す。
 …まあ、怒りたくなるのも無理はないだろう。ふざけているイメージが強く、実際市村はふざけた言動が多いが、決していい加減な奴じゃない。人気のある桜崎に付きまとわれるようになってから、教室でも食堂でも、それとなくおれに気を遣ってくれていた。
 今日まであからさまな嫌がらせを受けることがなかったのは、もしかしたら市村のお陰かもしれない。

「桜崎ふくかいちょーや篠原かいちょー‥、が知ってるわけないよなあ」
「言ってないからな」

 溜息をつく市村の発言を肯定すると、更に大きな溜息が間にあるローテーブルに落ちた。
 プルシャンブルー、ペインズグレイ、シャドーグリーン、マースバイオレット、ランプブラック…。
 恐らくはそんな色が竜巻のように回りながら市村の周囲を取り囲んでいる。普段の市村はこんな色を持たない。

 何かを考えるように下を向いたクラスメイト兼同室者に、おれは一言だけ言った。

「お前が心配することじゃない」


 *

 *

 *


 足音や話し声の響く土曜日の校内。
 休みの日は大抵静かだが、来週末に行われる文化祭に向け、殆どのクラスが休日出勤ならぬ休日登校をしているようだった。おれのクラスも一部の生徒が集まっているのかもしれない。

 ぱたぱたと駆けて行く何人かの生徒とすれ違いながら、美術室へと繋がる最後の角を曲がる。目線を上げると丁度美術室から出てくる四之宮先輩の姿が見えた。この距離でも優しく綺麗な顔立ちであることがよくわかる。

「部長、おはようございます」
「あ、おはよう。一条くん」

 少し歩くスピードを上げて近寄り、軽く頭を下げる。おれに気付いた四之宮先輩はいつもの爽やかな笑顔で挨拶を返してくれた。
 四角いケースに入っているのは油絵の具だろうか。…そう言えば他の美術部員の進行具合を全く知らない。

「一条くんは今日もずっと美術室?」

 はい、と答えると、四之宮先輩はそっか、と言い、それから……。
 それから何故か、含みのある笑顔を浮かべて頑張ってねと言った。

 え、何ですか、その意味深長な感じは。

 初めて見る種類の笑みにきょとん、というかぽかん、としているおれを見て再び爽やかな笑顔になった四之宮先輩は、爽やかなまま手を振って去って行く。その細い後姿が角を曲がったところで、昨日の出来事を思い出した。
 が、すぐに否定する。桜崎のことで嫉妬されて大変だろうけど頑張れ、という意味だったなら、あんな笑みを浮かべたりしないだろう。
 四之宮先輩は人の不幸を面白がるような人じゃない。でも、それならあの含みは何だったんだろうか…。

 ううん、と考えながら三分の二ほど開いている美術室のドアに手をかけたおれは、力を込めて右に引こうとした瞬間。
 視界の端に映ったものを理解して息を止めた。

「っ、!」

 カーテンと窓が開いているだけの、薄暗い室内。積み木のような椅子に座り、大きな黒塗りの教卓に背を預け、小さなスケッチブックを眺める男。

 桜崎。

 おれは声をかけることが出来なかった。
 神秘的なわけでも、幻想的なわけでも、ないのに。
 何故だか、壊れてしまう気がして。
 儚げに見えるわけでは決してないのに。
 声をかけたら、徐々に空気に溶けて消えてしまう気がして。

 ぱらり。紙が捲られる。
 真剣な桜崎の横顔。
 その理由がおれにはわからない。
 だってそのスケッチブックに描かれているのはただの果物だ。
 ただの果物を、ただ描いた、ただの水彩画。特別熱心に描いたわけじゃない。

 …嫌がらせだった。『総彩が描いた絵は他にないの?』そう言った桜崎に何の面白味もないスケッチブックを渡したのは、嫌がらせだった。
 普通、そう訊かれれば一美術部員として顧問に提出した作品や、何かのコンクールに応募した作品を渡すのが当たり前なんだろうけれど。
 おれは何の面白味もないスケッチブックを渡して、こういうのじゃなくて、と言わせたかった。

 『きみがほしい』と言った桜崎に。落書きのような絵は要らないと言わせたかった。

 でも桜崎は言わなかった。
 不愉快そうな顔なんて見せなかった。
 それどころか『あざやか』と呟いて嬉しそうに笑った。


「―――総彩……」

 淡い果物を静かに眺めていた桜崎がふいにこっちを向く。
 おれの耳に届いた声。
 いつものような甘ったるさは全然ない。

 薄暗い室内からおれを見つめる顔が悲しげに歪んだのを見て、自分の足が半歩下がっていることに気付いた。数秒悩んだ後、おれは美術室内へ足を踏み入れる。
 何をどう頑張ればいいのかなんてわからないが、恐らく四之宮先輩が含み笑顔を浮かべたのは桜崎に関することだろう。
 キスしたことを聞いて、彼がいるからって逃げないでね、と言いたかったのかもしれない。

 篠原先輩と同様に四之宮先輩も不思議な人だ。
 余計なお世話だと思うようなことを言われても、その声色や表情から純粋に心配されたり応援されているとわかるから、少しも嫌な気持ちが沸いてこない。

「…ごめんね」

 ごめんねじゃねえよ。
 そもそも何に対する謝罪だそれは。

 美術準備室に向けていた足を止め、おれは教卓の前に立っている桜崎を振り返る。

「卑怯だ」
「、え」
「あんたが悲しそうな顔をするのは卑怯だ」

 悲しまないで、なんて。おれには言えない。



使用御題>>Fifteen title『止まらない恋』



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