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Vivid World 02


 赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。

 ひかりがなければこのせかいにはいろなんてそんざいしないのに、

 どうしてにじはそらのひかりにせをむけないとみえないんだろう。



02:



「―――想像、つかない」
「‥え?」

 虹の下には宝物が埋まってるとか。流れ星が消える前に三回願いごとを唱えたら叶うとか。靴下をぶら下げておけばサンタクロースに望み通りのプレゼントを入れてもらえるとか。
 その手の話を信じたことはない。
 義務教育を終えた今改めて考えてみると、この上なく可愛げのない現実的な餓鬼だったんだなと思うけど。
 おれは何故だか最初から有り得ないことだと知っていた。

 普段の言動からわかるように、市村は信じていたらしい。
 この学校には園芸部がなく、花壇の水撒きは事務のおばさんの仕事なのだが、細く潰されたホースの口から降り注ぐ水によって作られた虹を見た昼休み。市村は幼稚園児のように喜び、宝探しはいつも泥だらけになって終わったと笑っていた。

 桜崎にもそんな過去があるのだろうか。
 大人の言うことを何の疑いもなく素直に信じたり、出来るはずのないことに挑戦して泥まみれになったり。
 ……正直に言えば全く想像がつかない。

 絵に色をのせながらぽつりと漏らしたおれに、傍でおれのスケッチブックを見つめていた桜崎が一拍遅れて聞き返す。
 篠原先輩や他の生徒会役員に不要若しくは邪魔だと判断されたのか、桜崎はあの日から終業の三十分後くらいには以前のように顔を出している。

「何が?」
「…先輩が無邪気に走り回ってる姿」

 自分の我侭を押し通そうとするところや、思うが侭に行動する子供のようなところからはそういう姿が想像出来なくもないけれど。
 ‥なんと言うか、桜崎には似合わない。
 この人は市村のようには笑わない気がする。

「それって、少しは俺に興味持ってくれたってこと?」
「、は?」

 何でそんな話しになるんだ。
 筆をとめて振り返ったおれに桜崎はにっこり笑う。

「嬉しいな。総彩が俺のことを知りたいと思ってくれたなんて」
「いや、そんなこと一言も言ってないんですけど」
「でも、俺のことが気になるんだろ?」
「……誤解を招くような言い方はやめて下さい」

 桜崎から目を逸らして反対側に首を捻ると、控えめにこちらを窺っていた二人の部員と視線が交わる。同じ一年の二人は慌てて、けれど静かに自分の絵に向き直った。

 油絵やオブジェはアトリエ、デッサンや水彩画は美術室。
 基本的にそうなっているけれど、明日あたりにはおれと同じ水彩画を描いているあの二人もアトリエへ行ってしまうかもしれない。部則で決められているわけではないし、四之宮部長なら笑顔で二人を受け入れるだろう。
 桜崎とのやり取りをちらちら見られることは桜崎と二人きりになることよりも精神を疲労するから、二人がアトリエに行ってしまっても文句は言わないけど。

「俺も総彩が無邪気に走り回ってる姿は想像出来ないな」

 髪を撫でていた桜崎の手が眼鏡にあたってとまる。顔を隠す為にかけているそれは縁が太めの伊達眼鏡だ。
 そのまま外されそうになって僅かに身を引くと、桜崎は大人しく手を膝に下ろした。

「総彩は昔から絵を描くことが好きだったの?」
「‥、……絵は、小さい頃から描いてた」

 何色もある絵の具を欲しがって。混ぜ合わせられる筆を欲しがって。塗りつけられる紙を欲しがって。
 幼稚園に入園する頃には色鉛筆でもクレヨンでもなく、透明水彩絵の具で絵を描いていた。

 …絵を描かなければ、色を塗らなければ、多分、おれは生きていられなかった。
 世界に存在する色を見て、知って、理解して。
 そうしなければおれはきっと生きていることが出来なかった。

 だから。

「好きとか、嫌いとか。考えたこと、ない」
「そっか」
「‥先輩は?」
「ん?」

 機械のように口を動かすおれに桜崎は柔らかな笑みを向ける。
 この人はきっと市村のようには笑わない。
 でも、おれに向けられる笑みは作り物じゃない。
 『きみがほしい』と言った真意を『好き』という言葉で隠して悟らせないくせに、桜崎は心から笑ってる。

「先輩は、見るだけで描かないけど。描くのは嫌いなんですか?」
「うーん……どうだろう。嫌いじゃないけど、苦手‥かな。俺、総彩と違ってセンスないし」
「…それって、完成度が高くなきゃ嫌だってことですか?」
「え?」

 苦笑いを浮かべていた桜崎はきょとん、とおれを見つめ返す。

「だって、絵なんか描きたきゃ描けるじゃないですか。下手でもセンスがなくても。描きたいと思ったら好きなだけ描けばいい」

 おれは絵が上手いなんて思ったことは一度もない。
 自分なりに上手く描けたな、と思うことはあっても。
 自分に才能があると思ったことはない。
 でも、描いてる。
 描きたいから、描いてる。

「デッサンの仕方も人それぞれ。色彩感覚も人それぞれ。全員違うのが当たり前だからみんな描くんですよ」

 自分の世界を。
 誰かに上手いと褒め称えられなくても、自分の作りたいものが作れたならそれでいいとおれは思う。

「……うん、そうだね。総彩の言う通りだ。でも俺は‥、」

 微笑みながら目を伏せる桜崎。白い手がスケッチブックの表紙を滑るように撫でる。

「自分で描くことよりも、総彩の描いた絵を見ていることの方が何億倍も好きだよ」

 総彩が描いた絵は他にないの?、と訊かれて渡した、小さなスケッチブック。中身は全部果物だ。リンゴ、ミカン、バナナ、マスカット、洋ナシ、キイチゴ、レモン…etc。
 構成やバランスなんて考えず、手の動くままに描き殴ったという表現が似合うような絵なのに、桜崎は『あざやか』と呟いて嬉しそうに笑って。
 何が気に入ったのかは知らないけれど、おれがぽつりと漏らすまでは今日も嬉しそうにそれを見つめていた。

「総彩の絵は…、……それはいつ提出するの?」

 桜崎は言いかけた何かを飲み込んで、多分全く違うことを質問した。
 おれはそれに気づかなかったふりをして筆を動かす。

「副会長なのにそんなことも知らないんですか」
「え、うん、まあ」
「来週の火曜日に提出して生徒会のチェックを受けて、駄目だと言われたら修正して木曜日に再提出。そこでもハネられたら文化祭での展示は不可能です」
「そうなんだ……」
「篠原先輩から聞いてないんですか?」

 初めて知ったと言わんばかりの桜崎の反応に溜息が落ちる。実際にチェックするのは生徒会顧問だけど、美術部員から作品を収集したり返却したりするのは役員の仕事だ。
 桜崎の担当じゃなかったとしても、会長を補佐する副会長が生徒会の仕事を把握していないのは問題だと思う。篠原先輩なら桜崎の補佐なんて必要としないだろうけど。

「……先輩って、願いごととかなさそうですよね」
「え?」
「初対面の人間に意味不明なこと言ったり、淡い水彩画を鮮やかって言ったり。来るなって言っても毎日のように美術室にやって来て、忙しい時期なのに副会長としての役割を果たしてないし。横暴とまでは言いませんけど、自分の好きなように生きてるじゃないですか」

 だから、ふと、そう思った。
 何かを願うことなんてないんだろうな、って。

「あるよ、願いごと」
「え、」
「『総彩が俺を好きになってくれますように』」

 筆を持ったままの右手が捕らえられる。

「毎日、ずっと。そう願ってる」
「…うそ」

 手の甲に唇を寄せた桜崎が嘘じゃない、と言う。

「総彩に好きになってもらうこと。それが俺の、たった一つの願い」

 触れた温度がそのまま気持ちに変換されるのなら、桜崎の言葉に嘘はない。
 恐らく真実だ。
 でも、違う。
 そうじゃない。

 なんか、なんか、…噛み合わない。
 どこか、もっと奥の方でズレてるのがわかる。

「総彩は? 願いごと、ないの?」

 おれのねがいごと?

 握っていたはずの筆はいつの間にか取り上げられて。指の一本一本に落とされる熱がおれの思考を掻き乱す。

「おれ、は……ようちえんせいの、ころ、」
「うん?」
「すべてをいろどれるように、って、いのってた」

 総彩は、『総てを彩るように』という意味でつけられた名前だから。

「えを、かきながら、かあさんがかなしまないように、って、おれは、なんども、」

 頬をゆっくりと撫でる手に、おれは自分が微かに震えていたことを知った。…何でおれは桜崎なんかの前でこんな告白をしたんだろう。
 同室の市村にだって言ったことがないのに。誰かに聞いてもらいたかったことでもないのに。

 ……桜崎の熱に毒されたのかもしれない。

「俺はね、総彩」

 すぐそばで薄い唇が動く。

「もう既に総彩に彩られてるよ」

 甘い声で囁かれても嬉しくない。



使用御題>>Fifteen title『止まらない恋』



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