「香‥本当にいいの?」 「だから、いいんだってば。何回も訊くなよ」 金曜日のHR終了後。 形のいい眉をハの字にして申し訳無さそう(心配そう)な表情を浮かべる涼一に、僕は思わず苦笑してしまった。 キス魔笑顔だ。 「でも、ゼンだって別に構わないって言ってるんだよ?」 「ゼンちゃんと涼一が構わなくても、僕が構うんだよ」 ゼンちゃんと言うのは涼一の恋人で、本名は山崎善乃(ヤマザキヨシノ)。 名前ではよくわからないかもしれないけど、男性だ。 僕と違って同性愛者である涼一は、去年の秋頃からゼンちゃんと付き合っている。 「これ以上、二人の時間を邪魔する気はないって」 「香……」 ゼンちゃんは数学教師で、涼一は生徒。 学園は同性愛者が溢れていることを問題視してはいないし、恋愛は個人の自由だと考えているようだけど、未成年を預かる立場で教師と生徒の恋愛を勧めるようなことが出来るはずもなく、黙認している状態だ。 ゼンちゃんも涼一もそのことはよくわかっているから、普段、恋人のように話すことは疎か、顔を合わせることすらないように行動している。 ●曜日の●時限目前後には●階の廊下を通らない、とか。 僕はそこまで徹底しなくてもいいと思うんだけど、ゼンちゃんは三年生の三クラスを担当しているだけで、担任でも副担任でもないから、会わないように行動することは存外簡単なんだと以前涼一は言っていた。 ゼンちゃんもゼンちゃんで、お昼は教師も生徒も同じ食堂を利用するのに、涼一以外の生徒や教師と食べるようにしている。 そんな、普段の生活で全く接点を持たないようにしている二人が唯一、二人っきりで過ごせるのが、今日――金曜日なんだ。 まあ、週休二日制だから土日は好きなだけイチャイチャ出来るんだけど…なんていうか、授業が終わった日に校内で会うのと休みの日に部屋で会うのとでは違うように思う。 たとえ違わなくても、二人が同じだと言っても、僕は二人の邪魔をしたくない。 涼一のこともゼンちゃんのことも好きだから、少しでも長く二人で過ごしてもらいたい。 でも、先週は柳に告白された所為で僕への風当たりが急に強くなったから、二人は僕を独りに出来ないと言って、一緒にいた――いや、一緒にいてくれたんだ。 金曜日だけでなく、土曜日も日曜日も。 「僕は独りで大丈夫だから」 勿論、二人が僕のことを真剣に心配してくれたのは嬉しかった。 ゼンちゃんを混ぜて三人で色んな話をするのも好きだから、先週末は校内でのストレスがすっかり消えてしまう程リラックスすることが出来た。 でも、だからって二人に甘えるわけにはいかないだろ? 二人っきりで過ごせる大事な時間を僕の所為で潰してしまうなんて、そんなことは出来ない。 これ以上二人の邪魔をすることは、僕自身が許せないし、許さない。 「涼一はゼンちゃんとゆっくり過ごしてよ。僕のことなんか頭から削除してさ」 「……そんなことしたら、僕の頭は半分以上空っぽになっちゃうよ」 「っはは、何言ってるんだよ、涼一。半分以上はゼンちゃんのことだろ?」 僕の方が涼一の頭の中を占めてるなんてゼンちゃんが知ったら、嫉妬されちゃうじゃないか。 冗談でもそういうこと言うなよ、と苦笑しながら涼一の肩を叩くと、心なしか拗ねたように唇を尖らせていた涼一は、冗談じゃないよ、と返してきた。 …こんなところで気を遣わなくてもいいのになあ。 本当、涼一は僕に優しすぎる。 ――――もしかしたら、あの時のことをまだ申し訳なく思っているのかもしれないけれど。 「涼一」 金曜日の放課後に涼一とゼンちゃんが二人っきりで会う場所は、渡り廊下を二つ渡って行く特別棟だ。 この学園では一番若い教師に週明けからの授業の準備を任せることになっていて、その一番若い教師というのがゼンちゃんだから。 当然、実験に使う危険な薬品など、専門的なことは各教科の教師がやるけど、その他の雑用…中学の頃にあった「教科係り」に頼むようなことをやるらしい。 …と言っても、実際は比較的暇なゼンちゃんが木曜日までに殆どの作業を終わらせてしまうから、金曜日の放課後を潰してわざわざ準備するようなことはない。 それでもゼンちゃんが特別棟へ足を運ぶのは、偏に涼一と静かに過ごす為だ。 授業の時くらいにしか使用されない特別棟はいつもひっそりとしていて、誰かがふらりと入ってくることもない。 だから、二人は二人だけの、何にも増して大事な時間を過ごすことが出来る。 ………僕は、涼一に幸せになってもらいたい。 涼一が誰よりも幸せになることを、あの時からずっと願っている………。 最愛の人が待つ特別棟の扉を押し開けた涼一の背に向かって呼びかけると、涼一は綺麗な髪をさらりと揺らしながら僕を振り返った。 「何? 香。やっぱり一緒に来――――」 「『涼一の所為じゃない。俺の意思は俺が決めてる』」 「…!」 あの時と同じ言葉に涼一の目が見開かれたのがわかる。 薄茶色の双眸から目を逸らすことなく、僕は心配性の親友に告げた。 「僕は本当に大丈夫だから。心配要らないよ」 「…………わかってるよ、香…」 「うん。‥じゃあ、また後で」 独りでいるとあからさまに不特定多数の視線を浴びるけど、あれから二週間が経とうとしている今は、しつこい奴等の陰口くらいしか聞こえてこない。 可愛くないくせに、平凡なくせに、頭だけが取柄のくせに、卑怯者、何様、などなど…。 最初こそ奴等の身勝手さに腸が煮えくり返りそうになったけど、順応したのか何なのか、割と聞き流せるようになってきた。 涼一とゼンちゃん以外には随分無関心になったから、とも言えるかもしれない。 「あー‥、いい風……」 それでも人目に曝されながら寮に帰るのが嫌だった僕は、殆どの生徒が寮か部活に行ってしまってから校舎を出ようと思い、涼一と別れてから美術室へ向かった。 窓を開ければ、春らしい柔らかな風が僕の頬を撫でて行く。 ……やっぱり春の陽気は気持ちいいなあ。 「一枚、何か描こうかな…」 僕と涼一は美術部に所属する美術部員だけど、柳の一件の所為で最近はロクに絵を描いていないどころか、コンテに触れたことすらない。 その事実に改めて気付いてしまったからか、漠然とそんなことを呟いた次の瞬間には、僕の足は道具を置いてある美術準備室に向かっていた。 ――何でもいいから、何か描きたい。 以前、あることがきっかけで持つことを許された鍵を首元から取り出し、開錠して中に入る。 「……っ、うわー………」 基本的に美術部員か美術教師しか立ち入ることのないその部屋は、一週間以上閉め切られていた所為で臭いが籠っていた。 むわっ、とした生暖かい空気に耐えられず、真っ先に窓を開ける。 「空気悪すぎ」 美術部員は全員で二十人前後いるらしいけど、僕と涼一以外は見事に幽霊部員だから、僕ら以外に空気の入れ替えを行う人はいないんだよね。 部長と副部長ですらロクに見たことがないし、顧問の先生は僕らがほぼ毎日部活をしに来ているのを知っているから、自分からやろうとは思ってないみたいだし。 生徒に割り振られている掃除も、美術室だけで準備室は入ってないからさ。 「あー、新鮮な空気だー………、ん?」 大袈裟な動作で深呼吸した僕は、どこかから砂の擦れる音が聞こえてくることに気がついた。 普段なら別に気にしないんだけど、独りの今は何となくその複数の足音が気になって、窓からひょこっと覗いてみる。 ――後悔するとも知らずに。 NEXT * CHAP |