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09


 突然の大声量の告白におれはぽかんとするが、ヨージは構わずに叫ぶ。

「浮気して約束破って、何を今更って思うだろうけどっ、俺は今でもノリトが好きだ!!」

 ……普通は先にごめんなさいと謝るもんじゃないのかな。
 浮気現場を妻に押さえられて本当に好きなのはきみだけだとか何とか言い訳する夫のような見苦しさは欠片もないが、そういう男だってすまないの一言は言うだろう。
 謝って欲しいという気持ちはなくても、謝罪より先に告白というのは順序がおかしいと思う。

「だからノリトが祐司を好きなのは嫌だ!!」

 だから、って。
 何だその自分勝手過ぎる理由は。
 見苦しさがない代わりに清々しいほど我侭だな。

「…今言っただろう。おれの感情はおれのものだ。嫌だと言われようがやめろと言われようが、おれの気持ちはおれにしか変えられない」

 誰かを殺したいと思うだけでは殺人罪に問われないように。
 血の繋がった家族を性対象として見るだけでは反社会的行動と見做されないように。
 個人の感情は本人だけが自由に出来るものだ。
 他者や社会がどんなに干渉しようとも、姿形の見えない意志を本人以外が変えることは叶わない。

「つーか、お前にそんな偉そうなこと言う資格なんてねえだろ」
「、お前に言われたくねぇんだよっ! 俺の知らないところでノリトと会いやがって!!」
「はっ、一々お伺いを立てろってか? 浮気してたお前に文句言われる筋合いはねえよ」
「てめっ‥!!」

 激昂したヨージがユージの胸倉を掴み、ユージは眼光を鋭くしながらその手を掴み返す。

 顔に怪我を負った喧嘩も先に殴ったのはヨージだと言うし、こういう所はユージの方が若干――飽く迄若干だ――大人なのかもしれない。
 でも、詐欺を片仮名発音するユージがお伺いを立てるなんて表現を知っているとは思わなかったな。

 おれは一触即発の険悪な雰囲気を漂わせている二人の後頭部に手を添えると、

「「い゛っ!!??」」

 内側に向かって思い切り力を込めた。

「っ、…、っ…」
「、‥っ、…っ」

 ゴッ!!、という実にいい音を額から発した二人は痛みの所為か、声もなくソファーの上で蹲っている。

「年長者の家で啀み合うとはいい度胸だね、きみたち」
「…マジ、ハンパねえんだけど…!」
「ちょお、いてぇ…ッ」
「それはきみたちの身体が無駄に丈夫で健康という証拠だよ。痛みを感じられて良かったと思いなさい」

 未だに顔を上げられない二人に罪悪感を覚えることもなく、おれの足はキッチンへ向かう。
 二十一歳マイナス二十歳のような少年たちなど無視してリタの作ってくれた朝食を食べたいところだが、落ち着きのない空間で食べたら折角の料理が不味くなるに決まっているから、目的はそれじゃない。

 冷蔵庫から取り出した冷却シートを手にソファーまで戻り、それぞれの額の赤くなっている部分を中心にしてはり付けると、おれは二人の恨みがましい視線を無視して手当てを再開させた。

 唇の端の切り傷と、口許、頬、目許の打撲傷。
 殴り合いの喧嘩をしている人なんて現実では見たことがないからどの程度の怪我を負うものなのかはわからないが、よくもまあこれだけ傷を作ったなと思う。
 顔立ちはそのままでも折角の美形が台無しだ。
 週明けに女子大学生たちの悲鳴が響かないことを願っておこう。


「―――はい、終わり」
「だっ」
「でっ」

 最後にはった湿布を軽く叩くと、二人の肩がびくりと跳ねた。
 痛いと言いたげな顔をしたっておれは同情も反省もしてやらないぞ。

「他に怪我はないか? 腕とか腹とか」
「…………」
「…………」
「…どうした?」

 視線を下げて沈黙する二人に首を傾げると、暗い声が重なって聞こえてきた。

「「………ミゾオチ」」
「…鳩尾まで殴り合ったのかね」
「……違ぇよ」
「…狩田さんに、膝入れられた」
「‥、は?」

 リタに?

「何でリタに鳩尾を蹴られたんだ?」
「…やめろって言われても、殴り合い、やめなかったから」
「…襟掴まれて、後ろに引っ張られたと思ったらミゾオチに喰らってた」
「………………」

 何だろうな、この気持ち。
 口で「てんてんてん」って言いたい気分だよ。

「それで? ちゃんとリタに謝ったのか?」
「‥謝った」
「当たり前だろ」
「偉そうに言うな。他人の家で殴り合いの喧嘩をしないことの方が当たり前だろうが」

 バイトが終わってすぐに駆けつけてもらって、部屋を提供してもらって、二人の喧嘩をとめてもらって、車でマンションまで運んでもらって、洗濯をしてもらって、食事を作ってもらって…。
 今度家を訪ねる時は、コーヒー豆だけじゃ全然足りないな。

 ――リタ、迷惑かけてごめん。本当に本当にありがとう。
 おれは面倒見の良い友人に向かって心の中で頭を下げた。

「…なあ、あの人って何かやってんのか? 膝入った瞬間、軽く意識トんだんだけど」
「今は何もやってないけど、中学生の頃にボクシングジムに通ってたんだよ」
「ボクシング!?」
「‥中学時代にやってただけであのキレかよ」

 蹴られた瞬間を思い出しているのか、ヨージは形のいい眉を顰めた。

 膝蹴りでさえキレのいいリタが拳で人を殴れば、本気でなくとも半数以上が意識を失うだろう。
 リタはそれをわかっているから絶対に手を使わない。
 世間には現役でも腹が立ったというくだらない理由で一般人を殴りつけ重傷を負わせる者もいるのに、中学時代にやっていただけのリタは「ボクシングを経験した者が他人に拳を振るうのはタブーだよ」と言っていた。
 口にするだけなら簡単で誰にでも出来ることだが、実際に殴るということをしないから凄いと思う。

「もうリタに迷惑かけるなよ」

 二人の鳩尾に大きめの湿布を張ったおれは手当てに使った道具を手に持ち、リビングを出た。





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