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04


 兄貴から無理矢理支給された真っ白な携帯の電話帳には、リタと兄貴しか登録されていない。
 おれの番号を知っているのもその二人だけ。
 ということはつまり、電話をかけてきているのは十中八九兄貴なわけで…。

 ポケットの中で未だに震えている携帯をどうしようかと暫し悩む。

「……しつこいな」

 留守電設定にしておけば良かったと思いつつ、一度切ってまたかけてくる用事なんてあるのかよと思いつつ。
 結局おれは通話ボタンを押すことにした。
 プリペイド携帯なんて欲しくなかったが、お節介で心配性の兄貴のお陰で今日は助かったからな。

「もしもし」

 おれが出ようかどうしようか悩んでいる間にピザの注文を済ませたリタに目で断りを入れ、窓の外を眺めながら口を開くと、すぐに言葉が返ってきた。

『もしもし、ノリト?』
「わざわざ確認するのはおれの声がわからないからか、それともおれがどこかに捨てたと疑っているからか?」
『そ、そんなわけないだろう! ノリトを疑うなんてっ』
「はいはいおれが悪かった。で、何の用? おれ、今リタと一緒にいるんだけど」
『あ、そうなんだ。ごめん。……ノリト、あれから陽司くんに会ったかい?』
「会う理由は世界中のどこを探しても見つからないな」

 今のマンションはこの上なく不本意なことに兄貴の勤めている音大から電車で十分という近さだが、ヨージの大学やアパートとは随分離れている。
 普通に生活していたらばったり会うなんてことはないだろう。

『ノリトはね。でも、陽司くんは違うだろう?』
「ヨージの思考に興味はないが、言いたいことがあるならはっきり言え。仮にも講師だろう」
『ッ、ご、ごめん。あの、昨日の夕方、陽司くんが俺に会いに来たんだ。大学まで』
「は?」

 不可解な発言に、道路を走る車に向いていた意識が兄貴に移る。

「何で? ヨージ、カズに何か借りてるものでもあったのか?」
『‥本気で言ってるのかい? ノリトの住所と携帯の番号を訊きに来たに決まってるだろう』
「寝言は寝て言った方がいいと思うな」
『ノリト、ちゃんと聞きなさい』
「教えたとか言ったらこの携帯圧し折るよ」

 携帯はいつでも捨てられるけど、あのマンションから引っ越すつもりは当分ない。
 真夜中に遠慮のえの字もなくドアを叩かれたらどうしてくれるんだ。
 あ、でも、暗証番号がわからないと中に入って来られないんだっけ。
 郵便受けが中にあるタイプのマンションで良かったな。
 マンションの前で張られても迷惑だけど。

『……教えなかったよ。教えたかったけど、ノリトが怒るのはわかっていたからね』
「当たり前だ。文句を言われるとわかっていて貴重な時間を割く奴がどこにいる」

 もしいるとすれば、それは余程のお人好しか被虐趣味をもった人ぐらいだろう。

『…何でそうなるのかな。ノリトは陽司くんに文句を言われる心当たりがあるのかい?』
「私物を勝手に動かされたら大抵の人間は怒るだろうが」
『……ノリト。陽司くんはどうしてもノリトに直接謝りたいから、俺の名前を頼りに大学まで来たんだよ』
「よく会えたな」

 すぐ下の細い道路を三毛猫がすたすたと歩いていく。
 雄の三毛は理論的には生まれないから、きっと雌だろう。
 近くの公園の野良猫かもしれない。

『陽司くんは俺のフルネームを知らなかったから事務のおばさんが怪しんで追い払っていたんだけど、何回も必死に頼みに来るもんだから気が咎めたのか、こういう男性が来ているんですけどお知り合いですか?って訊かれたんだ。昨日は本当にびっくりしたよ』
「あ、そう。で?」
『遠くの大学まで何日も足を運んだ陽司くんの誠意を汲んであげる気にはならないかな』
「それのどこが誠意なのかおれにはさっぱりわからないんだが。ヨージはカノジョを大切にする気があるのか?」

 ここにはカノジョと付き合いたくても付き合えない金髪の少年がいるというのに。
 勝手に怒ったり勝手に泣いたりする面倒なユージが不憫に思えてくるじゃないか。

『カノジョって…浮気相手の子?』
「イエス。可愛いカノジョに元恋人の存在がバレても構わないとか思ってるなら、ここにいる少年と一緒に闇討ちでもした方がいいな」
『え…え、ちょっと待って、ノリト。一体何を言っ――――』

「陽司はアイツともとっくに別れてる」

 兄貴の声が不自然に途切れたと思ったら、いつの間にか背後に立っていたユージがおれの耳元から携帯を遠ざけていた。
 きみの大学では相手の都合を考えるということをしないのかな。

「――…何て言った?」
「陽司とアイツは、アンタが一方的なメールを送った日に別れてんだよ」
「…嘘だよな?」
「嘘ついたって俺には何の得もねえよ」
「嘘だ。だってヨージとカノジョが別れてるなら、きみがおれに話しかけてくる理由なんてないじゃないか」

 きみはヨージの嘘を知ったおれがヨージにカノジョと別れるように迫ることを期待していたんだろ?
 きみの目的はおれとヨージが別れることじゃなくて、ヨージとカノジョが別れることだったんだろ?

「カノジョがフリーになっただけじゃ満足出来ないのか?」
「違ぇよ!! そんなんじゃねえ!」
「じゃあ何でおれなんかに話しかけてきたんだ。カノジョの傍にいてやれよ」
「…っ、煩えな!! アンタの所為だろうが!!」
「は?」

「アンタが振った所為で陽司は死人みてえにヤツレれちまったんだよ!!!」

「…………何でおれが責められなきゃならないんだよ。きみはヨージの名前を聞くだけで気分が悪くなるほど、ヨージのことが嫌いなんじゃなかったのか?」
「それとこれとは話が別だ!」
「無茶苦茶とか支離滅裂って言葉、…知らないか」
「馬鹿にすんな! 何なんだよアンタは! 陽司はアンタに会いたくて必死になってんのに、何でアンタは平然としてんだよ!?」
「嫌いな相手の為に怒鳴ってるきみも何なんだろうね。おれには度が過ぎたお節介にしか思えないんだけど」
「アンタ‥っ、」

 ユージはおれの胸倉を掴んだが、それは背後に控えていたリタの大きな手によって止められる。

「はい、そこまで」
「ッ…」
「ノリト、」
「平気。少しギーンてなってるけど」

 感情的になっているユージをリタに任せ、リタのベッドに横になる。
 両手で耳を覆って外部の音を遮断すると、耳元の不愉快なざわめきが僅かに和らいだ。





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