食欲、睡眠欲、性欲、物欲、独占欲…ect. 最後に「欲」のつく事柄の殆どに対してあっさりしているおれを人は淡泊だと言うし、自分でもそう思う。 恋人の浮気を許すか許さないかという質問に「許すよ。多分」と答えた時には「お前らしいな」と苦笑された。 でも、おれには健気とか献身的とかいう言葉は似合わない。 「多分」という言葉は細かく言うのが面倒で当たり障りのない表現を選んだだけだ。 実際、恋人の浮気は今までだって許してきたし、選択肢が「許す」と「許さない」しかないのなら間違いなく「許す」を選ぶが、それは浮気してるけどいいよなという俺様発言をしない場合と、恋人と浮気相手の立場が逆にならない場合であって、全面的に許可しているわけではない。 だから、当然、恋人であるおれとの約束を「サークルの合宿」という嘘で取り消し、浮気相手のカノジョと旅行に行くことは、許容範囲じゃない。 「いってらっしゃい。気をつけてな」 普段と何ら変わりない表情で恋人を送り出したおれは、携帯で友人に連絡を入れた。 明日の真夜中には送信予約機能で作成しておいたメールが恋人宛てに送られることだろう。 『To:ヨージ Title:別離宣告 Text:カノジョとウレシハズカシ旅行中vのヨージくんにお知らせです。きみが帰って来る頃にはマンションは売りに出されていると思いますので、間違っても不法侵入なんてマヌケなことはせず、鍵は管理人さんに預けて下さい。きみの私物やアパートの鍵はちゃんと部屋に戻してきましたから、安心して下さいね。それでは、可愛いカノジョと末永くお幸せに。』 ば い ば ーい 。 T U N I N G 「それでほんとに引っ越しちゃったの!?」 「イエス。当然」 おれがカウンターの中央を陣取っているここは、繁華街の一角にちょこんと存在するオカマバー。 女性の格好をする男性に興味があるわけではないし、オカマに対して好奇心があるというわけでもないけれど、泥酔状態で入店して以来、おれは月に三度ほど梅酒サワーを飲む為に足を運んでいる。 話を聞いて驚いたように目を丸くする美香ママに梅酒サワーを飲みながら答えると、マスカラやアイラインで強調されている目が益々大きくなった。 「当然って、ノリちゃん……」 「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。おれが別れる度に引っ越すのは、ピアノの弦が伸びてくのと同じくらい当たり前のことなの。知ってるだろ?」 「そりゃ知ってるけどね‥。ほんと、こういう時だけ行動力があるんだから、あんたって子は」 おれの生活態度を知っている美香ママはしみじみ呟く。 反論しようかとも思ったけど、代わりに新居についての簡単な報告をすることにした。 先日入居したばかりのマンションは、南向きの角部屋で月二十万。 今まで住んでいた月九万の部屋より広いし綺麗だし、マンション全体のセキュリティも万全だ。 ここから徒歩十分の距離だからいつでも遊びに来てよと言うと、美香ママはそんなこと言うと早朝に押しかけるわよと笑った。 「…でも、やっぱり浮気相手と旅行はダメよねえ。あたしだって別れるわ」 「んー? 別に、旅行自体は一向に構わないんだよ」 「、‥どうしてよ?」 「だって、旅行は旅行だろ。カノジョとの旅行を優先させたことがダメなの」 カノジョを自分の部屋に泊めようが、カノジョの部屋に泊まろうが、二人きりで旅行に行こうが。 そんなことは別にどうだっていいんだ。 それをダメと言うなら浮気を許してることにはならないし。 でも、おれと二週間前から映画を観に行く約束をしていて、友人からチケットを貰ったことも言ってあったのに、その一週間後に「サークルの合宿が入った」と嘘をついて、カノジョとのランデブーを優先させた。 ヨージのその行為はおれにとって明らかに許容範囲外のことだ。 恋人と浮気相手の立場が逆転した時点で、おれの中には「別れる」という選択肢しかない。 「だからばいばいしたわけですよ」 「ヨージくんからの連絡は?」 「さあ、どうだろうね。あの日から電波の届く場所に放置してあるから、今頃電池切れ起こしてるんじゃないかな」 元々家のパソコンを使って仕事をしているおれは、携帯電話がなくても生活に困らない。 困る人がいるとすれば、死んでるんじゃないかと心配してわざわざ家を訪ねてくる兄や奇特な友人だけだ。 「部屋が広いっていいよね。どこかで鳴り響いてても聞こえてこないから。全部サイレントモードだけど」 「…………」 「美香ママ、おかわりちょーだい」 「‥はいはい」 何とも言えない複雑な顔をする美香ママに向かって、おれは満面の笑みでグラスを差し出した。 NEXT * CHAP |